石庭で有名な『竜安寺』も観光客満載20150920
石庭で有名な「龍安寺」はここ数年境内を積極的に整備しており10数年前に羽見られない立派な境内となっている。
ここは石庭で有名だが、春に訪れた時の枝垂れ桜の素晴らしさが印象に残っている。
龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。(現在も臨済宗妙心寺派)
初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。
創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったと云われている。
龍安寺は、応仁の乱(1467-1477年)によって焼失するが、勝元の子の細川政元と4世住持・特芳禅傑によって、明応8年(1499年)に再興された。
その後、織田信長、豊臣秀吉らからも寺領を付与されている。
江戸時代に造られた名所案内書である『都名所図会』(安永9年(1780年)刊行)を見ると、当時、龍安寺の鏡容池はオシドリの名所として知られており、今日有名な石庭よりも、池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名であったようである
寛政3年(1791年)に京都奉行所へ提出された古地図には23か寺の塔頭があったが、寛政9年(1797年)の火災で方丈、仏殿など主要伽藍が焼失したため、塔頭の西源院の方丈を移築して龍安寺の方丈(本堂)とし、現在にいたっている。
その後、明治初期の廃仏毀釈によって衰退するが、イギリスのエリザベス女王が1975年に日本を公式訪問した際、龍安寺の拝観を希望し、石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも報道され、世界的にも知られるようになった。
現在では。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
さて、石庭は勿論健在で、外国人の訪問者の多いのには驚かされる。
これは上の理由もあってのことだろう。
ここからが有名な石庭です。
これは「枯山水の方丈庭園」です。
また皆さん石庭、石庭というが襖絵も見事ですが、残念ながら昭和になって書かれた襖絵だそうです。
元々は江戸時代初期の作品があり、桃山時代の様式を色濃く踏襲した狩野派の名品でした。
残念なことに明治の廃仏毀釈で龍安寺を離れアメリカに流出してしまったのです。
現在この襖絵は龍安寺にも日本にもありません。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館などの所蔵となっています。
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龍安寺方丈襖絵のうち6面が帰還
明治初期の廃仏毀釈の影響により、明治28年(1895年)に寺から出て以来、115年ぶりの2010年10月に龍安寺方丈襖絵のうち6面が帰還した。
東本願寺に売却後、伊藤傳右衛門など個人の手に渡るなどして散逸したもので、その一部は米国シアトル美術館などが所有している。
2010年に戻った襖絵は、狩野派の作と言われる「群仙図」20面のうち4面と「琴棋書画図」20面のうち2面で、米国のオークションに出品されたものであるが、イギリス人の仲介により、龍安寺が落札した。
この襖絵は2010年12月から2011年3月まで、帰還後初めて一般公開された。
他に所在の確認されているものは、米国メトロポリタン美術館所蔵の8面(襖4枚の表裏)、シアトル美術館所蔵の4面、イギリス個人所蔵の9面の計21面である。
この項
<完>