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今年も凄い人出、紅葉の『嵐山』20141130

今年も凄い人出、紅葉の『嵐山』20141130


嵐山の紅葉を見ないでは、年を越せないとはちょっと大げさかもしれません。
それ位紅葉の素晴らしい所である。
私が毎年訪れる嵐山の名勝スポットは、嵐山公園から見た保津川峡谷は絶景ではないかと思っている。

この日は紅葉最後といっていい日と思われ、人出が凄かった。
嵐山公園の登ってまもなく、中国の周恩来首相が来日した際に建てられた、日中友好の碑があり中国語が飛び交っていた。

それでは、嵐山の紅葉をご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-30 15:20 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

紅葉の絨毯の『京都御苑(御所)』20141129

紅葉の絨毯の『京都御苑(御所)』20141129


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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-29 13:54 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

久し振りに訪れた見事な紅葉の『西明寺』(湖東三山の一つ)20141122

久し振りに訪れた見事な紅葉の『西明寺』』(湖東三山の一つ)20141122


西明寺は、金剛輪寺・百済寺と併せて(琵琶湖の)湖東三山(ことうさんざん)と呼ばれており、その縁起は古く平安時代や飛鳥時代までさかのぼる。
建築物や仏像、絵図など、国宝や重要文化財に数多く指定されている。
西明寺は、紅葉の名所としても有名で、見事な紅葉を目にすることができた。

枚数が多いが、情景が少しでも伝わればと思います。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-22 15:40 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

30数年ぶりに訪れた琵琶湖に浮かぶ『竹生島』20141122

30数年ぶりに訪れた琵琶湖に浮かぶ『竹生島』20141122


竹生島は、琵琶湖の北部に位置し、滋賀県長浜市早崎町に属する。
ここは、琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝及び史跡に指定されている。
古来、信仰の対象となった島で、西国33所三十番札所の「宝厳寺」・「竹生島神社(都久夫須麻神社)」、がある。
竹生島は神仏一体の聖地であったことから、神仏分離の際には混乱があった。しかしその後も、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によりこの島に幽閉され、隠居生活を強要されたのは有名な話である。

竹生島には定期船が発着する港が島の南側に一箇所あり、数店の土産物店と寺社はそこからすぐの所にある。寺社関係者ならびに店舗従業員はいずれも島外から通っているため、無人島となっている。
北の葛籠尾崎との間には湖底遺跡が発見されており、水深70メートルほどの湖底から多数の土器が引き揚げられている。
この土器は縄文時代初期から弥生時代、そして中世にまで及んでいるのが特徴で、このような遺跡は世界でも類をみなく、この原因は今なお調査・研究中のようだ。

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西国札所の宝厳寺の伝承としては、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりですいわれている。
行基は、弁才天像を彫り、ご本尊として本堂に安置し、翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しましたといわれている。
それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられている。
当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されている。
慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。
唐門が丁度改修中であった。しかし、堂宇の中で、ひときわ際立って見えた。

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本堂。

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三重塔。

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唐門から見た観音堂内部は後かな作りであった。

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桃山時代に造られた、「舟廊下」(重文)

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竹生島神社。

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カワラ投げの鳥居。

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河童の「湖上安全」(愛嬌)。

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*カワウの糞害
人が往来する場所は島の南の一部に限られているため、終日無人の北部にはカワウの大規模なコロニーが形成されている。その数は約2万羽にも達し、糞害 により木々のほとんどを枯死させるという景観被害を及ぼしている。
このような深刻な状況に滋賀県も対策に乗り出し、2004年度からは有害鳥獣駆除が実施され、2008年度、滋賀県は銃器による駆除を見合わせたが、その結果、生息数が激増。2009年には駆除の再開を余儀なくされている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-22 11:37 | (紹介記事)関西 | Comments(0)

絶妙な紅葉をふりまく『南禅寺』20141119

絶妙な紅葉をふりまく『南禅寺』20141119


南禅寺は、臨済宗南禅寺派の本山である。
1291年亀山法皇の離宮を無関普門(大明国師)が開山した。
室町時代は隆盛を極め、「五山之上」に列せられた。
応仁の乱で多くの伽藍が焼失したがその伽藍を‘黒衣の宰相’といわれた以心崇伝によって復興された。
境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に配置されている、禅宗の代表的な寺院である。
その周辺に12の塔頭が並び、永観堂もその一つであることは意外に知らない人が多いようだ。
三門(重文)は、“絶景かな、絶景かな(石川五右衛門)”で有名だが、実際は江戸時代に藤堂高虎の寄進されたものである。
方丈(国宝)は、大方丈と小方丈に分かれ、大方丈は御所の殿舎を、小方丈は、伏見城殿舎を移築したと伝えられている。
小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高い。大方丈の前庭(名勝)は伝小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られる。

南禅寺は、楓の木や桜の木が上手に配置されており、春の桜・秋の紅葉は見事であるとともに、観光客も多い。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-19 14:22 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

秋も美しい京都『哲学の道』の紅葉20141119

秋も美しい京都『哲学の道』の紅葉20141119


哲学の道のことは殆どの人がご存じとは思うが、紅葉の時期には私はあまり行っていなかった。
今回一連の散策の中で哲学の道を歩いてみたが、桜の木が主体であるため、かなり葉が落ち加減でもああった。
しかしさすがに名の知れた哲学の道である。
桜だけではなく、ドウダンツツジや楓もあり、紅葉の名所であった。

秋も美しい京都『哲学の道』の紅葉をご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-19 10:10 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

売出し中の紅葉の穴場、京都『真如堂』20141119

売出し中の紅葉の穴場、京都『真如堂』20141119


真如堂は東山散策のおりたまたま立ち寄ったのがきっかけで、その素晴らしさと静粛からここ10年、毎年訪れている。
また、ここから幕末会津藩本陣跡の前を通って(くろ谷)金戒光明寺繋がっている。

素晴らしい紅葉をご覧いただければ幸いです。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-19 09:40 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

同志社共同墓地に仲良く眠る『新島襄・八重』の墓20141119

同志社共同墓地に仲良く眠る『新島襄・八重』の墓20141119


『哲学の道』の終点に熊野若王子神社がある。
この神社の右手に沿って上った先に「同志社共同墓地」がある。
この共同墓地の中心に新島襄を中心とした大きな四角の囲いの中に、同志社の設立・発展に尽くした人たちのお墓が建てられている。
勿論、大河ドラマの主役であった、『新島八重』もお墓も新島襄に寄り添うようにつつましく建てられてあった。
ドラマに出てきた「山本覚馬」をはじめ徳富蘇峰のお墓もありました。

今まで哲学の道には何度も行ったがこの石碑を見るのはドラマを見てからだ。

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左手は「熊野若王子神社」。脇を抜けると墓地に続く。

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若王子山のてっぺんにある墓地までは結構な坂道が続く。

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このような駒札がたてられていた。
未だ新しい。多分ドラマをきっかけに建てられたものと思われるが、訪れる人には優しい。
また、墓石の配置図も貼ってあった。

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正面に新島襄のお墓。向かって隣に八重さんのこじっまりとしたお墓がある。
囲いが新しいのが気になる。

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山本覚馬のお墓。

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徳富蘇峰のお墓。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-19 09:30 | (歴史)京都史 | Comments(0)

幕末の会津藩の本陣があった『金戒光明寺』20141119

幕末の会津藩の本陣があった『金戒光明寺』20141119


真如堂と隣り合わせの金戒光明寺は色々特徴がある。
・茶々さんの妹のお江さん(徳川秀忠の奥さん)のお墓があり、寄進したものも幾つかみられる。
・源平の戦いで名をはせた熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が鎧をかけた松がある。また、ここで出家 もしている。
 ちなみに直実は、平家の公達である弱年の平敦盛(歌舞伎でも有名)を「一の谷の合戦」で打ち取ったことを
 悔やんで出家している。
・このお寺の山手には大きな墓地があるが、その左手奥に幕末京都守護職を授かった「会津藩の本陣」が置 かれていた場所である。今は戊辰戦争を含め幕末の騒動で亡くなった会津藩の方々の共同墓地となってい る。ここが本陣となった理由は、江戸初期に徳川家康が浄土宗三本山にテコ入れし、徳川の有事の時のた めにこの三山を城構えにしたところからだろうと思われる。
 三山とは、ここ金戒光明寺の他、知恩院・法然院である。
 知恩院に行くと“黒門”から入るとまさにお城である。
・後で写真が出てくるが、修業中の「アフロヘアーの菩薩石像」が墓地の入り口近くにある。

などなど、他にもあると思うが行って楽しいところでもある。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-19 09:00 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)

全国的に有名な京都の紅葉名所『永観堂』20141119

全国的に有名な京都の紅葉名所『永観堂』20141119


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この項 <完>

by mo-taku3 | 2014-11-19 08:20 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)