安珍・清姫伝説のお寺『妙満寺』(岩倉)

安珍・清姫伝説のお寺『妙満寺』(岩倉)


妙満寺(みょうまんじ)
妙満寺の本坊にある「雪の庭」は、俳人祖松永貞徳(1571~1653)の造営で、比叡の山並みを借景にとりいれた枯山水庭園である。
清水寺成就院を「月の庭」、北野成就院を「花の庭」(現存せず)と称し、いずれも成就院という坊にあったことから成就院「雪・月・花」の三名園と称される一つである。
また、歌舞伎などで有名な「娘道成寺」に登場する安珍・清姫ゆかりの紀州(和歌山県)道成寺にあった梵鐘がこの妙満寺にあることでも知られている。
(妙満寺では毎年5月中旬に安珍・清姫鐘供養を行っている。)
道成寺の鐘を展示室に安置しているという。残念ながら今回は見てはいない。
   
さて、妙満寺の創建は元中6年・康応元年(1389)で、日蓮上人に帰依した日什(にちじゅう)上人によるものである。
当初は、六条坊門(現在の烏丸五条辺り)であったが、応仁の乱や天文法華の乱などの兵火に遭うなどで移転を余儀なくされている。
その後、天文7(1538)年、下京区岩上通綾小路東北角に落ち着いたが,天正11(1583)年,豊臣秀吉の命で寺町二条(京都市役所の西北)へ移転している。
妙満寺跡地は、文禄2(1593)年秀吉の招きで来日したフランシスコ会ペトロ・バプチスタ神父に与えられ、神父はここを拠点に布教活動を行っていたが、慶長元(1596)年、キリシタン追放政策に転じた秀吉は、神父をはじめ京都・大坂の信者ら26名を捕え、長崎で処刑した。
後に彼ら26名は聖人に列せられ、二十六聖人の遺跡を示す石標が建てられている。
なお妙満寺は、その後400年余り、寺町二条で「妙満寺さん」と近隣の人々に親しまれていたが、第二次世界大戦による強制疎開や都市化 などの環境悪化を避けるため、昭和43年(1968)に現在地岩倉に移って来ている。

妙満寺の門前は、きれいに整備されて美しい。

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建立由来は石碑に刻まれており、非常に珍しい。

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妙満寺の100m位手前にこのような看板があった。

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総門の手前はこのような池と四季それぞれの花木に囲まれ、また池には人懐っこい鯉がスイレンの間を泳いでいた。

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中央が本堂、本堂から比叡山が正面に望めるように配置されている。

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手水舎。

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仏舎利塔。この塔にはお釈迦様だけではなく、納骨堂には豊田佐吉翁を初めとした豊田一門などの篤信家の納骨されている。

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境内には京都七名水の一つ。この遺構は、寺町二条時代境内にあった井筒を移したものとのこと。
ちなみに、中川とは過去に鴨川と桂川の間で寺町筋を流れていた川である。
この井戸はその中川の伏流水。

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仏舎利塔の後ろを回ったところに、豊田家で植樹した菩提樹があった。
駒札には昭和21年とあるから、寺町から移植したものだろう。

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本堂である。先にも述べたが、ここからの正面は比叡山を拝める位置となる。

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墓地の奥には、花登筺(はなと こばこ)のお墓があった。

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このお寺は、色々な顔を持っているようで興味深い。

<妙満寺>
・顕本法華宗総本山 妙塔山 妙満寺
・京都市左京区岩倉幡枝町91
・電話:075-791-7171




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-30 12:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

地下鉄北山駅から岩倉(国際会館)への散策

地下鉄北山駅から岩倉(国際会館)への散策


この日は小雨日和だったが、toshi さんから教えていただいた、上賀茂から岩倉へ抜けるルートをお聞きし、北山駅から真っ直ぐ北へ進んでみた。
道は一直線に北に向かっている。

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歩道の下には疎水が暗渠となって続いており、これに沿って道が作られたのかもしれません。
未だこの辺りは比較的新しく開発された地域である。

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途中、府道40号と103号の交差するところをすぎると

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脇道に緑が見えたので、寄り道すると公園があり、梅の木が数本たわわに実をつけていた。

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この公園の梅の木の横を駆け上がると池が見えてきた。
これが天然記念物の群生生物がある、深泥池である。

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また本通りに出ると目的地の圓通寺の表示板があった。

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この道を通っていくと、病院・老人ホームを過ぎ、
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坂のてっぺんに自動車教習所があった。

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初夏なので木々の青さやお花のカラーが美しい。

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目指す圓通寺に到着。

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お寺の近くでトンボを見つけました。

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昔の焼き物の窯址が史跡として紹介されていた。

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岩倉に入ると、このような商施設の街並みがあった。

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7km位歩いてやっと地下鉄国際会館駅に到着。

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今後、機会を見つけて更に深く散策を進める機会を持ちたいと思っている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-30 11:30 | Comments(0)

京都岩倉の「完熟野菜」の出荷

京都岩倉の「完熟野菜」の出荷


小雨の中、岩倉界隈を散策していると、大規模ではないが農地が結構あった。
特に芋の花が目に入ったので懐かしく思いシャッターを切った。
私は札幌出身で、子供の頃は食料が不足しており、ジャガイモが日常の食料でもあった。
だから、ジャガイモの花は直ぐ分かった。

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白はスタンダードで男爵系、ここの咲いているのはピンクで種類は分からない。

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ジャガイモの近くにはハウストマトが赤い実をつけていた。
出荷するには熟しすぎの感じだったので、ハウスに人が居たのを見つけ中に入らせていただいた。
食べるのは最高で、一ついただいて食べてみたが、“トマト!”という感じの本当に美味しいあじであった。
詳しいことは聞けなかったが、どうも特定のところにおろしているようだった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-30 10:30 | Comments(2)

国指定天然記念物「深泥池(みどろがいけ)群生植物」

国指定天然記念物「深泥池(みどろがいけ)群生植物」


深泥池(みどろがいけ)は、京都最古の自然が残る池とされている。
それは国指定の天然記念物である生物群集である。

深泥池は、独特のぬめりと風味の良さがあるジュンサイが育つ池として、灌漑用のため池として、また近代まで池周辺の森は焚き付け用の枝や落ち葉を採取する場として、この池は人々の生活に密接なかかわりを持ってきた。
しかしここは、氷河期からの生き残りとされる生物と、温暖地に生息する生物が共存しており、学術的にも貴重な池として著名であり、1927年(昭和2年)6月14日に、植物群落が「深泥池水生植物群」として国の天然記念物に指定され、その後、1988年(昭和63年)に「深泥池生物群集」として生物群集全体に対象が広げられている。また、2002年(平成14年)に発刊された京都府レッドデータブックには「要継続保護」として掲載されている。

この池は、周囲約1540m、面積約9.2haで、池の中央に浮島が存在する。
この深泥池に流入する河川はないが松ヶ崎浄水場の配水池より若干の漏水が流入している。
周囲は標高200mを下回る小高い山々に囲まれており、南西端のみが開けて低地に面している。
その形態から、およそ1万年前までに、池の南西部にできた開析谷(かいせきこく)の出口が、鴨川(賀茂川)の扇状地堆積物(砕屑物)によって塞き止められ、自然堤防の原型が造り上がって、深泥池の形状を保ってきたと考えられている。
また、この時期の最終氷期の地層から、地質調査によってミツガシワの花粉が確認された。

昭和12年に建てられ、少し傾いている天然記念物の石碑。
歴史が感じられる。

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池に浮かんでいるボートは、釣りをしているのではなく生態調査和しているとのこと。

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池の南側には「深泥池生物群集」についての説明版がある。

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池の真ん中あたりが浮島となっている。

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この方達が生態調査を行っている。

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<所在地>京都市北区上賀茂狭間町
(地下鉄 北山駅から北へ1km強)
(池の周囲の散策は自由、浮島は進入禁止)

<問合せ先>
京都市文化財保護課:TEL:075-222-4112



この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-30 10:10 | (紹介記事)京都 | Comments(0)

幡枝離宮『圓通寺』(岩倉)

幡枝(はたえ)離宮『圓通寺』(岩倉)


幡枝(はたえ)離宮『圓通寺』とは、元々は後水尾天皇の山荘であった小離宮「幡枝御殿」であり、後述する枯山水庭園もその頃に造営されたものである。
修学院離宮の造営に伴って、幡枝山荘は近衛家に譲渡された。
後の延宝6年(1678年)、霊元天皇の乳母であった圓光院殿瑞雲文英尼大師が開基となって寺に改め、皇室の祈願所となった。また、開山は妙心寺10世の景川宗隆を勧請している。

枯山水式の庭園で国の名勝に指定されている。
苔を主体に刈込みと石を配し、大小40余りの庭石は上皇となった後水尾天皇が自ら配したといわれている。
また、刈込みと立木の背後に望む比叡山を借景としており、上皇は最も比叡山の眺望に優れた地を求めて、この幡枝に山荘を設けたといわれている。

この円通寺庭園は借景の美しさで名高く、そのため、高層マンション建築など急速に進む都市開発を危惧し、京都市は円通寺庭園など借景を保護するための眺望条例(正式名称は京都市眺望景観創生条例)を制定するようになったという。
円通寺は同条例の対象地となり、周辺区域では高さだけでなく、屋根の形式なども制限される。

今回ここを訪れたのは朝の9時過ぎだったので、入山はしなかった。したがって庭園をみることはできなかったので、次回は是非訪れてみたい。

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ここがお寺の総門であり、かなり重みのある苔むしている門であった。

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ここも朽ち欠けた垣根があり、その奥に歴史を感じる門構えが見える。

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圓通寺(えんつうじ)の由緒が書かれた駒札。

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特殊な石垣が各所に見られる。

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墓地もなかなか重厚で、入口にはこのような石碑があった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-30 09:01 | Comments(0)

私にとっては、30年振りの『サポセン同窓会』―京都にて

30年振りの『サポセン同窓会』―京都にて


私も大学を卒業後、札幌市役所を初めとして、現在は5つ目の職場となっています。
慣れた故郷を離れ、2つ目に就職したのは昭和45年で当時の日本ユニバック㈱(現日本ユニシス㈱)でしたが、当時コンピュータが凄いブームで、私は中途採用ですが新卒400人と同じタイミングで入社し、頭の回転が鈍っていたようで、研修ではついていくのがやっとの状態だったのを覚えています。

さて、その後紆余曲折がありましたが、サポートセンター(サポセン)という新しく発足した部に配属され、仲間が沢山できましたが、その後も異動で大阪転勤になったりたたしましが、最終的には、またこのサポセンに責任者として戻ってきました。
しかし、在籍は約一年強で、退職することになりましたが、温かく見送っていただきました。

今回、この時のサポセンメンバーが京都で集まっていただける(サポセン同窓会)ということで、大感激でした。本当にうれしいことです。
同窓会は、5月25・26日の連日で行われ、宴会・二次会・観光と堪能していただけたのではないかと思います。

集まったメンバーは、この11人です。(宿泊の、京都白河院にて)

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東京から9人が参加。

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宿について一服、そして集合記念写真。

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着いてからの市内観光。
祇園白川の辰巳神社。(芸能人に好評)

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将軍塚からの京都を眺める。

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次に南禅寺を訪問。

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徳川家康がいちゃもんをつけた、方広寺の鐘楼の名板。

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宴会。乾杯後、しばらくして芸妓さん2人が到着し、皆さんの自己紹介どころではなく、目的と違うところで、盛り上がり楽しそうだった。

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早めに宴会を切り上げ、二次会として祇園のクラブに繰り出して最高潮に達した。

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翌26日は比叡山横断ツアーを行うことになり、前日の飲み疲れを見せず元気に出発。

比叡山ケーブルカー。
ここにケーブルカーがあるのは京都人は知っているとは思いますが、実際に乗ったことがある人は少ないのではないかと思います。
叡山ケーブルはケーブル八瀬駅-ケーブル比叡駅の1・3キロを9分で結んでいます。
ケーブルカーの高低差561メートルは日本一。さらにロープ比叡駅から叡山ロープウェイ(所要時間3分)で比叡山頂駅に至れば、そこは“下界”から遠く離れた別世界のパノラマが広がっている。。
営業開始は、大正14年12月20日となっており、最急勾配;53.0%、最緩勾配;21.5%とこれまた日本一の勾配とのことであった。ちょっとしたアドベンチャー気分を味わえる。

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比叡山延暦寺。
比叡山山頂駅からバスで延暦寺に向かう。根本中堂に近づくと、大きな木々が青々と繁っていた。
根本中堂の手前にはお堂に向かう大きな階段がある。
根本中堂の手前の大講堂のはずれには、鐘楼がありこの鐘(開運の鐘)はお賽銭をいれて自由に撞くことができる。

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坂本ケーブル。
下りもアドベンチャー気分を味わうことにしました。
この坂本ケーブルは日本一の距離を持っています。(2025m)。
しかし、高低差(484m)や、最急勾配;33.3%、最緩勾配;17.0%とともに叡山ケーブルを下回る。

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比叡山ツアーの最後に、名物の坂本『鶴喜そば』をみんなで食べました。
意外と空いていたのには驚いた。

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感想を聞くと概ね満足して帰っていただいたようで、安堵しております。
また、このような機会を設けることができることを期待して、東京組は帰途に就いたと聞いております。
今回のメンバーは自愛が必要なお年ですが(私が一番ですが)、次回機会を作って元気にお会いできることを楽しみにしています。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-25 13:11 | (仕事・学生)過去・現在 | Comments(2)

京都の元祇園社の【梛(なぎ)神社】御幸祭

京都の元祇園社の【梛(なぎ)神社】御幸祭


梛(なぎ)神社は、八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。石標にも書かれている。
素戔鳴尊(すさのおのみこと)を主神とし、宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)などを配祀する。
貞観(じょうがん)11年(876)京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(ごずてんのう)(素戔鳴尊)の神霊を播磨国(はりまのくに)広峰から勧請(かんじょう)して鎮疫(ちんえき)祭を行ったが、このときその神輿(みこし)を梛の林中に置いて祀ったことがこの神社の始まりであるという。
後に神霊を八坂(今の八坂神社)に遷祀したとき当地の住人は花を飾った風流傘(ふうりゅうがさ)を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を八坂に送った。これがのちの祇園会(ぎおんえ)の起源といわれる。
また、当社は維新の頃は田圃の中の一小祠であったが、明治7年(1874)と昭和4年(1929)の復興を経て現在に至った。

先日散歩で壬生寺に出かけてみたとき、境内でこのポスターを見つけた。
梛神社は、壬生町界隈が氏子になっているらしく、このポスターがあったと思われる。

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東鳥居。

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駒札。

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今からの巡行の出陣準備が整っている。

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子供神輿の子供たちが赤いハッピでうれしそう。
見ていると親が心配そうに見つめていた。
行列が始まると子供の数だけ親が居る感じで、長い行列ができていた。
そのせいか、子供神輿だけ、巡行順路を変えている。

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鎮撫少年隊が集まっていた。子供神輿よりも一回り高学年のお兄ちゃんたちである。

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飾り馬も数頭用意されており、行列の中に引かれていった。

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私は後半、境内で待機していたが、次から次と、山車などが出て行った

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伝統の神事獅子舞を自治会全員で賑やかに奉納する。
この獅子舞は二人の獅子使いが獅子頭にユタンという胴衣をつけたものを被って、花笠、綾などを持った子役とともに、笛、太鼓、拍子木などの囃しに合わせて、種々の所作表現をしながら舞踊するもので、可憐優雅なものや軽快勇壮なもの、ユーモラスで曲芸的なものなど多彩である。
なかでも継獅子は獅子も童子もともに人の肩の上に乗り、立ち上がってアクロバット的な演技をするもので、『梛の継獅子』として特に有名。
梛八幡神社獅子舞の舞技は、郷土芸能としての真価が認められ、兵庫県無形民俗文化財の指定を受けています。


隼神社は、建甕槌神を主祭神とし、経津主神を配祀する。ただし、国史では祭神は「隼神」と記載されている。延喜式神名帳に「京四條坐一座 隼神社」として記載される古社で、大社に列している。延喜式神名帳には京中に3座3社が記載されているが、他の2社は廃絶している。
元は蛸薬師坊城(現 中京区壬生御所ノ内町)にあり、貞観2年(860年)に従五位下の神階を贈られ、天慶16年に従四位上まで昇っている。
江戸時代には隼は訛って「ハヤクサ」と読まれ、そこから瘡(くさ。皮膚病の一種)の平癒に霊験ありとされるようになった。
大正7年(1918年)、現在地の梛神社境内に遷座した。

こちらの例祭日は11月17日となっており、梛神社と一緒ではない。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-19 12:22 | (祭特集)祇園祭他 | Comments(2)

京都のど真ん中にある【繁盛神社】とは

京都のど真ん中にある【繁盛神社】とは


家の近くに、「繁盛神社」がある。
この神社の御祭神は宗像三女神である、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、 湍津姫命(たきづひめのみこと)であり、世に弁財天と申して7福神の一人で家内安全、 商売繁盛の守護神とされている。また、この三女神は浦島太郎伝説にも繋がる海にかかわる神であり、宇佐神宮にも神宮皇后、応神天皇とともに祀られている。
この神社の前は時々通るが、“繁盛などとふざけた名前が付いているな、このあたりの企業が集まって作ったのか”とも思っていたが、あにはからんや歴史のある立派な神社だった。(大変失礼しました)

約1000年以前(第56代清和天皇の貞観年中)当地は藤原繁成と言う武将の館があったところで、 館内に大きな「功徳池」と名付けた池があり、その中央の小島にその後(延喜の御代)安芸の宮島に鎮まる大神等を勧請し、 この地(現在の高辻新町)に御鎮座になったという謂れがある。
先にも述べたとおり、当神社の御祭神である三女神は、世にいう弁財天と言って7福神の一人で、家内安全、商売繁盛の守護神とされている。

ここは班女ノ社ともいう。
また、牛頭天皇の妃の針才女(はりさいじょ;実は弁財天)を祀るものであったが、音が似通っているため繁昌と誤伝したともいう。

鳥居には、『繁盛宮』の額が掲げられている。比較的小さな社である。

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神社の前には、このような「駒札」掲げられている。ここには神社に伝わる社伝が書かれている。

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毎年、例祭は5月20日、5月第三日曜日が神幸祭となっている。

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しかしながら本日は雨模様で、午後1:30出立の神輿巡行は生憎であったが、現場はやる気満々であった。
神輿も覆いをかぶされ、

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神職やお囃子も同様であった。
今は、午後一時。30分で晴れれば良いが。

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お参りする人も人数的には少ないが、ひっきりなしに訪れている。

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この神社の周りには、出店が見当たらないが、唯一ある出店で「繁盛焼;お好み焼き」を売っていた。
このご主人はネクタイを締めているのが目立っていた。

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この神社の掲示板には“新島八重のハンサムウーマン学”とあり、6月16日にシンポジュームが開かれるようだ。
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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-19 11:30 | Comments(2)

上賀茂神社第三摂社【大田神社】のカキツバタ。

上賀茂神社第三摂社【大田神社】のカキツバタ


大田神社の創祀は不明で、地主神を祀っていた恩多社(おんたしゃ)が始まりという古い神社のようだ。
この付近の沼・池を開墾して栄えた賀茂氏の崇敬をうけた賀茂の地の最古の神社とされている。
祭神は天鈿女命を祀っていて上賀茂神社(賀茂別雷神社)が鎮座して時に、摂社として崇敬を得て、延喜式にも載せられている古社である。昔から長寿福徳の神としての信仰がある。


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社殿東側には「大田の沢」と称する池があり、国の天然記念物に指定されている杜若(カキツバタ)が群生している。
5月上旬から中旬にかけて一斉に開花し、人出で賑わうがこの日(5月14日)も沢山の人出であった。
藤原俊成(しゅんぜい)もこの杜若を詠っていることから、平安時代から咲き乱れていたことになる。

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蛇の枕。
鳥居の前に石橋があり、その水路のところに石が見える。
これは、雨乞いの石と言われ、蛇が枕にしている。この石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという言い伝えがあるとのこと。

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神社を出て、直ぐの道を右に曲ると、「北大路魯山人生誕地」と書かれた石碑が建っていた。
建物は無かったが、元々ここに住んでいたなら、歴史ある家系かもしれない。

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と思いながら、駐車してある上賀茂神社に向かった。



この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-14 09:16 | Comments(2)

子供の日「鯉のぼり」高槻を散策

子供の日の「鯉のぼり」。高槻を散策


前日、テレビで高槻の鯉のぼりの風景が写っていた。
この鯉のぼりは、保育園・幼稚園・小学校など地域の活動から生まれたようで、まだ新しいのか聞いたことがなかった。しかし、数の上でもかなりの量のようなので、見てこようということになった。
早速、地図を見てルートを暗記して出かけてみたが、地図を逆に見ていたようで、反対方向に歩いていたらしく、4km位歩いたところで気がつき、結局この日の行程は12kmほどの強行軍となってしまった。

正規のルートに戻ると道標があちこちに建っていた。

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鯉のぼりは、芥川(あくたがわ)のやや上流の川幅の比較的広いところに架かっていた。
遠くから眺めても、近くで見ても新しくかわいい鯉のぼりであった。

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よく見るとこのような作成チームの名前が書かれているものが多くみられました。

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鯉のぼりを見終わって歩いていると、非常に珍しいザクロの木を見つけました。
黒く見えるのが昨年の実のようです。
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芥川の遊歩道を歩いていたら、ネズミのお化けに出会いました。
後で教えていただいたところ、ヌートリアという外来種の動物で毛皮採取のため輸入されたのが、不必要になり、野生化したもだそうです。

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町の所々に説明の駒札、説明板が沢山ありました。
ここも歴史も街ですから、案内に力を入れている者と思います。

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駅に通じるアーケード。
高槻は小ざっぱりとした、きれいな街のように感じた。

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きれいなお花屋さんがあったのでぱちり。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-05-13 09:58 | Comments(2)