<   2013年 10月 ( 17 )   > この月の画像一覧

二条界隈、高瀬川の起点 『一之舟入』

二条界隈、高瀬川の起点 『一之舟入』


二条大橋から下流を見るとこのように見える。

e0237645_1331134.jpg


現在、元フジタホテル跡に、リッツカールトンホテルが建築中。もう直ぐ出来上がりそうである。
でもここは、足の便がよくないだが・・・。

e0237645_135176.jpg


善導寺はリッツカールトンホテルの隣に位置する。
間口が狭く、チョット気になったのではいってみた。
堂前には嵯峨釈迦堂の本尊を模した釈迦三尊石佛がある高さ一メートル足らずの扁平の自然石を半肉彫りにしたもので、両脇には弥勒菩薩と五髻の文殊菩薩を拝する珍らしい形式で弘安元年(一二七八)の銘があった。

e0237645_1353190.jpg

e0237645_1354857.jpg

e0237645_136337.jpg


高瀬川には新調された10石船が置かれていた。
高瀬川は、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河であるが、ここは「一之舟入」といって、最上流となる。

e0237645_1361826.jpg

e0237645_1363927.jpg


この一之舟入から少し下流に、幕末の志士「佐久間象山と大村益次郎遭難之碑」が建てられている。
その向かいには桂小五郎の奥方「幾松」の料亭が建っている。

e0237645_1365779.jpg

e0237645_1371331.jpg

e0237645_1373250.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-29 22:38 | Comments(2)

夕方の 京都『東山界隈』

夕方の京都『東山界隈』


定番の散策の道は、いつも色々な顔を見せてくれるから飽きない。
この日も色々な顔を見せてくれた。

三条大橋をいつも渡るが、

e0237645_1415891.jpg


その前の三条河原町商店街には紅茶で有名な“LIPTON”がある。
何度か入ったが、色々なケーキがあり、なかなかいい。

e0237645_1414722.jpg


白川の方まで行くと、そこの商店街でかわいい家族をみることができた。(笑)

e0237645_1423448.jpg


光の加減か、知恩院の裏山が燃えているように、または紅葉しているように見えた。
しかし、紅葉はまだまだである。

e0237645_1422389.jpg

e0237645_1431056.jpg


知恩院の三門はいつ見ても雄大で素晴らしい。

e0237645_1425730.jpg


山を赤く染めていたのはこの夕日のようだ。

e0237645_1434877.jpg


知恩院から圓山公園を抜けて八坂神社に行くと、夕方だというのに結構な人出だった。

e0237645_1433248.jpg


 鴨川に出ると夕日も殆ど沈んでおり、“街の明かりがとてもきれいに・・・”といった感じでちらほら明かりが見えていた。

e0237645_1442561.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-26 01:11 | Comments(2)

古都京都のシンボル 『八坂の塔』

古都 京都のシンボル 『八坂の塔』


京都の「八坂の塔」は周りに高い建物がないのでひと際目立つ。
ここで有名な逸話は、ねねさんがこの塔の上から、大坂夏の陣の大坂城炎上を見ていた。と伝えられている。

この位置は、東から。

e0237645_1392710.jpg


これは下から眺めた画。大きなミカンの木が手前にあった。

e0237645_1395549.jpg


横の通りを登って行くと、「文の助茶屋」がある。

e0237645_1395644.jpg


更に上から眺めるとこのように見える。
このように澄み切った空を見ると、ここから大坂城が見えたのだろう。

e0237645_1402375.jpg


丁度修学旅行生が上がってきた。丁度画になる写真になった。

e0237645_1402949.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-26 01:03 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

中国道PAで見た驚きの 『夕焼け』

中国道PAで見た驚きの 『夕焼け



姫路城の帰りだった。
何処のPAだったか忘れたが、空が赤くなっていたのでしばし駐車して夕焼けを眺めてきた。

空の雲も変わった形をしており、陽が傾くまで眺めていた。


e0237645_128582.jpg


e0237645_130376.jpg


e0237645_1311791.jpg


e0237645_1305455.jpg


e0237645_1315746.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-26 00:51 | (風情)京都・関西 | Comments(2)

『本願寺の故地』 は拝観謝絶でひっそりと。

『本願寺の故地』 は拝観謝絶でひっそりと。



浄土真宗本願寺派は江戸時代初期、家康の宗教政策の一環として知恩院のこの場所から、現在の地「京都駅の近くに移され、更に強大な勢力の分割として、家康は東本願寺(大谷派)を起こししかも優遇して2つの勢力の均衡を保たせている。
その後、低迷していた浄土宗の3つ(知恩院、金戒光明寺、妙法院)の本山を作らせている。しかもこれらは城作りの構造となっているようだ。

故地の入り口には、このような石碑が建てられている。

e0237645_1241711.jpg


また、親鸞聖人御廟所とあり、ここは知恩院塔頭元大谷崇泰院と呼んでいたようだ。

e0237645_1254436.jpg


蓮如上人の生地ともある。

e0237645_1245122.jpg


中を覗いてみるとこのようになっている。しかし右手の建屋は朽ちかけているのが残念である。

e0237645_1261927.jpg


入口には、『拝観謝絶』とある。

e0237645_1252993.jpg



*幕末、京都守護職となった会津藩の駐屯地となったのは、金戒光明寺であった。
 いまでも駐屯地跡と京都での殉職者のお墓が残っている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-26 00:31 | (歴史)京都史 | Comments(2)

紅葉の時期が迫ってきた『清水寺』は・・・。

紅葉の時期が迫ってきた『清水寺』は・・・。


清水寺は、台風の合間をぬって急激に観光客が増えてきた。
紅葉にはまだ少し早いが、少なからず色づいてきているのがわかる。
ここは、あまり知られていないが、非常にみるべきところが多いところである。
知ってか知らずかとにかく観光客が多い。


e0237645_120561.jpg


バスで来る団体を除いて、徒歩で来るのが一般的だが、この坂道をぞろぞろと沢山の人が登ってくる。

e0237645_1211370.jpg


相変わらずの清水寺だが、風景のいくつをみていただきたい。

e0237645_1213044.jpg

e0237645_1214549.jpg

e0237645_12222.jpg


e0237645_1222161.jpg

e0237645_1224225.jpg


帰り、下りの写真だが、周りのお店をきょろきょろしているのがわかる。

e0237645_123087.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-26 00:27 | Comments(2)

ねねさんのお寺『高台寺』

ねねさんのお寺『高台寺』



鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派)
東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。寛永元年(1624)7月、建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行なったので寺観は壮麗をきわめたという。
現在旧持仏堂の開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台等が国の重要文化財に指定されている。 秀吉と北政所を「霊屋(おたまや)」に祀り、北政所像の下はその墓所となっている。須弥壇(しゅみだん)と厨子は華麗な蒔絵装飾が施され、桃山美術を代表する「高台寺蒔絵」として知られる。開山堂を中心に東西に広がる池庭は小堀遠州作と伝えられる。
尚、豊臣秀吉夫人(北政所)は天正16年(1588)に従一位に序せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。

駐車場を霊山観音と共にする高台寺は、以前はもっと広大な寺域を有していたようだが、今は斜面に張り付くように見える。
この地域は過去よく水が出て、お寺の下の街は「石塀小路」という位、水害対策がなされた路地となっているくらいである。

高台寺は庭園がきれいなところで、特に塔頭の圓徳院のモミジは有名で夜間特別拝観を行っている。

e0237645_1175596.jpg

e0237645_118031.jpg

e0237645_1182999.jpg

e0237645_1183734.jpg


高台寺の下を流れる“ねねの道”から境内までの坂道がある。
なかなか趣がある坂道で、“台所坂”という。境内に入る門。

e0237645_119748.jpg


下から眺めるとこのように見える。

e0237645_119121.jpg


前の駐車場から京都市内を眺めることができる。

e0237645_1195941.jpg



もう少し紅葉が濃くなったら、夜間拝観をしてみたい。が混むだろうなぁ!




この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-26 00:23 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都『鴨川』の風情

京都『鴨川』の風情


最近天気が不安定である。
しかしこの日は日課の1万歩散歩に出かけた。そのルートは鴨川・清水寺・高台寺・圓山公園・八坂神社・知恩院・青蓮院・祇園白川・河原町を経由して帰宅するといった感じである。
この他色々なバリエーションを入れるようにしている。

さて、前置きが長くなったが、「鴨川」は往復で通過するので、その時は周りをキョロキョロ見回す。
いつ見てもいい景色、そして画になる。
これがその一景である。

e0237645_153513.jpg


先日の豪雨で渡月橋近辺が洪水に見舞われたが、この鴨川も例外ではなくかなりの濁流に堤が幾らか破壊されていた。
しかしその後応急修理がなされた。今回も台風27号での大雨で鴨川も増水したが、応急修理が役割を果たしたようだ。

e0237645_1532244.jpg

e0237645_1533555.jpg


この日は穏やかな日で、鴨川にはアオサギが川の中央にまで進出していた。

e0237645_1534855.jpg


東山方面の済んだ空が印象的だった。

e0237645_154336.jpg


この栗の木は松原橋(旧五条大橋)の西詰めにあるが、7月から一向に変化がない。
早く身がなればとは思っているが・・・。

e0237645_1541974.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-25 01:50 | Comments(2)

少し秋めいてきた『円山公園』(京都)

少し秋めいてきた『円山公園』(京都)


久しぶりに圓山公園に行ってみた。といっても一週間振り程度であるが。
気温が急に下がってきたこともあり、行ってみると少し色づいてきているように見えた。

しかしいつ行っても画になるところである。

e0237645_138757.jpg


e0237645_1382936.jpg


e0237645_1401435.jpg


この写真の左手に見えるのが、有名な“しだれ桜”である。

e0237645_1402849.jpg


e0237645_1411335.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-25 01:36 | Comments(2)

趣のある 『なら町』 の風情 (4)史跡

趣のある 『なら町』 の風情 (4)史跡


暫く前に私一人で、元興寺に出かけてみた。
その時、“なら町”を抜けて行ったことを家内にその良さを伝えたところ、是非行ってみたいということになり、今回、私もゆっくり・じっくり見学させていただいた。

近鉄奈良駅から上がったところに、行基(ぎょうき)の銅像がある。
行基は聖武天皇に協力して、大仏殿の建設に寄与した僧侶である。

e0237645_23401555.jpg


奈良市橋本町の「奈良もちいどのセンター街」の入り口に用途不明の石があり、橋本町自治会(大橋守会長)と三条通り橋本商親会(藤林文和会長)が調べたところ、明治時代に建てられた県で唯一の「奈良縣里程原標」の台石とわかった。
両団体は「近代奈良の歩みを知る重要な手がかり。観光の新たなシンボルに」と里程元標を復元している。

e0237645_23405356.jpg


鎌倉時代には、大寺院の保護のもとに北市・南市、室町時代には中市が開かれ商業が発達した。
さらに社寺と結びついた手工業も発達し、郷に住む人たちの経済力、政治力が向上していく。
室町時代後半に下剋上の風潮がおこり支配層が混乱したため、郷に住む人たちはしだいに社寺の支配を離れて自治意識が高くなるとともに、町民として自立するようになっていった。
このような動きは、江戸幕府の支配権が確立するまで続いていく。
安土桃山時代には、郡山城に入った豊臣秀長の支配下におかれ、秀長が郡山の繁栄をはかり、強大な興福寺の勢力を抑えるため、ならまちの商業に統制を加えている。そのため、ならまちは一時沈滞したが、江戸時代に入って奈良奉行が置かれると、晒(さらし)や酒などで産業の町として活気を取り戻す。
江戸時代中期以降は、墨以外の産業が衰え、東大寺や春日大社の門前町としてようやく命脈を保っていたが、明治になってからは、ならまちにも文明開化の波がおしよせ、牛肉店、洋髪の散髪屋、カステーラ屋などができてきた。
そして明治22年には町制が、明治31年には市制が施行され現在に至っている。

このような中で元興寺旧寺域として形成された「なら町」は、新旧取り混ぜての発展をしてきている。
歴史的建造物もしっかり保存されている。

e0237645_23404818.jpg


e0237645_23413581.jpg


e0237645_2341347.jpg


e0237645_2342975.jpg


e0237645_23421287.jpg


e0237645_23425349.jpg


e0237645_23425811.jpg


e0237645_23433773.jpg


e0237645_23433731.jpg


e0237645_23441412.jpg


e0237645_23441190.jpg


e0237645_23444884.jpg


e0237645_23453889.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2013-10-22 00:00 | (紹介記事)関西 | Comments(0)