30数年ぶりに訪れた琵琶湖に浮かぶ『竹生島』20141122
竹生島は、琵琶湖の北部に位置し、滋賀県長浜市早崎町に属する。
ここは、琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝及び史跡に指定されている。
古来、信仰の対象となった島で、西国33所三十番札所の「宝厳寺」・「竹生島神社(都久夫須麻神社)」、がある。
竹生島は神仏一体の聖地であったことから、神仏分離の際には混乱があった。しかしその後も、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によりこの島に幽閉され、隠居生活を強要されたのは有名な話である。
竹生島には定期船が発着する港が島の南側に一箇所あり、数店の土産物店と寺社はそこからすぐの所にある。寺社関係者ならびに店舗従業員はいずれも島外から通っているため、無人島となっている。
北の葛籠尾崎との間には湖底遺跡が発見されており、水深70メートルほどの湖底から多数の土器が引き揚げられている。
この土器は縄文時代初期から弥生時代、そして中世にまで及んでいるのが特徴で、このような遺跡は世界でも類をみなく、この原因は今なお調査・研究中のようだ。


西国札所の宝厳寺の伝承としては、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりですいわれている。
行基は、弁才天像を彫り、ご本尊として本堂に安置し、翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しましたといわれている。
それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられている。
当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されている。
慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。
唐門が丁度改修中であった。しかし、堂宇の中で、ひときわ際立って見えた。

本堂。



三重塔。


唐門から見た観音堂内部は後かな作りであった。

桃山時代に造られた、「舟廊下」(重文)

竹生島神社。


カワラ投げの鳥居。

河童の「湖上安全」(愛嬌)。

*カワウの糞害
人が往来する場所は島の南の一部に限られているため、終日無人の北部にはカワウの大規模なコロニーが形成されている。その数は約2万羽にも達し、糞害 により木々のほとんどを枯死させるという景観被害を及ぼしている。
このような深刻な状況に滋賀県も対策に乗り出し、2004年度からは有害鳥獣駆除が実施され、2008年度、滋賀県は銃器による駆除を見合わせたが、その結果、生息数が激増。2009年には駆除の再開を余儀なくされている。
この項
<完>