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京都の臨済宗大本山【建仁寺】の紅葉

京都の臨済宗大本山【建仁寺】の紅葉



建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にあり、山号を東山(とうざん)と号する臨済宗建仁寺派大本山の寺院である。
本尊は釈迦如来で、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。
京都五山の第3位に列せられ、俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝えている。
山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院がある。
また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺にあたる。

栄西ははじめ九州の博多に日本で初めての禅寺、聖福寺を建て、のち鎌倉に移り、北条政子の援助で正治2年(1200年)に建立された寿福寺の開山となる。
その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。

創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある。創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺し、この頃から純粋禅の寺院となる。

建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。

建仁寺は祇園の南に位置し、花見小路の南行きの突き当りにあたる。
直ぐ向かいには、祇園甲部の歌舞練場があり、人通りの多いところである。

今回は、あまり見られない建仁寺の紅葉をご覧ください。

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毘沙門堂があったので中に入ると狛犬ならぬ、獅子(たてがみのあるライオン?)の守りがあった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-27 15:10 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

秋の京都【円山公園】

秋の京都【円山公園】



時々ウォーキングのコースとして、この円山公園に週一回は行っている。
この秋は急に寒さか訪れ、素晴らしい紅葉が一気に訪れましたが、紅葉の終わりも早く感じられた。
毎年行われる寺社のライトアップも12月2日に終わるが、毎年ライトアップがおわってもしばらくは紅葉の見どころが続いていたが、今年はタイミングがどんぴしゃりだった。
その紅葉をご覧ください。

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今まで見過ごしていたこんなものを見つけました。
そう、祇園小唄の碑でした。

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公園の紅葉。

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人の出も多く、風船おじさんも子供たちを相手に活躍していた。

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八坂神社の裏門からの紅葉です。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-27 15:08 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

滋賀の名・古刹【臨済宗 永源寺】の紅葉

滋賀の名・古刹【臨済宗 永源寺】の紅葉


当山は、南北朝時代の興安元年(1361)に、時の近江守護職、佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。
禅師が入寺、開山されると、その高徳を慕って二千人あまりの修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有したと記されています。
師の滅後も、四人の高弟が教えを守り永源寺を受け継ぎました。応仁の乱の頃には、横川景三といった京都五山の名だたる僧達が、この地に戦難を避けて修行をされました。
しかし、明応(1492)永禄(1563)と続く戦乱によって、当地も兵火の及ぶところとなります。伽藍や山内の幾多の寺院は全て焼け落ち、以後寺運は衰退してゆきました。
江戸時代中期になり、妙心寺の僧、別峰紹印禅師は、自らも石を曳いて復興のために尽力いたしました。
弟子の空子和尚も永源寺第七十九世として住職され、彼らの懸命の働きによって、やがて名声高き一絲文守禅師(仏頂国師)を迎えることとなりました。これにより後水尾天皇をはじめ、東福門院(徳川和子)や彦根藩(井伊家)の帰依をうけて伽藍が再興され、ここに再び法燈が輝いたのであります。
明治になり、政府の指導によって、はじめ臨済宗東福寺派に属しましたが、後に永源寺派として独立し、坐禅研鑽、天下泰平、万民和楽を祈る道場として、全国百有余の末寺を統轄する一派大本山となり、今に至っています。

ということが資料にはでています。
当日は土曜日ということと紅葉シーズンが重なり、車は多く人も半端なく多かった。

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対岸から見ただけでも紅葉の素晴らしさが見て取れた。

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総門の周りも紅葉がきれいだ。

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味のある山門がある。この山門は今登らせていないがきれいに整備されていた。

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山門から本堂までの通り。

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境内の風景。

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落ち葉も彩りを添えていた。

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境内の紅葉。何処を見てもこのような。

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境内から見えた里の風景。

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本堂前。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-27 14:30 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

京都【清水寺】今期最後の紅葉アタック

京都【清水寺】今期最後の紅葉アタック



清水の舞台で知られる。宝亀9年(778)延鎮上人が音羽の滝の上に庵を結び、千手観音を祭ったのが始まりで、坂上田村麻呂が延暦17年(798)に長岡京の旧紫宸殿を移築して堂宇を建造したと伝える。断崖に立つ舞台造の本堂(国宝)は徳川家光が寛永10年(1633)に再建したもので、優美な寝殿造が踏襲されている。139本の柱が支える舞台からは京都市街を一望できる。三重塔(重要文化財)も同時期の再建。秋にはカエデが見事に色づき、紅葉を楽しむことができる。

清水寺のことは色々な角度から紹介されているが、今回清水寺の最後の紅葉を捉えてきたので、ご覧いただきたい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-27 09:15 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(3)

京都【大谷本廟(西大谷)】の紅葉

京都【大谷本廟(西大谷)】の紅葉



大谷本廟(おおたにほんびょう)は、京都府京都市東山区にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞の墓所である。通称は、「西大谷・「祖廟」。
大谷本廟は、「日野誕生院」・「角坊」(すみのぼう)とともに「宗教法人 本願寺」が所有する飛地境内建物である。
大谷本廟は、1272年(文永9年)に東山大谷の地に建立された親鸞の廟堂である「大谷廟堂」(のちの本願寺〈大谷本願寺〉)に由来する。

江戸幕府は、西本願寺第十二世の准如時代の1603年(慶長8年)に、知恩院の拡張造営に際して、大谷本願寺跡地の代替地として、宗祖親鸞が荼毘に付された「鳥辺野(とりべの)の南の辺、延仁寺」と伝わる「御荼毘所」に隣接する現在地を与えた。

大谷本廟は、徳川幕府の宗教政策の一環として、本願寺勢力の抑制のために東西に分割され祖廟も2つに分けられている。しかも当時弱小の浄土宗のテコ入れとして、京都の浄土宗の本山を3つ造られ、寺院も大規模に作られており、その1つの知恩院があるところは、浄土真宗の聖地でもあったがそれも移転を余儀なくされている。
このように浄土宗・浄土真宗・法華宗などの勢力の抑制と均衡が保たれるるように、寺社奉行による統制が行われてきた。

ここでは、その親鸞聖人の祖廟である大谷本廟の紅葉をお伝えしたい。
紅葉は円通橋近辺に集中している。
その紅葉を見ていただきたい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-25 15:27 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(3)

滋賀県唯一の大社【多賀大社】

滋賀県唯一の大社【多賀大社】



滋賀県犬上(いぬかみ)郡多賀町に鎮座する多賀大社、旧官幣大社でもある。
祭神は伊邪那岐(いざなぎ)大神、伊邪那美(いざなみ)大神の二柱である。
『古事記』に「伊邪那岐の大神は淡海(あふみ)の多賀に坐(ま)します」とあるのがもっとも古い記録であるが、『延喜式(えんぎしき)』には「多何神社二座」とある。
766年(天平神護2)に神封六戸が寄せられたのを初めとして、古来朝廷から武家、民衆に至るまで広く厚い崇敬を集め、とくに延寿の神としての信仰が盛んである。「お伊勢(いせ)参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」とか「伊勢にゃ七度熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」と俗謡に歌われ、「お多賀さん」と親しまれたようだ。
4月22日の古例大祭は「多賀まつり」とよばれ、鎌倉時代以来の伝統に基づく豪華絢爛(けんらん)の祭り絵巻を繰り広げる。
所蔵文化財には、
・国指定重要文化財の調馬厩馬図屏風(ちょうばきゅうばずびょうぶ)
・県文化財の三十六歌仙絵屏風
・1333年(元弘3・正慶2)の五辻宮(いつつじのみや)の朝敵誅伐(ちゅうばつ)成就の御寄進状
・武田信玄(しんげん)の娘安産の祈願文、豊臣(とよとみ)秀吉の母病気平癒の祈願文
など文書に珍重すべきものも多い。
境内には安土(あづち)桃山時代築造の書院庭園(国指定名勝)や、重源(ちょうげん)が東大寺再建を志し延命を祈願したときのゆかりの石「寿命石」がある。
元正(げんしょう)天皇の御病気平癒を祈りその吉瑞(きちずい)に始まるという「お多賀杓子(しゃくし)」は名物である。

ここに行ったのは初めてで、駐車場もわからず、鳥居に近い有料駐車場に止めてみたが、参集殿前に神社の駐車場があった。
正面の鳥居をくぐると、太鼓橋がみえる。

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この橋は神橋で「そり橋」と呼ばれ、重厚な造りである。

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結構小さな子供も登っていたので私も登ってみたが、結構急で、神輿もわたると聞いたが、大変だろうと思う。
とにかく情けない恰好だったが上りきれた。

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すぐ横を見ると、きれいな紅葉だったのでついついお参り前に撮ってしまった。

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御神門から見た本殿。

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多賀大社の概略が書かれた「駒札」。

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本殿は大きな立派な造りだった。

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菊で作られた、【祝 七五三】。

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本殿前には見事な鉢植えの菊が置かれていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-24 15:45 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

天竜寺塔頭「宝厳院」の紅葉

天竜寺塔頭「宝厳院」の紅葉



宝厳院(ほうごんいん)は、臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院のひとつで、紅葉で有名のようである。
寛正2年(1461年)室町幕府の管領であった細川頼之公の財をもって、天龍寺開山夢窓国師より三世の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎え創建された。

以前から一度は出かけてみたいと思っていたので、今回寄ってみた。
ここも沢山の人出だったが、噂に違わずすばらしい紅葉を見せてくれた。
その一部をご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-22 22:15 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(3)

嵐山天竜寺境内

嵐山天竜寺境内



後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として暦応2年(1339)に創建。
造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用は足りず、尊氏の弟足利直義(あしかがただよし)は夢窓と相談の上、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開し、その利益を造営費用に充てた。
これが「天龍寺船」の始まりとなった。
天龍寺は康永4年(1344)に落慶し、南禅寺を五山の上として天龍寺を五山の第一位に、この位置づけは以後長く続いた。
蛤御門の変に際しては長州軍の陣営となり、兵火のために再び伽藍は焼失した。
以後は歴代の住持の尽力により順次旧に復し、明治9年には臨済宗天龍寺派大本山となった。

今回は平日ながら凄い人出で、庭園に入るのはあきらめ、境内の写真のみとした。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-22 21:11 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(4)

嵐山の紅葉

嵐山の紅葉



嵐山に行ってきた。
何かに引っ張られるように、風邪を押して出かけてみた。
ここ3年紅葉の時期は毎年出かけているが、今回はっきり認識したことは、今のところ京都の紅葉は、誰が何といっても嵐山が一番と云っていい。
しかし、年々人出が多くなりっているように感じるのと、平日にかかわらず多いということは、この週末の3連休は凄い人出になるのではないかと思われる。

ということで、その紅葉を見ていただきたい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-22 20:23 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

青蓮院別院「将軍塚」の紅葉

青蓮院別院「将軍塚」の紅葉



青蓮院別院「将軍塚」

青蓮院の別院で飛地境内である「将軍塚」は、直径約20m、高さ約2mにも及ぶ塚があり、大日如来が祀られているお堂もある。
また、境内は広く京都の街を一望できる展望台も設置されており、庭園は四季を折々の美しさを楽しませてくれるところである。

将軍塚の由来につて伝わっているのは、
奈良から長岡に都を移した桓武天皇は、幾つかの大きな事件に見舞われていた。
そこで、和気清麻呂は天皇をお誘いし、この山頂から京都盆地を見下ろし、ここが都の場所にふさわしいと進言された。
天皇はその勧めに従って延暦13年(794年)、平安建都に着手した。
その際天皇は、都の鎮護のため、八尺(約2.5m)の土(陶質)の将軍像(征夷大将軍・坂上田村麻呂と伝承される)を作り、鉄の甲冑を着せ、鉄の弓矢を持たせ、太刀を佩かせて都のある西方に向けて埋めた所をいう。この「将軍塚」は、国家の大事があると鳴動したという伝説が、源平盛衰記や太平記に残されいる。
見どころとしては、この広大な庭園は、春に桜が咲き、秋には紅葉がとても鮮やかに染まる。
境内の一角に設置された京都市内が一望できる展望台からは、京都市内の夜景と幻想的なライトアップが同時に楽しめるオススメスポットである。

ここは交通の便は悪く、将軍塚へは、自動車で行くか、徒歩で自動車道または東海自然道を登るしかない。自動車なら蹴上または東山五条から東山ドライブウエイ(無料)へ入ると、ほぼ頂上部にある山頂公園まで行くことができる。
また、駐車場は狭いながら、「将軍塚」の境内にあるが、山頂公園公園に駐車した方が安心だ。
境内へ入るには拝観料が必要で、大日堂の横から入場することができる。

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山門には「青蓮院門跡」「福徳門」の名札がかかげられている。

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山門透かしてみえるのはきれいな紅葉の景色である。

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大日如来が祀られている大日堂。
大日堂は木造、寄棟造り、瓦葺で、資料によると横12m、縦12m、高さ10mと、大きな堂といえない。堂内に安置するのは、付近の山中から掘り出された石仏の大日如来像である。

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山頂公園の一角にも展望台があり、このように京都の街を一望できる。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2012-11-20 21:34 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)