【沖縄】⑪ 広大な「嘉手納(かでな)基地」
日本全国に米軍の施設はあるが、その中で沖縄米軍の施設は全体の73.83%を占めている。
また、沖縄本島の約2割が米軍施設である。(22,807ヘクタール)
いかに沖縄の基地は広いかがわかろう。(ちなみに2番目は青森の7.69%)
その沖縄米軍施設の中での嘉手納飛行場の面積は1,997ヘクタール(東京国際(羽田)空港の約2倍)で嘉手納町、沖縄市、北谷町の1市2町にまたがっている。
同飛行場は、昭和18年9月旧日本陸軍航空本部が北飛行場(現在の読谷補助飛行場)に引き続き建設を開始し、19年9月には旧日本軍の中飛行場として開設された。
その後、昭和20年4月、沖縄本島に上陸した米軍はただちに同飛行場を占領し、本土攻略のための前進基地として整備拡張を行い、同年6月には大型爆撃機が離発着できる全長2,250mの滑走路を完成させ、B-26やB-29等大型爆撃機の主力基地として使用してきた。
昭和25年6月、朝鮮戦争勃発以降、逐年基地機能が拡大強化され、昭和42年5月頃には4,000m級の2本の滑走路が完成するなど、極東における米軍の最重要基地となっている。
居住地区には、基地司令部、兵舎、通信施設、家族住宅、病院等があるほか、幼稚園、小・中・高校、図書館、野球場、ゴルフ場、映画館、カミサリー(スーパーマーケットのようなもの)、ボーリング場等の教養娯楽施設も完備されているほか、常時9,000人以上の家族が生活している。
嘉手納基地と連動する嘉手納弾薬庫地区は、面積が2,884ヘクタールで、嘉手納町、沖縄市、うるま市、読谷村、恩納村の2市1町2村にまたがる広大な森林地域にある。
この地域は、リュウキュウマツなどの群落に加えてリュウキュウケナガネズミ等の貴重な動植物が生息しているほか、本島中頭郡地区において水源が豊富なところで長田川、平山川、与那原川、比謝川があり貴重な水資源涵養林地域となっているところ。
この施設は、復帰の際に嘉手納、波平、知花の各弾薬庫や比謝川サイト等9施設を統合したものであり、空軍、海兵隊、海軍、陸軍の各種兵器の貯蔵庫として、また、極東地域への弾薬類の統合貯蔵補給地区として、きわめて重要な役割を果たしている。
弾薬貯蔵地域は立入りも厳重にチェックされ、特定の場所以外は禁煙とされており、弾薬庫群のほか整備工場、実験室、事務所等があり、弾薬の再生、組立、貯蔵施設管理がおこなわれている。
また陸軍貯油施設として嘉手納タンクファームがありる。
米軍は昭和20年から27年にかけて、これらの施設間の、嘉手納町、北谷町、那覇市、具志川市にタンクファームを建設し、昭和27年から28年にかけて、これらの施設間のパイプラインを敷設して連結した。
施設を連結する送油管(PLO)は、北上ラインと南下ラインがあり、前者は、那覇軍港(那覇市)から浦添市~宜野湾市~北谷町~嘉手納飛行場(嘉手納町)までとなっており、米軍の主要基地間を結ぶ動脈としてジェット燃料やガソリンなどを送油しています。なお、北上ラインは、昭和60年6月に浦添市伊祖以南の施設(PLO)や平成2年12月に宜野湾市伊佐までが返還され北上ラインは完全に撤去されている。
嘉手納町は第二次大戦前、北谷村(現北谷町)の一行政区であったが、米軍嘉手納基地の構築によって村域が分断されたため、昭和23年12月4日人口3,879人をもって分村しました。(昭和51年1月町制施行)町総面積15.04k㎡の約83%に相当する12.46k㎡が米軍基地(①嘉手納飛行場、②嘉手納弾薬庫地区、③陸軍貯油施設)となっている。
そのため残されたわずか2.58k㎡の狭あいな地域に13,700人余の町民がひしめきあった生活を余儀なくされており、生活環境をはじめ、都市基盤の整備や産業の振興をすすめる上で大きな制約となっている。
資料を読むと以上のような状況である。
観光案内を読むと、道の駅「かでな」の4階から飛行場を見下ろすことができるとあったことから、このカメラの位置は、ここから写したものである。
でも飛行場は、4000mの滑走路とのこと。またスピードが速いことから、音が聞こえたときはもう遅い状態であった。
何とか撮ったのがこの写真である。ご覧いただきたい。
この項 <完>