京都円山公園の『安養寺と吉水弁財天女』20150429
平安時代の初期、比叡山延暦寺を創建した最澄が開基し、ここを「吉水坊」と称したと云われています。
その後、法然(浄土宗)が30数年間ここを本拠に「称名念仏」を唱え、親鸞も入信したが、専修念仏弾圧で荒廃といわれています。
1385年、国阿が入寺して、時宗(じしゅう)に改めて興隆したといわれています。境内に子院六阿弥坊(中の重阿弥で赤穂浪士が円山会議を開いた。)があったが、明治後期に消失し、今は本堂、書院、弁天堂と料亭「左阿弥」を残すだけとなっている。
また、同寺の山号慈円山が円山公園の名称のもとになったそうである。
一方、「吉水弁財天女」は安養寺の手前にある。
この吉水弁財天は、慈鎮和尚が安養寺を守護する為に、弁財天を祀りその地が吉水(綺麗ないい水が湧き出る良い水が、吉水となった)といわれていたことから、吉水弁財天と呼ばれるようになった。
弁財天とは、仏教の守護神で女の神様ですが、よく知られているお姿は、手に琵琶を持ち面立ちのふっくらとした平安美人を思わせる神様です。
吉水弁財天は縁結びや恋愛などにも御利益があるとされ、祇園界隈の女性の信仰も厚いそうです。
また、弁天さんなので、芸能、芸術、財運、商売繁昌の御利益もあります。
境内の一角に、法然上人閼伽の水「吉水の井」がある。
閼伽と書いて「あか」と読み、仏に供える水のことを云うそうで、法然上人がこの井戸から水を汲み、仏に供えたことから法然上人閼伽の水という名が付いたという。
境内には「御滝場」があり、従来はその奥から水が流れ落ちていたのであろうが、今はその水も枯れてしまい、悠久の時が流れ、はるかはるか昔を思う景色のみが残っているのである。
この項
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