<   2015年 01月 ( 28 )   > この月の画像一覧

【タイ旅行】⑮最後の晩餐(カレー・ディナー出国)20150127

【タイ旅行】⑮最後の晩餐(カレー・ディナー出国)20150127


いよいよ今回のツアーも終わりに近づいた。
アユタヤ観光も無事終わり、バンコクに戻ってきた。

e0237645_9582317.jpg


同行の皆さんと別れ、バンコクのホテルで預けてあった荷物を受け取り、迎えのJTBの車に乗り、家内と二人だけの最後の晩餐となった。
画にある通り結構なコースの料理となったが、トムヤムクンは最後まで駄目だった。
しかし、空芯菜の炒め料理は何故かおいしかった記憶がある。

e0237645_9585917.jpg


e0237645_9591525.jpg



空港まで送ってもらい中に入ると、このようなモチーフがあった。
タイの古典のモチーフではないかと思う。

e0237645_9592934.jpg


e0237645_1042734.jpg


やはり女性である。
最後の最後まで空港の免税店で色々探しまくっていたが、後で考えるとそれはそれで帰ってから有効だったことで、家内に感謝であった。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 17:15 | Comments(0)

【タイ旅行】⑭像のり体験20分(アユタヤ)20150127

【タイ旅行】⑭像のり体験20分(アユタヤ)20150127


象の背中の上から遺跡を眺めて王様気分を味あわせていただいた。

アユタヤ観光を一通り済ませた後、今回のツアーにプログラムされていた“像乗り体験20分”があった。
30人位いた方達で像乗りをしたのは10人だった。
皆さん乗られるのかと思ったが、20分体験は3組だけで出発した。
とにかく揺れが凄い。家内も酔いそうでどうしたものかと思いつつ、揺れに任せている内に、慣れてきて周囲を見れるようになったのは半分くらい過ぎてからだ。

写真を撮ってくれたり日本語で冗談を言ってくれたりサービス満点だった。
がしかし、像の鼻が伸びてきて象がチップを要求する。二度も要求されてしまった。
(注意書きに最近は無いと聞いていたのだが・・・。)
まあ、楽しかったからいいか。

象が通るルート標識まである。

e0237645_10385657.jpg


前を行く2組は快適そうに見えるが、相当な揺れである。
揺れないのは御者の所だろう。

e0237645_10391148.jpg


我々が載った像はまだ若い少し小ぶりの像である。
これは後で見た写真だが、なかなかよく写っている。

e0237645_10392924.jpg


この御者が写真を撮ってくれた面白い、愛嬌のある男である。

e0237645_10394375.jpg


背景の遺跡は多分「ワット・プラ・マハタート(木に埋もれた仏像の顔)」ではないかと思われる。

e0237645_104051.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 16:30 | Comments(0)

【タイ旅行】⑬モンコン ボピット(大仏)(アユタヤ)20150127

【タイ旅行】⑬モンコン ボピット(大仏)(アユタヤ)20150127



【 巨大な黄金座仏が安置されているモンコン ボピット(大仏) 】
ワット・パナンチューンというところにも更に大きなのがあると聞くが、ここのも引けを取らない大きな大仏が鎮座していた。

モンコン ボピットという名前の「モンコン」とは「吉祥」を意味し、「ボピット」とは「清浄」を意味している。
大仏は青銅製で、台座を含めた高さが16.95m、膝の幅が9.55mある。
ちなみに、奈良の大仏が像高. 14.98m(座高にあたります) 蓮華座高. 3.04~3.05mだから、かなり高さは似ている。

資料によると、
「スア王の治世には落雷のために大仏殿の屋根が落ち、大仏の頭も落ちてしまった。
その修復時に平らな屋根から現在のような屋根に変えたとのこと。
1767年にビルマ(現ミャンマー)に征服された後大仏殿は放置されてしまったが、ラマ5世の時代(1868~1910年)になって修復された。
1955年にビルマのウー・ヌ首相がアユタヤーを訪れ、ビルマがアユタヤーにした行いに対し謝罪して20万B(バーツ)を寄付し、それを使って翌年に現在のような大仏殿が出来上がったと伝わっている。」

傍に近づくとやはり大きな建物だ。

e0237645_1043851.jpg


入場は無料のようだ。
これは多くの人のお参りの対象になっているからだろう。
そういえばお寺でお金を払った記憶が無い。

e0237645_10433170.jpg


中に入ると、見上げる大きな金色の大仏が座していた。

e0237645_10434657.jpg


e0237645_10445543.jpg


e0237645_10451918.jpg


堂内には金属製の仏像が沢山鎮座していた。
信仰の強さを感じた。

e0237645_10441789.jpg


モンコン ボピットをでて、きれいに整備された庭で・・・。

e0237645_10481478.jpg


タイの桜の木である。

e0237645_10483063.jpg


タイの国花とガイドさんが言っていたがどうもこの花ではないらしい。

e0237645_10484557.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 16:14 | Comments(0)

【タイ旅行】⑫ワット・プラ・マハタート(アユタヤ)20150127

【タイ旅行】⑫ワット・プラ・マハタート(アユタヤ)20150127


この寺院「ワット・マハタート」はアユタヤー王朝3代目の王、ボーロマ・ラーチャーティラート1世により1390年に完成されたとされており、アユタヤ時代には重要な位置づけの寺院だったようです。(諸説ある)

中央には50mとも言われたロッブリー様式の大きなチェディ(仏塔)があったとされてますが、現在では崩壊していて見ることはできません。(説明板)
ここに限りませんが、ビルマ軍の侵攻により崩壊が激しく、仏像は殆ど全てが首を切られてしまってます。
また、長い年月の間に木に取り込まれてしまった仏頭があることでも有名です。

入り口付近からの眺め
いくつかの仏塔や頭のない仏像、頭だけのものなどが見えます。

寺院の建築は、中央にロッブリー様式の大きな仏塔があり、その回りを小さな仏塔が囲み、その回りを回廊が囲んでおり、礼拝堂と仏堂が東西にあったと推測され非常に大きな寺院です。


入り口には、まだ新しいこのようなお寺の表示があります。

e0237645_23255873.jpg


これが発見された時世界的に有名になり、この寺院を訪れる人が急増しているそうです。

e0237645_2326158.jpg


私も仏像にあやかって写真を一枚撮らせていただいた。

e0237645_23263084.jpg


寺院内を一回りして見るとまさに遺跡の中を歩いている感がどんどん伝わってきます。

e0237645_23271512.jpg


e0237645_23273460.jpg


仏塔や頭の無い仏像がこれでもかという感じで迫ってくるように思いますが、ここからはしばらく私と歩いた気分になって写真をご覧ください。

e0237645_23381310.jpg


e0237645_23275459.jpg


e0237645_23284926.jpg


e0237645_23292339.jpg


e0237645_23295063.jpg



発掘調査した結果から、在りし日の姿を復元した模型が置かれていました。
これを見ただけでも大きな見事な寺院だったようです。

e0237645_23304263.jpg


e0237645_23311574.jpg


e0237645_23314022.jpg



これだけ破壊されたのはアユタヤ王朝の重要な寺院だったからでしょう。
今はきれいに片づけられているので、壊された時の面影はないが、木に挟まれた仏像を見るとうっそうとしたジャングルに覆われいたのではないかと思われます。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 15:50 | Comments(0)

【タイ旅行】⑪ヤイチャイモンコン寺院(アユタヤ)20150127

【タイ旅行】⑪ヤイチャイモンコン寺院(アユタヤ)20150127


「ヤイチャイモンコン寺院」。
町中のどこでも見える巨大なチェディ(仏塔)と壮観な坐仏像が有名である。
しかし、もう一つここには大きな横たわる仏像(涅槃仏)があります。
バンコクの「ワット・ポー」にある涅槃仏ほどの大きさはないと思いますが、それでも大きい涅槃仏です。

「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」はウートーン王が1357年に建てたと伝えられています。
大きく壮麗な仏塔が立ち、周りは袈裟掛けした仏像が囲んでおり見ただけで圧倒されます。

仏暦2135年(西暦1592年)、ナレースワン王の時代にビルマが攻め入ってきたましたが、ナレースワン王は象上の戦いでビルマの王子に勝利しました。この勝利を記念して、「プラ・チェディ・チャイモンコン」と命名された「ヤイ チェディ」(大きな仏塔)が建立されたそうです。
この大きな仏塔は、王と兵隊の勇気と犠牲のシンボルとなっているそうで、その後、この寺院は「ワット・ヤイ・チャイモンコン」と呼ばれるようになりました。


ここには大きな涅槃像があります。
タイ各地には、大きな涅槃像が沢山あるそうですが。
ここの像は他に比べるとそんなに大きいものではないとのことですが、私の眼には充分な大きさです。

e0237645_23472016.jpg


顔が汚れているように思いますが、よく見ると金粉を張って“願”かけているようです。

e0237645_2347331.jpg


この「チェディ」と呼ばれるスリランカ式の仏塔で有名なこの寺院であすが、そのチェディの高さは72mといわれています。
この寺院は16世紀に、スリランカから帰った僧侶の為につくられた寺院だそうで、早速階段を上ってみました。結構きつい階段です。
今までも色々な寺院を回ってきましたが、何処も結構な高さに上ることができ、何処もすこぶる眺めがいい。

e0237645_23484467.jpg


e0237645_234924100.jpg


e0237645_23513962.jpg


e0237645_23515876.jpg



チェディを囲むようにずらりとならんだ坐仏像があります。
その表情も顔立ちも様々です。
スリランカから無事帰った僧侶の顔に似せているんでしょうか?

不思議なことに、他の遺跡の仏教寺院は、、かつてビルマに侵略された時には仏像の首が全て破壊されたままの首なし坐像ので置かれているのに比べ、、ここは全ての坐仏像が衣をまとい、、活き活きとしている。
きっと霊験あらたかなんだろう。

e0237645_23523514.jpg


e0237645_2353742.jpg


改めて角度を変えてみるとこのようになる。

e0237645_23533335.jpg


e0237645_23542726.jpg


この日は暑かったことが記憶にある。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 15:02 | Comments(0)

【タイ旅行】⑩バン・パイン離宮(アユタヤ)20150127

【タイ旅行】⑩バン・パイン離宮(アユタヤ)20150127


多様な様式の建物が並ぶバン・パイン離宮です。

バン・パイン宮殿は1632年にプラサート・トーン王によって建造され、その後もアユタヤー王朝の歴代君主が夏用の離宮として使用してきたものです。
王朝の減亡後は荒廃したようですが、ラーマ4世(1851―1868)により再建され、現在もここは王室が所有してますが、王室関係者の公式訪問など特別な時しか使用しないので、通常は一般に公開されているようです。
敷地内にある建物はタイの伝統様式や東洋・西洋の技法を用いたものなどががあり、建造にあたった王様の趣向を表しております。
中でも湖の中央にあるタイ風建築のアイサワン・ティッパートは特筆されるといっていい。

バスを降りて集合した場所に建っている銅像。(プラサート・トーン王か?)

e0237645_2028117.jpg


川に囲まれていることが分かる地図。
残念ながら全然内容はわからない。

e0237645_20312851.jpg


「プラ・ティナン・アイサワン・ティッパート」。
プラサート・トーン王(1629―1656)がチャオプラヤ川に浮かぶバンパイン島に僧院を建て、歴代の国王が夏に過ごす別荘として利用されていたそうです。
現在は国王の別荘住居およびレセプション会場として使用されています。

右側が、「ギリシャ様式の宮殿」
園内では個性豊かなヨーロッパやアジア風の建物を見ることができます。

e0237645_20321622.jpg


大きな長い池を横断するする橋とお話するようになったご夫婦と一緒に借りたカートで、約2~3kmのコースを回ることができました。
旅も後半に入り疲れもあったのでホッと一息というところです。

e0237645_20333258.jpg


大きな池がありその周囲を建物が取り巻いているような感じになっています。

e0237645_2034770.jpg


「プラ・ティナン・ワローパート・ピーマン」。
1876年に建てられた西洋風建築。謁見の間として使用されています。

e0237645_2035226.jpg


「プラ・ティナン・ウィトゥン・タサ」は、1881年築の3階建ての塔・最上階からは緑豊かな園内の風景が見晴らせます。
ポルトガル様式の天文台で、ラーマ4世が天体観測をしたポルトガル様式の天文台ホ・ウィトゥン・タサナー。

e0237645_20384154.jpg


「プラ・ティナン・ワローパート・ピーマン」を上から眺めるとこんな感じです。。

e0237645_2044447.jpg


「プラ・ティナン・ウェーハート・チャルムーン」は、1889年築の人木は大きい中国風建物です。
雨季などに住まいとして利用されていたこの宮殿は、動物が描かれた床のタイルから細かい装飾に至るまで、すべて中国の資材が用いられているとのことで、その他、伊万里焼の壺や、ラーマ5世の寝台なども展示されています。

e0237645_20441966.jpg


室内の撮影は一枚だけOKだそうです。(意味がよくわからないが?)

e0237645_20443297.jpg



カンボジアを先に回ってきたせいか、ここだけではなく色彩の美しさが際立っている感じを受けています。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 14:57 | Comments(0)

【タイ旅行】⑨日本人町旧跡(アユタヤ)20150127

【タイ旅行】⑨日本人町旧跡(アユタヤ)20150127


小学生の頃、山田長政の伝記を読んだ記憶がある。
アユタヤでは英雄だったことが頭にずーっとあった。

今回ここに来るのも一つの楽しみだったが、子孫もいないし跡かたも見当たらない。唯一石碑があるのと資料館があるだけだった。

日本人町が出来上がった当時(14世紀頃)の状況は、日本の戦国時代にあたり、浪人となった者の行き場所の一つとして流れて行くようになった。
更に、関ヶ原の戦いや大坂の陣などあとはかなり噂も相まって新天地を求めて渡航が増えていったという。
の後である。
タイはタイの事情もあったようで、当時ビルマの王朝に軍事的に押されており、経験豊富な浪人の傭兵を必要としていたようである。

しかし1630年に長政が暗殺され、謀反の疑いをかけられ町が焼き払われ住民も虐殺された。
1635年の鎖国令も日本人勢力の衰退つながったようだ。
その後一時再建されたが、18世紀初め頃にはタイ族と同化していったようだ。

「アユチア日本人町の跡」と書かれた石碑があり、その左手に資料館がある。

e0237645_20132848.jpg


資料館の中には年表、江戸時代の資料・武器・生活用品などが展示されていた。

e0237645_20143576.jpg


e0237645_20145153.jpg


e0237645_2015449.jpg


e0237645_20151474.jpg



e0237645_20155227.jpg


特に感想はないが、もっと何かが残されているかと思ったが少し残念な気がした。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 13:39 | Comments(0)

【タイ旅行】⑧ランチ・クルーズ(アユタヤ)20150127

【タイ旅行】⑧ランチ・クルーズ(アユタヤ)20150127


タイに入って2日目、今日はアユタヤ観光である。
JTBのパンフレットを見ると、盛り沢山の内容で全部は記憶に留まらないような気がしている。しかしせっかくのチャンスなので貪欲に見聞きしてきたいと思う。

何処の観光会社でも、このランチクルーズが載っているので、きっとこれは定番なのだろう。

やはり、JTB専用の昨日と同じ桟橋から乗ることになり、色々なツアーの人たち30人ほどが集まっている。。

e0237645_2061553.jpg


こちらもご同様に豪華客船ではないがそれなりに“川クルーズ”ように体裁が整えられてえいるようだ。

e0237645_2062776.jpg


昨日同様、市民の足として使われてるせいか、チャオプラヤー川は沢山の船が行き交っている。

e0237645_20652100.jpg


この日は天気がよかったが、こうゆう日は船首と船尾にシートがあり、ゆったりとした気分で左右の景色を眺めることができる。

e0237645_20758.jpg


立派な広い操舵室があり、船長が舵をとっている。

e0237645_207181.jpg


左手に昨日観光した、ワットアレン(暁の寺)が美しい。

e0237645_2074260.jpg


タイの王家もよく船を利用するようで専用の船を持っており、広い敷地に色々な施設が見える。

e0237645_208052.jpg


前に大きな新しい橋が見えている。
これはどこかの援助で造られたものなのか?

e0237645_2081761.jpg



橋をくぐり更に進むと、高床式の住居が並んでいる。
これは雨期になると水位がここまで来ることを想定して造られているとのことだった。
そういえば、バンコクの街中も大洪水になったとの報道が日本にも伝わってきていたのを思い出した。
このチャオプラヤー川の水位が上がり被害を及ぼすのだろう。

e0237645_2083293.jpg


e0237645_2091532.jpg



料理の時間になり、相席になった方たちと併せてこのような内容となった。
ランチとしてはまあまあなのか?

e0237645_20105185.jpg


e0237645_2011670.jpg


e0237645_20112060.jpg



このアユタヤの旅では、紳士・淑女のOさん御夫婦と御一緒することができ、会話をしながら楽しい時を過ごすことができ、一層の記憶を作ることができたことを感謝している。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-27 08:30 | Comments(0)

【タイ旅行】⑦タイ伝統舞踊ショ―(バンコク)20150126

【タイ旅行】⑦タイ伝統舞踊ショ―(バンコク)20150126


タイバンコクの市内観光をすませて、夕食は「アナンタラ バンコク リバーサイド&スパ」にあるレストランにて、古典舞踊を見ながらインターナショナルビュッフェ」とあったがここではタイの古典舞踊をご紹介する。

踊りはカンボジアもタイもよく似てるように、日本人の私からは見える。
会場風景と古典舞踊をご覧ください。

e0237645_103352.jpg


e0237645_10331917.jpg


e0237645_10335064.jpg


e0237645_1034446.jpg



e0237645_10343694.jpg


e0237645_1035134.jpg


司会の娘は美人だったので写させていただいた。ラッキー!

e0237645_10351228.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-26 19:30 | Comments(0)

【タイ旅行】⑥タイのホテルにて(バンコク)20150226

【タイ旅行】⑥タイのホテルにて(バンコク)20150226


タイのJTBはかなりの規模のようだ。
我々が泊ったのはデュシタニ(The Dusit Thani)ホテルという。一応5つ星のホテルとのことであった。
ガイドさん曰く、このホテルはJTBと関係があるらしい。(ガイドさんはJTB保有のものだと言っていた。)
ホテル内には賓客社や有名人の来場者の紹介写真がたくさん載っていた。不思議なことに日本人は見当たらなかった。

カンボジアのシェムリアップ空港から、バンコクのスワンナプーム国際空港に着いたのは夜も21時前だった。
ガイドさんが迎えに来てくれていてホテルに連れて行ってくれたが、その車中で今日の夕食でルームサービスがついているので、おいしいという「タイ風焼きそば」をお願いしておいた。

部屋に入ってシャワーでもと思っていた矢先チャイムが鳴ったので覗いてみると、約束通りのルームサービスだった。
あえてこれを書いたのは、おなかは減っていなかったにもかかわらず、「タイ風焼きそば」が絶品だったからである。

さて、ここはホテルの出口の方であるが、入り口も同じような看板がある。

e0237645_1026650.jpg


あまり日本では目にしない飾りもある。

e0237645_102630100.jpg


広いロビーが幾つかあるが、メインのところは滝が見え、生演奏の音楽が流れていた。

e0237645_10264470.jpg


e0237645_1026568.jpg


e0237645_10272163.jpg


夜になって帰館すると、夜は夜であでやかな明かりに照らされていた。

e0237645_10294954.jpg


ホテルの外庭にはお守りの社が置かれていた。

e0237645_10301768.jpg


ホテルのすぐ横にはモノレール?と思われるのが駅があった。

e0237645_10304411.jpg



*カンボジアもそうだったが、ホテルの食事は、朝・夕ともにビュッフェ形式が定着していたのには多少の驚きがあった。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-01-26 14:48 | Comments(0)