京都御苑(御所)の桃園20130331

京都御苑(御所)の桃園2013


3月末、京都御苑(御所)に、さくらはまだかいな!と出かけてみた。
桜もきれいに咲き始めていたが、目を奪われたのは“桃”であった。
見事な桃園をご覧いただこう。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-31 10:03 | Comments(3)

今年も行った「哲学の道」の桜2013

今年も行った「哲学の道」の桜2013


今年も哲学の道へ出かけてみた。
少し早く、まだ五分咲き位だったが、大変な人出であった。特に外国人の観光客が多いのには驚いた。
やはり平日は、観光客天国である。
桜の写真を撮ろうとしても客が切れることがなく、人入り写真となっているのにはご勘弁願いたい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-29 12:17 | Comments(2)

京都円山公園の【しだれ桜】

京都円山公園の【しだれ桜】


桜といえば、京都では、全国的に知名度がある円山公園の「枝垂(しだれ)桜」になると思う。
ここのところめっきり衰えが目立つが、それでも立派に花をつけて頑張っている様子が痛々しい。
公園関係者は必死にこの木に対する思いをもってメンテナンスしているのが分かる。
この木を実際見ると、風格が感じられ、観光客の目を楽しませている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-28 11:08 | Comments(2)

城塞化されていた【知恩院】とその桜模様

城塞化されていた【知恩院】とその桜模様


知恩院は京都にある浄土宗の3つの大本山の一つである。
正面には大きな三門があり、それをくぐって結構急な階段を登ると境内にたどり着く。 のが通常の参詣ルートであるが、今回は今まで入ったことがなかった、横にある「黒門」から入ってみた。

浄土宗は法然上人が起こした宗派であるが、桃山時代には一向宗に母屋を取られたような格好で、衰退していたようだが、江戸時代の初め、家康の宗教政策から、浄土宗三山(金戒光明寺など)を作らせ広大な寺領とともに、城塞とも結うべき構造の寺院が建てられている。
多分このことは、金戒光明寺に幕末の京都守護職として、会津藩松平容保の駐屯地になったことからも戦時を考えての寺院建立ではなかったかと思われる。

そのような視点を入れて、桜とともにご覧いただきたい。
神宮道を真っ直ぐ円山公園に向かうと青蓮院があり、それを更に道なりに進むと円山公園の手前に知恩院がある。その道すがら、早咲きのサクラが咲いていた。

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これが三門から北に100mほど行った「黒門」である。

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黒門を入ると正面には、高い石垣が出現する。歴史を感じさせる、苔むした石垣である。

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更に石垣沿いに進むと北門が見えてくる。
これだけ見るとまさにお城の縄張りと同じである。家康が有事の際の城塞と考えたかもしれないことが想像できる造りである。

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丁度、新装なった、法然上人御堂の公開をしていたので見学させていただいた。

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境内の桜もいい感じで咲いていた。
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本堂は全面的に改築を行っていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-28 10:05 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都白川橋にある『明智光秀の首塚と光秀饅頭』

京都白川橋にある『明智光秀の首塚と光秀饅頭』


白川沿いに、知恩院の総門を過ぎて歩いていると、思いがけないうれしい発見があった。
歴史好きの私にとっては、まさかこんなところに、「明智光秀の首塚」があろうとは、という感じだった。
そもそもの発見は、“光秀饅頭”の幟だった。

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この饅頭屋さんが経営するこんな変わった宿があった。

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白川をはずれ、三条通を歩くと、こんな石碑と説明があった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-28 09:26 | (歴史)京都史 | Comments(2)

清水寺界隈の桜模様2013

清水寺界隈の桜模様2013


この清水寺界隈は3月22日の風景である。
この20日過ぎからかなり観光客の出が多くなり、殆ど外国語が飛び交っている状況であった。
早咲の桜も咲きはじめ、アクセントのある風景が出現してきた。
また、幾つかある清水寺への参道も結構な賑いであった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-22 09:30 | Comments(2)

霧にけむる【天ノ橋立】新しい展望台にて

霧にけむる【天ノ橋立】新しい展望台にて


朝、ふと思いついて、天の橋立に出かけることになった。
天の橋立が思いついた理由は、歴史好きの私が、以前から丹後の一の宮である「籠(この)神社」が歴史的に興味を持っていたからである。
籠(この)神社を見終わった後、近くの成相寺(西国28番)をお参りしようということになり、出かけてみると、昨年できあがったという、このお寺を抜けて、成相山の頂上に展望台ができたことを告げられ、今一天気が良くなかったけど、登ってみることにした。
案の定、少し霞んでいた。がしかし、雰囲気だけ皆様にお届け将と載せてみた。

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これは古くからの神事「土器盃(かわらけ)投げの的」である。
この土器盃(かわらけ)投げの神事とは、出来たての無垢のかわらけを投げることにより、普段の精神的負担を軽減するご利益があるとされているとのこと。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-20 14:00 | (風情)京都・関西 | Comments(2)

西国二十八番札所【成相寺】(丹後)

西国二十八番札所【成相(なりあい)寺】 (丹後)


約35年前に、西国33ヶ寺をやく2年かけて回ったことがあった。
多分それ以来の訪問であったと思う。
実際、訪れてみると全く記憶がなく、通った道も覚えがなかった。
そうゆう意味では、新たな記憶として残すにはいい機会だったと思う。

今回は車で上ったので、急な参道は登っていないが、実際はケーブルカーを降りたところから、急な参道が続いているようだ。

ここに写っている鐘楼は、「撞かずの鐘」と言われている。駒札には、
「撞かずの鐘は古来、慶長十四年(一六〇九)、山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。
一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな女房が「子供は沢山おるがお寺へ寄附するお金はない」と険しい目の色で断った。
やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑み児を抱いて見物していた。
そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑み児を落としてしまった。
此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。
しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って、一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。」
とある。

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車で上るとかなりの部分まで行くことができ、ここから本堂に向かうことができる。

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本堂のすぐ下から本堂をみあげると、

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本堂の内部には、左甚五郎作の「真向の龍」がある。

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順礼堂。

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このお堂には、右に閻魔大王、左に孔雀明王が鎮座している。

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成相寺鎮守堂。
鎮守は熊野三所権現で、寺伝によると延宝4年(1678)堂を建立したという。

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撞かずの鐘の横の石段を上がった場所、本堂のちょっと下の左側に「一願一言地蔵(ひとことのじぞう)さん」が安置されている。
この地蔵は今から約600年以上前に造られたかなり古い地蔵らしい。
この地蔵にただ一つの願いを一言でお願いすれば、どんなことでも必ず叶えてくれると伝えられている霊験あらたかな地蔵と言われている。
また、安楽ポックリの往生も叶えられると伝えられているようである。

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このお寺は、ここには載っていないが、再建なった五重塔・立派な山門がある。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-20 13:30 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(2)

【真名井神社】(元伊勢「籠神社」の外宮)

【真名井神社】(元伊勢「籠神社」の外宮)

資料によると、
「古代丹波の最高神である豊受大神(天御中主神又は國常立尊とも云う)を氏神として戴いて当地方に天降られた天照國照彦火明命は、大神様をお祭りするのにふさわしい神聖なところとして、常世の波の寄せる天橋立のほとりのこの地をお選びになりました。
こうして名勝天橋立の北端真名井原に御鎮座、第十代崇神天皇の時に天照皇大神の御霊代が當宮にお遷りになり、吉佐宮と申して豊受大神と御一緒に四年間お祭りされました。元伊勢の御由緒の起こりです。
天照皇大神は人皇十一代垂仁天皇の御代に伊勢国伊須須川上へ御遷宮になり、豊受大神は人皇二十一代雄略天皇の御代に至るまで當地に御鎮座あらせられ、同天皇の御代二十二年に伊勢国度会郡の山田原に遷らせられました。」
とあり、天照大神の二つ目の宮「久志濱宮(くしはまのみや)」があった所とのことであった。

籠神社の奥宮 眞名井神社は、別名を久志濱宮(くしはまのみや)とも云う。〝くし〟とは霊妙なる不思議なパワーの源を意味し、この地に神代の昔、豊受大神が天降られ、五穀と養蚕を丹波地方に伝えられた。
この丹波という地名は豊かに稔る田を豊受大神がご覧になって、『あなにえし田庭!』(なんとすばらしい田の庭よ!)とよろこばれた事から名付けられ、水気根源、五穀豊穣の大神として崇敬が厚い。

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この石碑には、真名井神社の由緒が彫られているが、建立当初は上部に籠目紋(六芒星)が刻まれていた。
一説によるとこれは籠神社の裏神紋らしいが、籠目紋は「ダビデの星」とも呼ばれ、イスラエルの国旗にも描かれているマークであったため大騒ぎとなったらしい。その紋が描かれていた真相は不明である。

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二の鳥居とその前には、通常ありえない狛龍が左右に鎮座しており、謂れも書かれていた。

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本殿である。内宮に比べて粗末な昔ながらの造りである。

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養老三年(719年)以前の本宮がこの眞名井神社で、本殿の裏に磐座(いわくら)[社殿が造られる以前の斎場] があり、豊受大神、天照大神を始めとする神々が祀られている。
遠い上代より人々の純真な祈りが捧げられ、あたりは清らかな空気に包まれた聖地である。磐座の前に佇む時、誰もが大きな神気に圧倒される。

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境内には天の眞名井の水というご霊水が滾々(こんこん)と湧き出ている。社伝によると、このご霊水は、三代目祖神(そじん)天村雲命(あめのむらくものみこと)が高天の原(天上の神々の住む世界)にまいのぼり、琥珀(こはく)の鉢に天上のお水を持ち帰って、やわした(合わせた)と伝えられるご霊水である。 霊験あらたかなこの眞名井の水を汲みに、近隣府県はもとより全国各地から訪れる人が絶えず、眞名井神社は知る人ぞ知る日本最古のパワースポットなのである。

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二の鳥居の手前直ぐ横には、ユースホステルがあった。

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来るときはあまり目に入らなかったが、道の途中からは「天の橋立が望め、また梅も咲いていた。

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伝聞・異聞
時は昭和十三年、大本教信者の辻天水氏と三雲竜三氏の両名が真名井神社に参拝した際、三雲氏が突然神懸かり状態となりました。
辻氏が審神を行ったところ、三雲氏に降りたのは真名井神社の眷属の龍神であることが判明しました。それ以後、真名井神社の龍神は昭和十八年にに至るまで神示を伝達し続けました。
これが有名な『龍宮神示』です。
神示の内容等については割愛しますが、真名井神社の龍神が神示を伝達した事に因んでか、参道には狛犬ならぬ狛龍が睨みを利かせています。(同様の狛龍は籠神社の末社、稲荷神社にもありますが、それは稲荷神社が近年真名井神社から籠神社へ移されたからです。)




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-20 12:40 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

元伊勢の神社 【籠(この)神社(内宮)】(丹後一の宮)

【籠(この)神社】 (元伊勢の神社内宮:丹後一の宮)


丹後一の宮の「籠(この)神社」を訪ねてみた。

昔から歴史のことは大好きで、以前から邪馬台国には興味をもって色んな資料を読み漁ってきた。
しかし、古代に関するところは想像の域から脱しない書き物が多く、どれをとってもしっくり来ないことが多く、逆に言うとどれも正しく聞こえることにもなってもいた。
何故そう思うのか、ということを考えてみると、それぞれの説の正統性・正当性を証明するために、有利な資料・解釈を引用・主張しているに過ぎないような展開だということが分かってきた。
また、一部は、醜いことに自分たちの正しさを主張するためにグループ化して囲い込むことに汗を流している状況も見られる。
このような中で、昨今新たなメッセージが史跡から徐々に出始め、頑固な史学会の定説が覆され始めてきたのは、客観性を求めている人たちには朗報といえよう。
日本人の古代観は、どうしても明治以降の皇国史観の教育にあるように思う。
日本書紀をベースにした天皇の神格化は神話の世界を無意識にそのまま受け入れさせたのは見事な政治手法であったように思う。
これはまさしく、日本書紀作成以降の藤原氏の政治手法を髣髴とさせるもののようだ。
しかし、平清盛による武家政治の武家の棟梁による力の政治から、よりこれを強力に推し進めた鎌倉政権・江戸徳川政権まで、藤原公家政権は沈黙していたが、明治に入り一気に公家政治が復活した状況にあり、これが太平洋戦争の終戦まで続いていたといえる。
この間は、天皇の神格化に成功し、神格化と抱き合わせで、神事の復活、神社の格付け・整備を行い、挙句の果て(言い過ぎ?)に明治神宮・平安神宮・橿原神宮などの、現在の代表的な神社の設立など、天皇様思想を公家とともに皇親政治として戦前まで進めてきて居たといえるのではなかろうか。
でも、もうそろそろ日本の歴史に関心を持つことが必要となってきている。
素人の私でも、歴史認識を勧めていくと、上記のようなことも見えてくるのである。

さて、本題に入ろう。
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から、この「籠(この)神社」は奥宮の真名井原に豊受大神をお祭りして来ましたが、その御縁によって人皇十代祟神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになって、之を吉佐宮(よさのみや)として一緒にお祭りした経緯がある。
その後天照大神は十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりった。それによって当社は元伊勢と云われている。

両大神が伊勢にうつられた後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として祟敬を集めて来ている。

二の鳥居。ちなみに、この神社は天橋立の直ぐ近くにあります。

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説明板をご覧ください。

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「さざれ石」。ここの石はかなり大きなものでした。

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これは狛犬だが、重要文化財とある。したがって待遇もよく、屋根つきの待遇だった。

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まず、神門をくぐる。入ると境内の左奥に「元伊勢」

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正面に拝殿、奥に本殿を望むことができる。

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本殿を横に回ってみるとこのように見ることができる。
本殿は、伊勢神宮の正殿と同じように、古代建築様式の「唯一神明造り」と呼ばれている。
その前身は高床式の穀倉倉庫を模した建物であるとされている。古代人にとって、高床式倉庫は何らかの神聖視すべき理由があったのかも知れない。

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京都府の宮津市にある籠神社は、11代垂仁天皇の時代に天照大神が、21代雄略天皇の時代に豊受大神が、ここから伊勢神宮へと移ったため「元伊勢」と呼ばれるお社です。

しかも、「あまりに格式が高すぎて伊勢神宮以外では使用されない」という「唯一神明造り」という建築様式が見られる、日本でも数少ない神社なのです!





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-03-20 12:10 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)