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【沖縄】番外 各グスクで使われている石の種類

【沖縄】番外 各グスクで使われている石の種類



沖縄の代表的なグスク(城)では特徴ある石積みが世界遺産採用の尺度になったようだ。
この城壁等の石積みに使われる石は、それぞれその地域で採れる石を使っている。
しかもこの石を比較してみると、かなり違っているようだ。
ここでは今帰仁城・首里城・勝連城・中城城、それぞれの石を扱ってみる。

それぞれの説明をご覧ください。
見た目がかなり違っているのが分かると思います。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-28 18:10 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(3)

【沖縄】⑯ ホテル日航アリビラ

【沖縄】⑯ ホテル日航アリビラ


ホテルには夜に着いた。
那覇の国際通りから向かったわけであるが、NAVIに入れて進んだがなかなか着かない。
途中から、農道みたいなところを通り、その先に大きなホテルらしき明かりが見えて間違えていなかったことで一安心。
それでもほんとにこんな不便なところ?疑問に思いつつやっと到着。
きれいなイルミネーションは目に入り、ほっと一息着くことができた。

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このように、ホテルの駐車場には既に何百台の車が停まっており、よくみると“わ”ナンバーばかりだったのにはまたまた驚きだった。

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ホテルのベランダからは海・教会が見え、天気がよければいい眺めのようだ。
この次の日は晴れてきれいだった。

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冬場は使ってないようだが、大きなプールも設備されていた。
またその傍のイルミネーションもなかなかきれいにレイアウトされていた。

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夜のディナーでは沖縄音楽を充分堪能させていただいた。

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なかなか良い旅だった。機会があれば、またいきたいと思う。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-28 17:33 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

【沖縄】⑮ 沖縄いろいろアレコレ

【沖縄】⑮ 沖縄いろいろアレコレ


沖縄の空港についてびっくりしたのは、いたるところに胡蝶蘭を主体にランの花を置いており、大変な量であり、輝きであった。
沖縄の有名な菓子「紅いもタルト」の製造販売をしている店は「御菓子御殿」という。
その恩納村の店の前に大きな沖縄の鳥「ヤンバルクイナ」を飾っていた。

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花はハイビスカスなどが、これもいい色で咲いていた。

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看板もカラフルで気持ちが明るくなる。
沖縄が明るく感じるのはこんなところから出てくるのかもしれない。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-28 16:30 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

【沖縄】⑭ 沖縄そばの味

【沖縄】⑭ 沖縄そばの味


沖縄そばはもう20年位前に赤坂の店で食べた覚えがある。
今回、意外と旨いのにはびっくりだった。その一言。

最初は、斎場御嶽の近くでイラブー(海蛇)粉末入りのそばを恐る恐る食べてみたが、これが20年ぶりの沖縄そばの味だった。旨くてびっくり。

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野菜そばも旨い。

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ここは沖縄バンドが休日・夜には大活躍だそうだ。

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しかしテピチそばは途中で気分が悪くなった。
でも普通の沖縄そばは、麺も美味くどこかで見つけたらまた入ってみたいと思ってる。

よしこさんは明るく面白い人だった。どうも、この地域の人気者らしい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-28 16:05 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(4)

【沖縄】⑬ 沖縄が誇る鍾乳洞「玉泉洞」

【沖縄】⑬ 沖縄が誇る鍾乳洞「玉泉洞」


玉泉洞は、我々ホモサピエンスがアフリカで誕生するはるか昔、30万年という気の遠くなるような自然の営みが創り上げた鍾乳洞である。

1967年3月、沖縄がアメリカ統治にあった頃、愛媛大学学術探検部の調査隊山内浩教授によって玉泉洞の最初の探検・調査が行われ、その全貌が明らかにされた。
したがって、比較的新しい場所である。
鍾乳石の数は100万本以上で国内最多、全長は5000メートルで国内最大級といわれる天然記念物の玉泉洞は、県民で知らぬ人がいないほどの有名な観光鍾乳洞となっている。
現在は890メートルを公開しており、残りのエリアは研究用としてまだ保存されている。

今も成長を続ける鍾乳石
珊瑚を主成分とした琉球石灰岩でできた玉泉洞は、県外の鍾乳洞にくらべ鍾乳石の成長が早く、3年に1mmというスピードで成長している。
鍾乳石の成長が早い理由は、沖縄の気候が影響しているそうで、その理由は、熱帯・亜熱帯地方の気候は多量の雨水をもたらすことと、また、土中の微生物はあたたかい地域のほうが活発に活動するので、より多くの二酸化炭素を排出することのようだ。
雨水はその二酸化炭素を取り込んで弱酸性となり、石灰岩を溶かし込んでいくが、 最後に雨水は洞窟の空間へと染み出し、水と石灰岩の成分が分離して鍾乳石が形づくられていっている。

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なかなか、神秘的である。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-28 12:54 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

【沖縄】⑫ お勧めの「沖縄ワールド」

【沖縄】⑫ お勧めの「沖縄ワールド」


おきなわワールドは、国内でも有数の規模を誇る鍾乳洞をはじめ、赤瓦の古民家を再現した町並みを見ることができる。
伝統工芸や黒糖作りの体験もできるので時間があれば体験してみると楽しい。
ヘビとマングースのショーや民俗芸能のエイサー(無料)も毎日公開されている。
所要時間はすべて見学して2時間以上は必要かもしれません。

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(玉泉洞)
この先は、全長5000メートル、国内最大級といわれる天然記念物の鍾乳洞「玉泉洞」 となる。
(ここは別途載せている)

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(熱帯フルーツ園)
マンゴーやパパイヤ、パイナップル等約100種類450本の熱帯果樹を栽培。
珍しい、レモンの花・ライムの実が鉢植えであった。
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フルーツの売り場。
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さとうきびジュースもあった。
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(琉球王国城下町)
沖縄は、かつては琉球王国と呼ばれ中国や東南アジアの国々、また日本本土とも活発に行き来してたことから、各国から多様な工芸文化が伝えられ、亜熱帯の気候風土の中に、独自の伝統工芸として発展きた。
その芸能を大きな区画で「琉球王国城下町」という形で、色々な工芸文化を伝えていた。
首里城下を彷彿させる美しい赤瓦の町並みの「琉球王国城下町」では伝統工芸体験が楽しめる。

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(ハブ博物公園)
そろそろマングースとハブのショーが始まるとのことでハブ博物公園に急いだ。
残念ながら、マングースとハブとの戦いは、動物保護の観点から今はやっていないということで、少々拍子抜けの嫌いはあったが、マングースとハブの競泳や、ハブ・コブラの特性などのショーを楽しませてくれた。

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次はエイサーということで向かっていると、途中に沖縄戦の従軍写真に出てくる「白旗を掲げる少女」の銅像があった。

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おきなわワールドは誇る(スーパーエイサー)
凄い迫力のエイサーを見学することができた。
非常に明るく観客と一体になったショーで観客も満員で喝采を浴びていた。

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疲れたので、トイレの横のベンチに座ると、目の前にこいつが居た。

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この「おきなわワールド」はまた訪れてみたとことのひとつである。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-28 10:30 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

【沖縄】⑪ 広大な「嘉手納(かでな)基地」

【沖縄】⑪ 広大な「嘉手納(かでな)基地」


日本全国に米軍の施設はあるが、その中で沖縄米軍の施設は全体の73.83%を占めている。
また、沖縄本島の約2割が米軍施設である。(22,807ヘクタール)
いかに沖縄の基地は広いかがわかろう。(ちなみに2番目は青森の7.69%)

その沖縄米軍施設の中での嘉手納飛行場の面積は1,997ヘクタール(東京国際(羽田)空港の約2倍)で嘉手納町、沖縄市、北谷町の1市2町にまたがっている。 
同飛行場は、昭和18年9月旧日本陸軍航空本部が北飛行場(現在の読谷補助飛行場)に引き続き建設を開始し、19年9月には旧日本軍の中飛行場として開設された。
その後、昭和20年4月、沖縄本島に上陸した米軍はただちに同飛行場を占領し、本土攻略のための前進基地として整備拡張を行い、同年6月には大型爆撃機が離発着できる全長2,250mの滑走路を完成させ、B-26やB-29等大型爆撃機の主力基地として使用してきた。
昭和25年6月、朝鮮戦争勃発以降、逐年基地機能が拡大強化され、昭和42年5月頃には4,000m級の2本の滑走路が完成するなど、極東における米軍の最重要基地となっている。
居住地区には、基地司令部、兵舎、通信施設、家族住宅、病院等があるほか、幼稚園、小・中・高校、図書館、野球場、ゴルフ場、映画館、カミサリー(スーパーマーケットのようなもの)、ボーリング場等の教養娯楽施設も完備されているほか、常時9,000人以上の家族が生活している。
嘉手納基地と連動する嘉手納弾薬庫地区は、面積が2,884ヘクタールで、嘉手納町、沖縄市、うるま市、読谷村、恩納村の2市1町2村にまたがる広大な森林地域にある。
この地域は、リュウキュウマツなどの群落に加えてリュウキュウケナガネズミ等の貴重な動植物が生息しているほか、本島中頭郡地区において水源が豊富なところで長田川、平山川、与那原川、比謝川があり貴重な水資源涵養林地域となっているところ。
この施設は、復帰の際に嘉手納、波平、知花の各弾薬庫や比謝川サイト等9施設を統合したものであり、空軍、海兵隊、海軍、陸軍の各種兵器の貯蔵庫として、また、極東地域への弾薬類の統合貯蔵補給地区として、きわめて重要な役割を果たしている。
弾薬貯蔵地域は立入りも厳重にチェックされ、特定の場所以外は禁煙とされており、弾薬庫群のほか整備工場、実験室、事務所等があり、弾薬の再生、組立、貯蔵施設管理がおこなわれている。
また陸軍貯油施設として嘉手納タンクファームがありる。
米軍は昭和20年から27年にかけて、これらの施設間の、嘉手納町、北谷町、那覇市、具志川市にタンクファームを建設し、昭和27年から28年にかけて、これらの施設間のパイプラインを敷設して連結した。
施設を連結する送油管(PLO)は、北上ラインと南下ラインがあり、前者は、那覇軍港(那覇市)から浦添市~宜野湾市~北谷町~嘉手納飛行場(嘉手納町)までとなっており、米軍の主要基地間を結ぶ動脈としてジェット燃料やガソリンなどを送油しています。なお、北上ラインは、昭和60年6月に浦添市伊祖以南の施設(PLO)や平成2年12月に宜野湾市伊佐までが返還され北上ラインは完全に撤去されている。

嘉手納町は第二次大戦前、北谷村(現北谷町)の一行政区であったが、米軍嘉手納基地の構築によって村域が分断されたため、昭和23年12月4日人口3,879人をもって分村しました。(昭和51年1月町制施行)町総面積15.04k㎡の約83%に相当する12.46k㎡が米軍基地(①嘉手納飛行場、②嘉手納弾薬庫地区、③陸軍貯油施設)となっている。
そのため残されたわずか2.58k㎡の狭あいな地域に13,700人余の町民がひしめきあった生活を余儀なくされており、生活環境をはじめ、都市基盤の整備や産業の振興をすすめる上で大きな制約となっている。

資料を読むと以上のような状況である。

観光案内を読むと、道の駅「かでな」の4階から飛行場を見下ろすことができるとあったことから、このカメラの位置は、ここから写したものである。
でも飛行場は、4000mの滑走路とのこと。またスピードが速いことから、音が聞こえたときはもう遅い状態であった。
何とか撮ったのがこの写真である。ご覧いただきたい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-28 09:00 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

【沖縄】⑩ 溶岩島の奇岩「万座毛」

【沖縄】⑩ 溶岩島の奇岩「万座毛」


万座毛(まんざもう、Cape Manza)は、沖縄県国頭郡恩納村にある景勝地。海岸の絶壁に、象の鼻の形の岩が付いているのが特徴。東シナ海に面し、沖縄海岸国定公園に属する。

沖縄旅行の定番中の定番スポットである万座毛は、「万人も座する草原」(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことが名の由来と言われている。
駐車場に着くと周りにはお土産屋がずらり。
駐車場から歩いてすぐの遊歩道へ向かうと、草原が広がり、その先には東シナ海の水平線が見える。
そこから直ぐに絶景ポイントである、写真のように象に似た岩が見えるポイントに到く。
万座毛一帯は足元がすくむほど崖が高く危険な場所もある。
家内に注意されながら、5分ほどで一回りしてきた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-27 15:42 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

【沖縄】⑨ 古宇利大橋

【沖縄】⑨ 古宇利大橋


古宇利大橋は、今帰仁村の古宇利島と名護市の屋我地(やがじ)島を結ぶ長さが1960m。無料で通行できる橋の中で長さ日本一の橋だそうです。尚、古宇利島を一周してきました。

古宇利(こうり)島は半径約1Km、周囲が約8kmの島です。古宇利大橋を渡り始めるときれいな海が広がり思わず声が出てしまうほどきれいです。

今帰仁村の名護市の屋我地(やがじ)島で撮影。

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古宇利島から見た古宇利大橋全景。

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後ろからであるが、沖縄特有の大きなお墓。

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いい天気になった。

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古宇利島を一回りしてきました。見るべきものは特になし。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-27 13:24 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

【沖縄】⑧古の王国の今帰仁城

【沖縄】⑧古の王国の今帰仁城(なきじんじょう)


今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスク(城)である。
世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離だが
、美ら海水族館から行ったので20分くらいの道のりであった。

今帰仁城跡の歴史
今帰仁城跡の歴史は古く13世紀までさかのぼる。
正確にいつごろに誰によって築かれたかは、現時点では不明。
今後発掘調査が進むにつれ解明されることを期待している。
三山時代
14世紀の中国の史書に琉球国山北王「(はにじ)」「(みん)」「(はんあんち)」の三王が登場する。
この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山併立の時代」だった。
北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていた。しかし1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになった。
監守時代
北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置し、1422年以後監守の居城としてこのグスクを利用した。
しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上し、監守が住まなくなった。
以後は御嶽とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れるようになった。
監守時代以降
監守が首里に引き上げたとされる1665年以後の今帰仁村は精神の拠り所として崇拝されてきた。
現在でも今帰仁城跡には火神の祠があり、その時代を垣間見る事ができる。

今帰仁城に着くとお城の入口とはかなりはなれたところにチケット売り場があり、休憩所もある。
そこから歩いて300mくらいでこの入口に着く。
ここには世界遺産登録の石碑が置かれていた。

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石碑の前には、今帰仁城以外の沖縄全体のグスクが紹介されていた。

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またすぐ横は広場のようになっているが本土のお城の外堀に当たるところのようだ。、

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平郎門
平郎門は今帰仁城の正門で、その名称は「琉球国由来記」に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場している。
現在見る門は、昭和37年(1962)に修復されたもので、左右に狭間があり、門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢なつくりとなっている。

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狭間。門番のスペース?

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七五三の階段
平郎門から大庭まで続く参堂は戦前に地元民によって桜の植栽とともに直線道に整備されます。
戦後まもなく米軍の車両が城内へ登ることから、戦災文化財の修理として文化財保護委員会の指導のもと、今見る階段の整備が行われた。

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主郭
大庭の東にある一段高くなった郭を主郭と呼んでいる。
主郭には多くの礎石が現存し、桜の植樹のためか、一部移動させられている石もあるが、かつての建物の形がいくらか想像できる。
1982年から4年間発掘調査が行われ、発掘調査の結果13世紀終わりころから17世紀初め頃まで機能していたことがわかった。

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外郭
昭和50年、沖縄海洋博覧会の工事の進む中、石垣が積まれた箇所の発見があった。
これが城郭の一部であることが確認され、昭和54年12月28日に国の史跡として追加指定された。
高さは2メートル前後と比較的低い石垣が延長数百メートル蛇行して続いている。
石垣で囲まれた空間を外郭と呼んでおり、最近更に調査が行われ、外部の整備が進められている。

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大庭
平郎門からまっすぐ伸びた七五三形式の階段を登りつめると開けた広場に出る。
ここは大庭(ウーミヤー)とよばれ、南側には南殿があったと推定され、北の一段高くなったところが北殿跡とされている。
その建物の跡と見られる礎石が今も残っている。

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ここには非常に珍しい、黒檀(コクタン)の木があった。本島に珍しい。

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御内原
北殿跡の北側、一段高いところを御内原と呼んでいる。
ここは、かつて「女官部屋」があったといわれているところ。
城内でも崇高な場所とされ男子禁制の御嶽テンチジアマチジがある。
北端からの眺望は城内で最もよいところで、大隅一帯の石垣をはじめ今帰仁村全域、伊平屋・伊是名の島々、国頭の山並麓、晴れた日には遠く与論島が眺められ、海を眼下に見ることができる。

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ひとまずグスクを見終わって戻ると、「今帰仁村歴史文化センター」がある。
そこには今帰仁の歴史がよく分かる展示がなされている。
ここで分かったことは沖縄の人たちの苗字が、土地名でつけられていることであった。

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少し写りは悪いが、夕日の写真が展示されていたので撮らせていただいた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-02-27 12:00 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)