建仁寺(けんにんじ)は、京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院であるのはご存知と思う。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は源頼家、開山は栄西である。この頼家が開基というのは意外と知られていないと思う。京都五山の第3位に列せられている。
俵屋宗達の「風神雷神図」、海北友松の襖絵などの文化財を豊富に伝える。山内の塔頭としては、桃山時代の池泉回遊式庭園で有名であり、貴重な古籍や、漢籍・朝鮮本などの文化財も多数所蔵していることで知られる両足院などが見られる。
また、豊臣秀吉を祀る高台寺や、「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺である。
日本に臨済宗を正式というか本格的に伝えたのは栄西がはじめとされている。
建久2年(1191年)、虚庵から印可(師匠の法を嗣いだという証明)を得て、宋から帰国する。
当時、京都では比叡山(延暦寺)の勢力が強大で、禅寺を開くことはとても無理だった。鎌倉幕府が開かれたのが1192年だからこの時も叡山の力は強かったようだ。
そこで栄西は九州博多に聖福寺を建て、のちに北条政子の援助で正治2年(1200年)に鎌倉で建立された寿福寺の開山となる。
その2年後の建仁2年(1202年)、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の援助を得て、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。
創建当時の建仁寺は天台、真言、禅の3宗並立であった。これは当時の京都では真言、天台の既存宗派の勢力が強大だったことが背景にある訳で、純粋禅の寺院となるのは、創建から半世紀以上経た正元元年(1259年)には宋僧の蘭渓道隆が11世住職として入寺した時となり、栄西の時代には叶わなかったわけである。
建仁寺は、応仁の乱による焼失のほか、応永4年(1397年)、文明13年(1481年)などたびたび火災にあっており、創建当時の建物は残っていない。
伽藍は、
勅使門;重要文化財。寺の南側正面、八坂通りに面した四脚門。
平教盛の館門(平重盛の館門とも)を応仁の乱後に移築したものと伝えるが定かでない。様式的には鎌倉時代末頃の建築である。

栄西が日本に持ち帰ったお茶の木が垣根全面に使われている。


三門;「望闕楼」(ぼうけつろう)の別称がある。静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)の安寧寺から1923年に移築したもので、江戸時代末期の建築である。

法堂;仏殿(本尊を安置する堂)と法堂(はっとう、講堂にあたる)を兼ねている。
明和2年(1765年)の建立。また、平成14年(2002年)創建800年を記念して天井に小泉淳作により双龍の絵が描かれた。

方丈;重要文化財。室町時代の建物で、もと広島の安国寺にあり、安国寺恵瓊が慶長4年(1599年)に建仁寺に移築したもの。
各室には桃山時代の画壇を代表する画家の一人である海北友松の水墨障壁画があったが、現在は襖から掛軸に改装され、京都国立博物館に寄託されている。台風被害の復旧後は、日本画家橋本関雪による障壁画『生生流転』(しょうじょうるてん)『伯楽』『深秋』『蕭條』『松韻(寒山子)』(計60面、1940年完成)が設置されている。


*東陽坊;北野大茶会の際に千利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が好んだと伝えられる茶室。二畳台目下座床の席。構成・意匠ともに薮内家の燕庵に共通する点が多く見られる。大正年間に現在地に移築された。
この項 <完>
▲ by mo-taku3 | 2014-10-29 11:28 | Comments(0)



























































