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昨年奈良野見丘陵で買った『ベランダの紫陽花』20150531

昨年奈良野見丘陵で買った『ベランダの紫陽花』20150531


我が家のベランダはなかなか育たない。枯れてしまうことが多い。
もちろんたまには旅行で何日か家を空けることもあるかなのです。

しかし去年、奈良馬見丘陵公園で買ってきた、気にいっている2種類の「アジサイ」はかなり工夫して育ててきた。水もちのいい方法を考えたりした結果、見事に咲いてくれた。
それがこれらの花である。

ご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-31 11:49 | 個人関係情報 | Comments(2)

関西花の寺『久安寺』はなかなかの名刹20150530

関西花の寺『久安寺』はなかなかの名刹20150530


神亀2年(725)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が開創した。
天長年間(824~834)に弘法大師在留し、真言密教道場として栄えた「安養 院」が前身とある。
保延6年(1140)安養院は灰塵に帰したが、薬師如来像、阿弥陀菩薩像は消失を免れ、本尊千手観音像は岩 の上に飛行して、光明を放ったと伝えられている。
久安元年(1145)に、桜門、堂塔伽藍、四十九院などが再興され、久安寺と改称された。
安土桃山時代には、豊臣秀吉が参詣し、江戸時代には歌人平間長雅が在住して観音信仰を広め、盛衰を繰り返す中で法灯を護持 されてきた。
昭和興隆事業により、諸堂を造営し、ア字山とバン字池からなる庭園「虚空園」の整備、旧伽藍跡に霊園および仏塔を造営し、現在は花の名所及び観光修行道場となっている。


「軒反り」という稀有な技法による美しい楼門(国・重文)から、北へ350m、真っ直ぐに参道がのびる。
その東側に薬師堂、西側に本堂と阿弥陀如来坐像や薬師如来立像、釈迦涅槃図などを祀る阿弥陀堂があり、四方四仏の曼荼羅に整えられている。

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本堂があり、北側には虚空園が広がる。
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両果(りょうが)の道と呼ばれる参道の東にカエデが生い茂るア字山(生命)、西にバン字(心)池を配し、瞑想する仏の世界を具現化している。
4月下旬から5月上旬にかけて、バン字池の周辺にはボタンが次から次と花びらをほどき、虚空園を鮮やかに輝かせる。それは、まさに典雅の華に彩られた西方浄土。

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そしてアジサイの植込みが続く参道を進むと、6.4mもの涅槃像を祀る舎利殿涅槃堂である。
山々を背後にした1万坪に及ぶ久安寺は全域が密教教学の曼荼羅思想による庭になっており、ここに身を置くことで即身に仏性の花が咲くのである。

その途中には行基像を中心にかわいい小像が囲んでいる。

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摂丹街道(国道423号線)を北へ行き、久安寺を目指すと、この辺りは日本有数の植木の産地である細河地域になる。
16世紀初めには既にボタンが大規模に栽培され、江戸時代には各藩大名に親しまれることになってブームがおきたといわれている。
こんな土地柄もあって、久安寺には境内の環境によく合った草木が数多く植え込まれ、季節ごとに見事な花景色を披露する。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-30 15:07 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

西国(24番)札所『中山寺』(宝塚)20150530

西国(24番)札所『中山寺』(宝塚)20150530


中山寺(なかやまでら)は、兵庫県宝塚市にある真言宗中山寺派の大本山。
山号は紫雲山。本尊は十一面観音。西国三十三所第24番札所である。
中山寺の「鐘の緒」は、女性の大役である出産の無事安泰を祈る「安産の腹帯」として、本邦随一の霊跡と、古来よりその伝統をもち、深く信仰されてきました。
ことに幕末には、中山一位局が当山の鐘の緒を受け明治天皇を安産されてより、、「安産の寺」としても有名となり、安産を祈る人々が全国から腹帯を戴きにきている。お参りの大半がそのようです。

中山寺は、聖徳太子の創建によるわが国最初の観音霊場といわれる。
御本尊は十一面観音菩薩で、インド勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿をうつした尊像と伝えられている。
日本霊跡三十三所観音巡拝がとなえられると、『極楽中心仲山寺』と称されて、中山寺は第一番札所ときまったが、のち花山法皇のおんとき巡礼の道順にしたがい、第二十四番札所となった。

創建以来、千四百年に及ぶ歴史を誇る中山寺は、多くの物語でかざられ、謡曲「満仲」や歌舞伎「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」は、平安中期に多田源氏満仲の信護をうけた時代の、当山にまつわる美女丸・幸寿丸の哀話から創作されたものとのこと。

豊臣秀吉は当山に祈願して秀頼をさずかったといわれている。
現在の伽藍は、秀吉亡きあと秀頼が片桐且元に命じ伽藍を再建している。これが現在の伽藍です。
幕末、明治天皇御平産祈願のおんこともあって、いよいよ霊徳を高め、全国からあつまる大勢の参詣者で毎日にぎわっています。

お寺の前の道は狭い道である。
近くに車を止めて、入り口に行くと仁王門に出会う。

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腹帯なのか絵馬のように沢山ぶら下げられている。

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長めの参道を進むと本堂の前は階段になっている。
しかし妊婦さんが沢山訪れることを想定してか、エスカレータが設置されている。

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この階段の手前には手水舎?があり、

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その先には閻魔堂がある。

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それを過ぎて階段を上がると本堂になる。

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お堂が幾つもあり、珍しい「五百羅漢堂」があった。

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本堂への上下のエスカレータ。

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御朱印

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-30 14:15 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(2)

西国(25番)札所「清水寺」(加東市)20150530

西国(25番)札所「清水寺」(加東市)20150530


清水寺(きよみずでら)は兵庫県加東市にある天台宗の寺院で京都の清水寺と区別するため播州清水寺と通称よばれる。
山号は御嶽山。本尊は十一面観世音菩薩で秘仏となっている。
寺伝では1,800年前(古墳時代)、天竺(古代インド)の僧、法道が創建したとされ、627年(推古天皇35年) に推古天皇直々に根本中堂を建立している。
さらに725年(神亀2年) 聖武天皇が行基に命じて講堂を建立したと伝える。

法道は天竺から紫の雲に乗って日本へ渡来したとされる伝説上の人物である。
朝鮮半島から日本へ仏教が伝来したのは6世紀のことであり、「1,800年前に法道が創建」との伝承は後世の付託であろう。
法道開基を伝える寺院は兵庫県南部に集中していることから、「天竺から紫の雲に乗って」云々はともかくとして、その由来につながる仏教者がこの地に存在したことが想定される。

1913年(大正2年)の山火事で全焼し、現存の諸堂はそれ以後の再建である。
本堂にあたる根本中堂の本尊十一面観音像は秘仏。大講堂本尊の千手観音坐像(大正時代作)は秘仏でなく拝観可能である。西国三十三所の札所本尊は大講堂の千手観音像である。

山門。この前は大きな駐車場となッているが、下からここまで上ってくるまでがかなりの距離となる。

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薬師堂があり、堂内は薬師如来を囲んで十二支が囲んでいる。

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大講堂

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鐘楼があり、鐘は手前に引いてつくことができる。

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根本中堂(本堂)

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大塔(多宝塔)跡。

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時期外れのシャクナゲが見事に咲いていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-30 11:05 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(6)

「融通念仏の道場」で有名、清涼寺(嵯峨釈迦堂)20150527

「融通念仏の道場」で有名、清涼寺(嵯峨釈迦堂)20150527


五台山(ごだいさん)清凉寺(せいりょうじ)は、京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。
嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名でも知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。
宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。

もとこの地には、源融(みなもとのとおる)の山荘棲霞観(せいかかん)があったが、これが後に寺となって棲霞寺と称した。
永延元年(987)ちょう然(ちょうねん)上人が、愛宕山を中国の五台山に模して清凉寺を建立しようとして志半ばで没し、弟子の盛算がその遺志を継いで棲霞寺内の釈迦堂をもって清凉寺としたのが起りである。

境内には以上の他、宝物を収蔵展示する霊宝館、法然上人求道青年像、豊臣秀頼首塚などがある。


「五台山」の額が掛かる仁王門をくぐる。

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境内図。
仁王門から本堂には真っ直ぐではない斜めの参道が続いている。
以前、松島にある「瑞巌寺」が城造りになっており、そのため仁王門の外から本堂が直接見えないような構造になっているとの聞いたことがある。
ここもそうなのか?と一瞬思った。

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本堂の手前左手に「多宝塔」がある。

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霊宝館を見学してきた。
なかには国宝・重文がぎっしり展示されていた。阿弥陀三尊像、十大弟子像、四天王立像、文殊(もんじゅ)菩薩騎獅像、普賢菩薩騎象像、兜跋(とばつ)毘沙門天立像(いずれも重要文化財)等が安置されている。
写真を撮れなかったのは残念であるが、仏像群が特に素晴らしかった。
写真の代わりに説明書をご覧ください。

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正面に三国伝来の釈迦像を安置する本堂(釈迦堂)がある。
現在の本堂は、元禄14年(1701)徳川五代将軍綱吉(つなよし)、その母桂昌院(けいしょういん)、大阪の豪商泉屋(後の住友)吉左衛門らの発起により再建されたものである。
本堂内には、本尊釈迦如来立像(国宝)及び地蔵菩薩立像(重要文化財)を安置する。

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本堂の裏手には大方丈に繋がる回廊があり、回廊を通り庭をめでながら、その先の大方丈には写経の部屋などがある。

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嵯峨天皇の皇子・ 左大臣源融の別荘・栖霞観(せいかかん)があったところには、このような説明板があった。

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源融(みなもとのまもる;光源氏のモデルと云われる)のお墓。

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豊臣秀頼首塚がある。

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経堂(後述)の内部はなかなか見どころがある(別途奇祭状況)。

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境内には、奝然上人、源融、嵯峨天皇、檀林皇后の墓などがあり、境外北側墓地には、遊女夕霧太夫及び十萬上人の墓がある。

*融通念仏とは
融通とは溶け合い和合することです。
分かりやすい例を考えると、「砂とセメントと水は、それぞれその形も働きも異なりますが、この三者が溶け合って和合すると強固なコンクリートになる」のも融通です。
融通念仏は、念仏が相互に融通して大きな力となることをいいます。すなわち念仏を称えることによって、人と人、人と物、物と物とのすべての関係の上に融通和合の世界を自覚し、苦脳と迷いのこの世を喜びに満ち溢れ、悟りの智慧かがやく楽土(浄土)にすることをめざした教えです。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-27 12:52 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

(番外)清涼寺の阿弥陀堂と経堂について20150527

清涼寺の歴史と阿弥陀堂、及び経堂20150527



この寺の歴史には、阿弥陀三尊を本尊とする棲霞寺(せいかじ)と、釈迦如来を本尊とする清凉寺という2つの寺院が関係している。
この地には、もともと、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(822年 - 895年)の別荘・栖霞観(せいかかん)があった。
源融の一周忌に当たる寛平8年(896年)、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺と号した。その後天慶8年(945年)に、重明親王妃が新堂を建て、等身大の釈迦像を安置した。一説では、「釈迦堂」の名の起こりはこの時であるという。


阿弥陀三尊像を安置した阿弥陀堂。これを棲霞寺と号した。

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さて、入口の仁王門を入ってすぐのところに一切経堂があった。
正面に中国風の仏像が三体(正面;大士像、両脇;普浄・普現像)並んでり、歓迎しているのかのように柔らかい表情をしている。
一切経堂の中に一切経を納めた輪蔵があり、その輪蔵を押して一周回すと一切経を読んだと同様の功徳があるとのことで、やってみた。
なお、一切経とはお釈迦様の教説にかかわる一切のことで、よくわかりませんが経・律・論の三蔵及びそれらの注釈書を総称して言うそうです。輪蔵を回した効果の方は、あまりないように感じました。

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四天王像が周りを囲んでいる。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-27 11:23 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

季節外れの暑さの中「嵯峨野散策」20150527

季節外れの暑さの中「嵯峨野散策」20150527

嵯峨野を散策してみた。
何処にも寄らず歩き続けてみた。
皆さんンも見慣れた画面が出てくると思うので懐かしさでご覧になってほしい。

まず落柿舎。垣根の複数の木々(種類)で囲われていた。

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常寂光寺である。
ここの紅葉は素晴らしいが、あきにまた顔をだそう。

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大河内山荘。しばらく行ってない。

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やはり竹林は嵯峨野の目玉だ。
外人が沢山パチパチやっていた。

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藤原定家と関係ある慈眼堂。中院観音ともいう。

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直ぐ横には、藤原定家が営んだ中院山荘跡があり、小倉百人一首ゆかりの地でもある。

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このような土産物売り場があちこちに出来上がってきている。

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しばらく進むと二尊院がある。

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続けて落柿舎の住人だった、向井去来の墓蹟が見える。

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野宮神社。
色々なご利益があるようだが・・・。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-27 11:16 | Comments(2)

嵯峨野にある理容・美容の神様「御髪神社」20150527

嵯峨野にある理容・美容の神様「御髪神社」20150527


小倉池の前にひっそりとたたずむ御髪神社。
日本唯一の理容・美容(化粧品・洗髪剤・育毛剤・カツラ等)にたずさわる人たちの始祖を祭神とする神社である。
藤原鎌足の末孫、藤原政之公を祀っている。
この御仁は、亀山天皇の御代(1259~1274)、宮中の宝物係であった藤原基晴卿が、宝物紛失の責任をとり、諸国行脚し下関に居を構えた。
その三男の政之公が生計を助けるため髪結職を始めたのが髪結業の始祖とされ、後に彼らが仕えた亀山天皇の御陵に近いこの地にこの神社が建立された。
現在、理髪業者の信仰が篤く、境内には髪を納祭する髪塚がある。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-27 11:05 | Comments(2)

小楠公(楠正行)の首塚がある「宝筐院」20150527

小楠公(楠正行)の首塚がある「宝筐院」20150527


宝筐院(ほうきょういん)は、京都府京都市右京区嵯峨野にある臨済宗の単立寺院。
室町幕府2代将軍・足利義詮と南朝の忠臣・楠木正行(小楠公)の菩提寺である。
(ちなみに楠公は楠木正成)

平安時代に白河天皇の勅願寺として建立され、当初の寺名は善入寺と称した。
南北朝時代に夢窓疎石の高弟・黙庵周諭が中興開山し、黙庵に帰依した足利幕府二代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)によって観林寺と寺名を改められるが、ほどなく善入寺に戻された。
南朝の忠臣・楠木正行(くすのきまさつら)もまた黙庵に帰依しており、彼が四條畷の戦いにおいて、足利方の高師直・師泰兄弟と戦って敗北した後は、黙庵によってその首級をこの寺の敷地内に手厚く葬られたという。
その正行の敵でもある足利義詮は正行の人となりを尊敬しており、正行の埋葬を知ると、「自分の逝去後、楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」との遺言を残したと言われる。
貞治5年(1367年)、義詮の死後ほどなく、正行の墓(五輪石塔)の隣の墓(宝筐印塔)に葬られている。
その後、8代将軍・足利義政の代に、その寺名は義詮の院号である宝筐院に改められたという。

このお寺はきれいに整備され、花のお寺といっていいほど色々なお花がさいていた。

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ここが楠木正行と足利義詮とがならんで建てられている墓所である。

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向かって右が正行。左が義詮である。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-27 10:31 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(4)

西国(第7番)札所『岡寺(龍蓋寺)』(奈良県明日香村)20140927

西国(第7番)札所『岡寺(龍蓋寺)』(奈良県明日香村)20140927


岡寺(おかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺院。
東光山真珠院龍蓋寺といういい、本尊は如意輪観音である。
史料によれば、天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされている。史料上の初見は、天平12年(740年)7月の写経所啓(正倉院文書)である。
寺の西に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)境内からは奈良時代前期にさかのぼる古瓦が発掘されており、創建当時の岡寺は現在の治田神社の位置にあったものではないかといわれている。
現在は真言宗豊山派の寺院だが、義淵僧正が法相宗の祖とされていたため、江戸時代までは興福寺の末寺であったようだ。また、江戸時代以降は長谷寺の末寺となっている。


仁王門(重要文化財に指定されている)。

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仁王門の横には「日本最初厄除観音」の石碑が建っている。

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入山すると直ぐに手水舎があり、本堂がある境内は高台にある。

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本堂 は 文化2年(1805年)建立されている。
日本最初といわれる、「塑造如意輪観音坐像」が安置されている。

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丁度読経をあげられているところだった。

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三重塔 - 昭和61年(1986年)再建とのこと。

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仁王門から本堂に上がる坂のところには、樹齢500年以上の皐月が大事に育てられている。

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白い彼岸花?が咲いていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-05-23 15:56 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(1)