ハウステンボス「花と光の王国」20151031

ハウステンボス「花と光の王国」20151031


ハウステンボスに訪れたのは10月31日。丁度ハロウィンの日でした。
見るところは色々ありますが印象に残ったものを紹介します。

この日から、「花と光の王国」と銘打って半端ないLEDのイルミナーションが素晴らしい光景を表現してくれていました。
その光景をご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-10-31 15:39 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

熊本城の王昭君の間(秀頼公招聘)20161031

熊本城の王昭君の間(秀頼公招聘)20161031



築城400年を記念して、平成202008)年に復元完成したのが「本丸御殿大広間」です。

過去の資料や文献、明治以降に撮影された写真、出土品などを手がかりとして、築城当時の姿の「本丸御殿大広間」が復元されました。

その本丸御殿大広間のなかでも、特筆は一番格式が高い部屋の「昭君之間」です。壁やふすまなどに、中国の漢(かん)の時代の悲劇の美女・王昭君の物語が描かれていますが、この王昭君は前漢10代元帝の女官で匈奴の呼韓邪単于に嫁がされた中国四大美女の一人といわれています。
「昭君之間」という名前は、実は「将軍之間」の隠語で、加藤清正が豊臣秀吉の遺児である秀頼を熊本城に迎え入れるために用意したという説があり、昭君の間は質素倹約を地で行く加藤清正としては意味深いものです。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2015-10-31 10:22 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(0)

天下の名城『熊本城』と加藤清正の仕掛け20151031

天下の名城『熊本城』と加藤清正の仕掛け20151031



熊本城には震災前の2015・10/31に行ってきた。
その後昨年不幸にも地震災害があり、大変な被害をこうむりました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

さて、地震にあう前の熊本城の雄姿をご紹介します。
熊本城はご存知のように、加藤清正が豊臣秀頼を迎えるために難攻不落の城を築いたと巷では噂されている。
その証拠となるのか、煌びやかな内部の御殿が実際に存在している。それが王昭君の間という部屋とのこと。見事なというより絢爛豪華である。
しかし、加藤清正は大坂の陣に見ることもなく早世している。
原因は急に体調が悪くなったことから、家康の毒殺説がささやかれもしている。
病死説もあり真実は闇である。

この城の堅固さは明治になって証明されている。
西南の役で西郷軍が近代的な大砲を使って攻めても堕ちなかったことから、あらためて城造りの名人、加藤清正の凄さが証明されている。
それにしても、これだけ堅固な城が自然の力に勝てなかったということだった。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2015-10-31 09:39 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(0)

平家の落人の隠れ里『五家荘』20151030

平家の落人の隠れ里『五家荘』

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2015-10-30 15:46 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(0)

②『唐崎の夜雨』で名高い唐崎の松(琵琶湖)20151003

②『唐崎の夜雨』で名高い唐崎の松(琵琶湖)20151003


近江八景「唐崎の夜雨(やう)」で知られる名勝唐崎神社で欠かすことのできない霊松「唐崎の松」 はJR湖西線「唐崎駅」下車 徒歩 15 分の所に位置します。

『日吉社神道秘密記』によりますと、舒明(じょめい)天皇5年頃(633年頃)、琴御館宇志丸(ことのみたちうしまる)が唐崎に居住していて、庭前に松を植えそれを“軒端(のきば)の松”と名付けたことに始まるそうです。
日吉大社西本宮のご鎮座伝承では、童の姿に身をやつした大神様が船に乗ったまま松の梢(こずえ)に上がるという神事を行ったと云われ、それ以来神聖視されるようになったそうです。

諸記録によりますと、初代の松は天正元年(1573)に大風によって倒れ、二代目は天正19年(1591)当時の大津城主 新庄直頼公等により植えられたようです。
この二代目の松は、姿・形がまことに均整がとれて美しかったようです。
しかし、それから約100年後に描かれた浮世絵「唐崎夜雨図」では枝が琵琶湖まで達し、同時期の版画にも枝の東西54m・南北68.4mという注記があり途方もない大きさになっていたことがわかります。
さらに明治初期の由緒書には高さ27m幹廻り11m、枝東西72m・南北86mと記録しています。
その頃の写真が長崎大学附属図書館に所蔵されているそうです。

現在の3代目の松は、笠をふせたような美しい姿と湖岸のヨシ、元禄時代のものらしい燈篭などが造る風景は一幅の墨絵のようです。
芭蕉がここで詠んだ、「唐崎の松は花より朧にて」 という句は有名です。
そばに立つ唐崎神社は日吉大社の摂社です。

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天気がいいとこのように近江八景の「唐崎の夜雨(やう)」から見る琵琶湖の景色が素晴らしい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-10-03 14:37 | (風情)京都・関西 | Comments(2)

①日吉大社(坂本)の摂社の一つ「唐崎神社」20151003

①日吉大社(坂本)の摂社の一つ「唐崎神社20151003

唐崎神社(からさきじんじゃ)は、滋賀県大津市にある神社で、日吉大社の摂社の一つである。
琵琶湖西岸に位置し、境内は近江八景の一つ「唐崎の夜雨(にう)」で滋賀県指定史跡になっている。

日吉大社の社伝によれば、舒明天皇6年(633年)、琴御館宇志丸宿禰がこの地に居住し「唐崎」と名附けたといい、祭神はその宇志丸宿禰の妻(女別当命(わけすきひめのみこと))とされています。
社(やしろ)は持統天皇11年(697年)に創建されたと伝えられ、かつては「女別当社」と呼ばれ、婦人病に霊験ありとして広く信仰を集めたようです。
境内には、宇志丸宿禰が植えたのに始まるとされる「唐崎の松」があります。
子の松は、境内から琵琶湖を背景に唐崎の松を描いた歌川広重の「唐崎の夜雨」で知られており、近江八景に選ばれています。
宇志丸宿禰が植えた初代の松は天正9年(1581年)に大風で倒れ、天正19年(1591年)、大津城主だった新庄直頼の弟・新庄直忠が2代目の松を植えた。2代目も大正10年(1921年)に枯れ、現在のものは3代目になってます。

また一説によると、創建は持統天皇の御代の697年と伝えられます。
古来より天皇や国家の大事の災いを祓い清める七瀬之祓(ひちせのはらい)の一つとして定められていた由緒ゆかしき神社です。
今も女人の信仰が篤く、特に女性の下の病気の平癒に御利益をいただけると信じられています。
毎年7月28日と29日の「みたらし祭」の「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」と呼ばれる茅の輪くぐりは健康を祈願する神事で、琵琶湖上では厄払いを祈願する神事として「願い串のお焚き上げ」が行われます。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-10-03 14:16 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)