『武信稲荷神社のエノキと龍馬・お龍の逢引き』20150729

『武信稲荷神社のエノキと龍馬・お龍の逢引き』20150729

坂本龍馬とおりょうさんの逸話があるこの『武信稲荷神社』は、京都千本通り三条商店街を少し東に行き南に下がった所にあるこじんまりとした神社です。

武信稲荷神社は貞観元年(859年)に創祀されて以来約千百年を経て現在に至る歴史のある神社です。
その間には色々な逸話が伝わっています。そのうちの一つが江戸時代末期の坂本龍馬とおりょうさんのお話です。こんな逸話が残されています。
「神社のすぐ南側には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり、幕末、勤王の志士が多数収容されていました。
その中に 坂本龍馬の妻おりょうさんの父親である楢崎将作が青蓮院宮(勤王)の医師であったため捕らえられていました。
おりょうさんは父の身を案じ龍馬と共に何度か近くに訪れるが、当時女性が牢獄へ面会できることもなくまた龍馬も危険な身のため、おりょうさんは神社の大木の上から様子を伺ったと伝わっています。
その後龍馬は身を隠すことになりますが、おりょうさんは龍馬の安否の確かめるためにもちいた手段が、武信稲荷神社の榎に彫られた『龍』の字だったと云います。
その龍の字は龍馬独特の字で彫られ、それを見て元気であることの伝言としたようです。」

この逸話に登場する御神木の榎(えのき)は、樹齢約850年以上いわれ、その生命力から健康長寿の信仰が厚い。また榎は「縁の木(えんのき)」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られています。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-29 14:31 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

平安京の東寺と並ぶ 『西寺跡地公園』 20150729

平安京の東寺と並ぶ 『西寺跡地公園』 20150729


桓武天皇による平安遷都が、794(なくよ~)年行われました。
その前には京都の西に当た「長岡京」では天皇が信頼するものの暗殺があり、それに伴う皇太子(早良親王;のち崇道天皇の諡)の廃嫡・処刑などにより、平安京への遷都が行われた。

その平安京では真ん中南北に幅80mの朱雀通りが通り、その南の出口に羅城門があり、この羅城門を挟んで東に【東寺】、西に【西寺】が建てられた。

その後京都は火災・戦乱に合い、当時は何とか保存されてきたが、羅城門と並んでこの【西寺】が消滅してしまったわけで、この西寺跡がこのような公園に保たれている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-29 10:59 | (歴史)京都史 | Comments(2)

『平安京の羅城門址』と矢取地蔵寺20150729

『平安京の羅城門址』と矢取地蔵寺20150729


平安京の中央に位置する朱雀大路(今の千本通)と九条通との交差点にあたり、平安京の正面として南の京極に当たるヶ所に羅城門が建てられていた。
しかし、平安時代の中後期、社会の乱れとともに、右京地区(西側)が衰え、この門も次第に荒廃していった。
当時、盗賊のすみかとなり、数々の奇談が伝わっている。
その話を取材した芥川龍之介の小説による映画「羅生門」は、この門の名を世界的に有名にしたが、今は、礎石もなく、わずかに明治28年建立の標石を残すのみである。

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云い伝えによると、東寺の弘法大師(空海)と西寺の守敏僧都(しゅびんそうず)は、色々な術比べをして対立していたという。
守敏僧都は、参内すると凍った水を湯のような水にしてみたり、火鉢の火を消してみせたりと、帝にさまざまな加持(術)を行ってみせたという。
帝はそのことを空海に伝え守敏僧都をほめると、仏法を手品のように扱うことを嫌った空海は「私がいるところではできないでしょう」と云ったことから、帝は、空海を物陰に隠し守敏僧都を呼び出して同じ術を見せてもらうことにしたが、陰で空海が逆の術をかけていたことから、守敏僧都の術はうまくいかなかったという。


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地蔵堂の「矢取地蔵」は、高さ1.5メートルで、右手に錫杖、左手に矢羽根のはげた矢を2本握っている。
空海に恥をかかされた守敏僧都は、羅城門で空海を待ち伏せし、背後から矢を射かけた。するとそこに黒衣の僧が現れ、矢はその僧の肩口を貫いた。
空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩で、地蔵堂の「矢取地蔵」の右肩には矢傷のあとが残っているという。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-28 11:02 | (歴史)京都史 | Comments(1)

祇園祭も終盤に近づき『後祭り』が始まる20150723

祇園祭も終盤に近づき『後祭り』が始まる20150723


今年(2015年)から祇園祭の山鉾巡行は、先祭り(7月17日)と後祭り(24日)の2つに分けて行われることになりました。

古来この祇園祭は、神事の中心となる
 ・7月17日の神幸祭(しんこうさい)と山鉾巡行の前祭(さきまつり)
 ・7月24日の還幸祭(かんこうさい)と山鉾巡行を後祭(あとまつり)
の2回の山鉾巡行が行われていました。

それが、1966(昭和41)年を最後に、翌年1967(昭和42)年より、7月17日の1回に統合されてきました。
頭語された理由は人口の増加や観光客の増加などにより2度の交通規制などの交通事情やかかる費用に加え、観光客の方々から山鉾を一度に見たいという希望があった事が統合された理由だったようです。
その後、2013(平成25)年までの48年間、山鉾巡行は、7月17日の1回だけ行われてきました。

長年行われていなかった後祭ですが、昨年から復活となりました。
後祭復活の理由とは、
1000年以上続く祇園祭の本来の形を、正しく後世に残すため」と云うことだそうです。
昨年(平成26)年の復活になったのは、新たに復活する山鉾があるためそれに合わせて後祭を復活させよう!という流れが起きたからです。
その復活する山鉾が「大船鉾(おおふねほこ)」といい、実に150年振りの復活です。

この大船鉾(おおふねほこ)の歴史は、1864年の「蛤御門の変」で鉾の木組みや車輪などを焼失しまい、以来、巡行には参加できず、大火を免れた御神体や懸装品(けそうひん)を披露する「居祭(いまつり)」)で祇園祭に参加してきました。
(2014年3月末までは、徐々に再建されていく大船鉾の木組みが京都駅前の「ヨドバシビル」1階で公開されていました。)

大船鉾は、同じように船の形をしている船鉾と比べると、1.126倍ということです。

祇園祭後祭りでは、この大船鉾が最後尾で、山鉾巡行を締めくくる役割となっています。

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※後祭りは少しさみしい。何故ならば出店もなく宵宮が盛り上がらないからです。
 このお祭りは京都の宝だから官民一体となって盛り上げていくことが必要と思いました。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-23 19:18 | (祭特集)祇園祭他 | Comments(0)

「床もみじ・床みどり」の岩倉実相院20150719

「床もみじ・床みどり」の『岩倉実相院』20150719


ここは初めての訪れである。
庭はきれいだし、変わった磨かれた床に映し出される庭の景色が何とも言えない風情がある。
また、東山を望む庭園もきれいに整備されて素晴らしい。

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東山を望む庭園。

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中庭の庭園。(箱庭にしては広い。

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これが「床みどり」。
ここは写真撮影禁止となっている。
この2枚の写真は貼ってあったポスターの写真である。うつりがわるいのご勘弁ください。

実物はもっときれいです。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-19 16:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

下鴨神社では禊の「みたらし祭」20150719

下鴨神社では禊の「みたらし祭」20150719


下鴨神社の夏の風物詩の一つに「みたらし祭(御手洗祭)」がある。

平安時代、季節の変わり目に貴族は禊祓いをして、罪、穢れを祓っていた。
現在は下鴨神社の夏の風物詩として根付いており、土用の丑の日に御手洗池の中に足をひたせば、罪、穢れを祓い、疫病、安産にも効き目があるといわれている。
祭当日、裸足になってみたらし池をすすむ「足つけ神事」には、老若男女が集まり、御手洗池で膝までを浸し、無病息災を祈る。
御手洗池から取れた黒い小石は「かん虫封じ神石」としての信仰があり、この日に限り授与されている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-19 14:24 | (祭特集)祇園祭他 | Comments(0)

再び訪れた『千本釈迦堂』20150719

再び訪れた『千本釈迦堂』20150719


何故かまた行ってみたくなっていってみた。
多分一番古いお堂ということと「おかめ」さんに引かれたのだろう。(笑)

千本釈迦堂大報恩寺は今から約800年前、鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創された寺で、
お寺としては比較的新しい部類にはいっている。
しかし不思議なことに、応仁の乱や文明の乱においても両陣営から手厚き保護を受け、奇跡的にも災火をまぬがれ、本堂は創建時そのままのものであり、京洛最古の建造物として国宝に指定されている。
義空上人は、藤原秀郷(平将門の乱を鎮めたことで有名;私には昔読んだ本から「田原の藤太」の方が馴染がある。)の孫にあたり、19才で比叡山澄憲僧都に師事、拾数年のちこの千本の地を得て、苦難の末本堂をはじめ諸伽藍を建立したそうだ。

現在は、真言宗智山派の寺院で、千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)とも呼ばれている。
中世建築の本堂は、京都市街地では最古の木造建築である。

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「北野経王堂願成就寺」は北野社から縮小移築されたものである。
このお堂にまつわる逸話はこの説明を読んでいただきたい。

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室町時代の明徳の乱の首謀者「大内氏清」の石碑。

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良妻賢母のおかめさんにちなんだ「阿亀桜」。

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おかめさんの像。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-19 13:21 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

台風一過の『鴨川』の増水20150718

台風一過の『鴨川』の増水20150718



京都は鴨川と桂川という大きな川が二本流れており、大雨が降ると水位が上昇し、昨年は桂川が嵐山の一帯で堤防を越える大水が出てほと騒動があった。
この川は鴨川であるが、前日の大雨によりかなり水位が上がり、普段遊歩道として親しまれている河川敷の道も冠水されたようである。

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このように「床」支柱の所に水位を示す洪水時の草が絡まっている。
完全に横の遊歩道が完遂したことがわかる。

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木屋町を流れる高瀬川も普段見られないような濁水が流れていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-18 00:41 | (紹介記事)京都 | Comments(0)

『祇園祭2015宵々宮』その③20150715

『祇園祭2015宵々宮』その③これぞ祭 20150715


祭の山鉾も人気はあるが、なんといっても家族連れや若者は出店が大人気となっている。
こんなかんじで賑わっているが毎年新しいタイプの店が出現するのが面白い。

天気がいいと山鉾界隈は混み一方通行になってしまうため、見て回るのに一苦労である。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-15 21:30 | Comments(0)

『祇園祭2015宵々宮』その②船鉾 20150715

『祇園祭2015宵々宮』その②船鉾 20150715


私の大好きな船鉾です。毎年組立から宵宮まで3回は見に行きます。
いい形がしてますねぇ~。
ほれぼれとします。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-07-15 21:15 | Comments(0)