見事な光景を醸し出す【常寂光寺】の紅葉20151123

見事な光景を醸し出す【常寂光寺】の紅葉20151123



紅葉の時期になると必ず訪れる場所がこの嵯峨野にある「常寂光寺」である。
何がいいかと云えば、写真を見てもらえれば一目瞭然にお分かりいただけると思う。
今年は、あまりきれいな紅葉では無いが、それでも紅葉の絨毯も含めて砂らしい光景を醸し出している。

とりあえず雇用の様子をお届けしよう。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-23 09:48 | Comments(2)

横浜港の夜明け(インターコンチH)20151121

横浜港の夜明け(インターコンチH)20151121


関東方面に行く時の定宿は過去のしがらみから横浜インターコンチネンタル ホテルと決まっている。
かなり上の方の窓からの景色はすばらしいが、朝早めに目が覚めると丁度朝日が上がるところだったのでシャッターを切ってみるときれいに朝日が写ってくれた。
また少し明るさが増してくると、ベイブリッジが写っていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-21 06:10 | (風情)日本の四季 | Comments(0)

源頼家と【指月殿】(修善寺)20151120

源頼家と【指月殿】(修善寺)20151120


修善寺から数100mの所の高台にこの「指月殿」があります。
この建物は伊豆最古の木造建築と言われ、北条政子が2代将軍源頼家の菩提所として建立したものです。
指月とは経典を意味し、それを収める経堂でした。(経典は殆ど散失している。)
本尊は釈迦如来坐像(静岡県指定文化財)は、蓮の花を持った禅宗式という珍しい形をしており、杉を中心にした寄木造りで高さ203cmもあり、この種の像としては伊豆最大のものです。
仁王像は、本尊よりさらに古く藤原時代の作と言われ、修善寺の全盛時には寺門の入口を守っていたとされています。
指月殿の扁額は、元の名僧一山一寧(いっさんいちねい)の書といわれ、これは複製ですが、実物は修禅寺本堂に保存されています。


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修善寺から数100m歩き、坂道を登った先にこの「指月殿」があります。

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指月殿の後方の石段を登ると、2代将軍源頼家のお墓があります。
写真の碑は、元禄16年(1703年)頼家の五百回忌にあたり修善寺16世筏山智船(ばっさんちせん)和尚が建てた供養碑です。裏側にある二基の五輪石塔がお墓です。
北条氏によって二代将軍の座を奪われた源頼家は、修禅寺に幽閉され、翌年暗殺された。
頼家の冥福を祈るために、母の北条政子が建てたという指月殿の横にある。

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指月堂から東へ行った所に、頼家に従って亡くなった侍臣達を供養した十三士墓がありました。

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※源 頼家 (みなもと よりいえ) (1182年- 1204年)
鎌倉幕府の第二代将軍(在任1199年 -1203年)であり、源頼朝の嫡男です。
母は北条政子。正室は比企能員(ひきよしかず)の娘若狭局。幼名は万寿。左金吾とも呼ばれています。

正治元年(1199年)父頼朝の急死により家督を相続。
建仁2年(1202年)7月22日征夷大将軍を宣下。
源氏の嫡男として期待されていましたが、父の死後専横になった北条氏を押さえ側近や妻の実家である比企氏を重用する独断的な政治が目立ったため、母方の北条氏を中心とした有力御家人は将軍の権力確立を阻むべく十三人の合議制をしき、頼家の独断を抑制します。
その後、建仁3年(1203年)8月、頼家が急病で危篤に陥ると、死後の相続は子の一幡(いちまん)と弟源実朝に分譲する合議が出されます。
反発した比企氏は、病床の頼家に北条氏の専断を訴え討伐を計りますが、逆に翌9月2日に滅ぼされ(比企能員の変)ます。
数日後病から回復した頼家は、9月7日に尼御台政子の命で将軍職を剥奪され伊豆修善寺へ幽閉され、代わって弟の実朝が3代将軍となります。
元久元年(1204年)7月18日、頼家は修善寺で北条時政により、入浴中に暗殺されました。(享年23歳)










この項 <完>





by mo-taku3 | 2015-11-20 13:50 | (歴史)全国史 | Comments(0)

伊豆『修善寺』は雨が降っておりました。20151120

伊豆『修善寺』は雨が降っておりました。20151120


関東旅行は毎年何かにことよせて行っているが、そろそろ行くところのネタが切れてきて、関東ではないが伊豆に行ってみようということになり、じゃあ何処に行こうということから、殆ど回っている中でも修禅寺に行ってなかったということが分かり、どんな所かも知りたくて行くことになったしだいです。
伊豆は色々な歌でも歌われ小説にもととにかく話題が多い所ですが、よく考えてみると知らない所でもあったわけです。

さて、修禅寺はお寺の名前から来ていることも希薄だったが、立派なお寺もあり金倉幕府に繋がる遺跡も残っており、やはり見ると聞くでは大違いということが分かった。
このお寺は、807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられ、その後の約470年間は真言宗だったそうです。その当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われ、『延喜式』には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の大寺院であったそうです。
修禅寺と呼ばれるようになったのは鎌倉時代初期のようです。
このお寺には、源頼朝の弟の源範頼(のりより)と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家(よりいえ)が幽閉され、その後この地で殺害されたことが知られている。

特に、頼家についてはその遺児の公暁丸がそそのかされ、鶴岡八幡宮の大銀杏の陰から飛び出し、頼家の弟で3代将軍の源実朝(さねとも)を殺害したことに繋がっています。(これは全て北条氏(特に時政)陰謀と云われています。)

少し横道にそれましたが、建長年間(1249年 - 1255年)に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆が避難のために来住し、それに伴って臨済宗に改宗されています。
蘭渓道隆は、南宋の理宗から「大宋勅賜大東福地肖盧山修禅寺」という額を賜り、大陸にまで修禅寺の名を広めた。しかし、この寺額は1863年(文久3年)の火災で焼失しています。
その後、伊豆を収めた北条早雲が、彼の叔父の隆渓繁紹に曹洞宗の寺院として再興させています。


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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-20 11:17 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(0)

昔の仲間【サポセン京都同窓会】総集編20151108

昔の仲間【サポセン京都同窓会】総集編20151108

今回は第2回目となる【サポセン京都同窓会】が二年振りに京都で行われました。
11月6日~8日の日程で、紅葉の季節を迎えつつある京都に11名が集まり和やかに始まり、また再開を約束して解散しました。
皆さんお年寄りになってきましたが、足腰は勿論お口も達者でかなり盛り上がりました。
二次会は前回に続きカラオケに行きましたが、思いがけない人の美声が聞けたりで楽しく過ごしました。
観光も選んだ場所が紅葉になりかかったところや、国宝の仏像や、特徴のあるお寺など結構満喫していたのではないかと思います。

そして早々に次回(来年)は2泊3日で奈良を回る企画がまとまり、日程も決まりました。
また忙しくなりそうです?

①早出組の4名のうち、K子さんが帰られるのに合わせて皆で昼食となりました。
 M子さんはお孫さんの運動会で遅れて参加です。

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②初日の最初の観光はリーダーからのリクウェストもあり、「北野天満宮」となりました。ここは景観がいいのと 紅葉が始まっており、しかもお茶とお菓子も出てスタートとしてはGood でした。
 皆さん拝んでましたが、少しはご利益を頂けるといいのですが・・・。

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③ここは秦河勝(はたのかわかつ;帰化人)建立の古いお寺で、有名な「弥勒菩薩坐像」があるところです。
 皆さんは久しぶりの仏像拝顔のようで満足していただけたようでした。
 桜も咲いていました。

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④夜は夜間展望の予定を入れたため、早めにホテルの戻ってみんなで会食をしました。
 約一名お酒を欲しがる人がおり、制止が効かず皆で宴会となりました。これも満足の一つでしょう。

*紹介が遅れましたが、レンタカーも借りました。
 運転手はK美さんにお願いしました。最後までしっかり運転をしていただき、皆さんで感謝!感謝!。

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⑤19時頃ホテルを出て、青蓮院の別院となる山の上にある新築なった「将軍塚青龍殿」に行き京都の夜景を 眺めていただきました。
 肉眼ではまあまあでしたが、きっと昼間の方がよかったかもしれません。少し残念でした。

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⑥さて恒例となった京都「祇園」での二次会です。
 皆さんおしゃべりや、カラオケを満喫してたようです。
 特にAさんは町内会のカラオケサークル?で本格的にやられているようで、発声・リズム・抑揚どれをとって も申し分ない状態でした。びっくり3つです。
 他の人もあちこちで歌いこんでると見えてプロ級でした。

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⑦二日目は朝早くから混まないうちの観光地回りと決め込んだことと、少しでも紅葉が眺められるところを目
 指して「鷹が峯」に出かけました。
 このお寺は源光庵といって、最近売り出し中のお寺です。
 特徴は、丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」があり、また本堂の天井には、伏見城の遺構で、落城の悲劇 を伝える血天井です。

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⑧次は直ぐ近くにある、光悦寺です。
 鷹が峯は本阿弥光悦が徳川家康から、知行地として受けたところで、この地区の中心がこの光悦寺です。
 ここは琳派の基盤であり、琳派は本阿弥 光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって発展した ものです。
 光悦寺の紅葉はすでに皆さんの目を楽しませてくれていました。
 しかも、鷹が峯三山もよく見えて、眺めのいいとことでした。

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⑨ここは常照寺と云って、お寺も立派ですが、島原遊郭の吉野太夫が帰依していたところです。総門は「吉野 門」といい真っ赤に塗られた門を寄贈されたそうです。
 境内には吉野太夫のお墓もあり、大夫にちなんだお祭りもあるそうです。

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⑩最後の晩餐ならぬ、最後のランチを鷹が峯の下にあたる、衣笠のしょうざんリゾート京都の「楼蘭」で食しま した。デザートのスペシャルオプションにも目が行ってました。

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以上で全日程が終わり京都駅で解散しました。
また来年お会いしましょう!!!





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-08 10:30 | (仕事・学生)過去・現在 | Comments(2)

久しぶりの京都御所の拝観(Net申込)20151106

久しぶりの京都御所の拝観(Net申込)20151106


一言で言うと「京都御所」はNet 申し込みで週末以外は比較的取り易いと聞き、実際やってみると以外とすんなり予約ができました。(一月半前)
京都御所と云っても門跡寺院を見慣れている方は規模の違いこそあれ大差ない情景と云えるのではないかと思う。
それでも説明をよく聞いていると歴史的な逸話が出てきます。
できるだけ説明者の傍を離れず見入る・聞き入るが有効と思います。


20分前ぐらいに来るように言われて門の近くに行くと、もうすでに入場が始まっていた。
入る門は一般公開の「宣秋門」とは違い「清所門」と云うところでした。

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入ってしばらくすると、「宣秋門」の前に集合。

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説明が始まる。しかし聞き取れないし、記憶できない。
説明にうなずいてばかりでした。

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そこから「御車寄」の前を通り仕切りを越えて、「諸大夫の間」にいく。

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襖絵がなかなか素晴らしいがいまいち見えにくい。

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「諸大夫の間」の裏側に当たる「新御車寄」の玄関がある。
立派な構えである。何時かわからないが新しく作られたものらしい。

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今回の見学では「紫宸殿」には入れないらしく、紫宸殿を囲む回廊にある「月華門」および「承明門」から紫宸殿を覗き見るだけに終わった。

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これは「建礼門」。内側から写しているが、この外に堺町御門につながる道がある。
ちなみに堺町御門は、禁門の変(一般には蛤御門の変と伝わっている)のおり久坂玄瑞が戦って鷹司邸まで乗り込んだところである。
また、この建礼門の前から「葵祭」、「時代祭」がスタートするところでもある。

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紫宸殿の東側は、大きな広場(必要に応じて催し会場となるらしい)になっている。
そこのポツンと一棟「春興殿」が建っている。

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清涼殿を左手に視た中庭。

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「小御所」。

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この前には気持ちのいい池のある庭園(御池庭)がある。

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「御常御殿」。襖絵が素晴らしい。

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全て見学が終わり京都には珍しい青空のもと解散となった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-06 11:00 | (紹介記事)京都 | Comments(0)

スウィーツのお店【茶寮宝泉】のご紹介20151107

スウィーツのお店【茶寮宝泉】のご紹介20151107


京都はこのところ甘味処がどんどん増えてきているようです。しかも週末になると決まって待ち行列を作っている光景が見られる。
女性のスウィーツ好きは思ったより凄そうだ。

ここ「茶寮宝泉」は少しわかりにくい場所かもしれません。
北大路通から少し中に入った場所(住所は後述)にお店があります。
すぐそばの駐車場には結構台数が止められそうです。止めてお店に付いた時に、和風旅館の感じがある作りです。


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店内は畳の部屋がいくつかあり、その一室に通していただきました。
まだ朝早めに行ったこともあり2番目のお客さんだったようです。

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しかし徐々にお客様がこられましたが、それでも静かな雰囲気のなかスウィーツを堪能することができました。

季節の生菓子
 ●お抹茶セット・・・・・950円    ●冷抹茶セット・・・・1,150円
 ●煎茶セット・・・・・1,200円     ●玉露セット・・・・・1,350円

 ●わらび餅 ・・・・・・・・・・・・・・・1,100円
 ●冷やしぜんざい・・・・・・・・・・1,050円
 ●京しぐれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・860円
 ●抹茶くず湯・・・・・・・・・・・・・・・・860円

※わらび餅・抹茶くず湯・冷やしぜんざいは喫茶メニューのみとなっておりますので、
 お持ち帰りはできません。
とありました。

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きれいに調えられたお庭を拝見しながらのお食事です。

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営業時間が載っていました。

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※【茶寮 宝泉】

〒606-0861 京都市左京区下鴨西高木町25
TEL:075-712-1270
FAX:075-712-1270
営業時間:午前10時~午後5時(LO:午後4時45分)
定休日:水曜日・木曜日(祝日の場合、翌平日休み)

※誠に申し訳ございませんが、お席のご予約はお受けしておりません。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-06 10:00 | (紹介記事)京都 | Comments(0)

国宝「臼杵石仏」(大分県)20151102

国宝「臼杵(うすき)石仏」(大分県)20151102


観光案内を調べていたら、「国宝【臼杵石仏】」というのが載っていた。
石仏の国宝とは珍しいので興味津津寄ってみることにした。
場所は次のマップを見てもらうと分かるが、帰りの船に乗る大分港から混んでも一時間くらいの所にありサンゴの観光地となった。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-02 15:52 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

「九州旅行」総集編20151028~1103

  「九州旅行」 総集編20151028~1103


さんふらわあ号(神戸港)

最初は往復とも車移動との予定で居ました。
しかし、旅行が近づくにつれ、気が重くなり往きのフェリーを頼もうが、ついでに帰りもフェリーで知うことになった次第です。
船は2人用の個室が取れまあまあ快適と云っていいと思います。

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ここは別府湾サービスエリアからですが、往復ともここ別府湾SAで一服しました。

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湯布院に着いたのは、AM7時半頃で未だ人の動きも少ない時間でした。
ここの見学は予定に入って今買ったので、チョット寄った感じです。

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長さ390mの大きな九重夢の大吊橋です。滝も2つあり、眺めの最高でしたが、残念なことに橋は近代調の頑丈な橋でした。

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阿蘇ではこの「阿蘇大観峰」でゆっくり眺めました。
現在噴火している「中岳」の噴煙がかすかに望めました。

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高千穂峡は初めて訪れるところで、以前行ったことがある家内に案内されて見て回りました。
光・水・滝・ボート・渓谷が調和して見事な色彩を放っていました。

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泊ったホテルが青島海岸のリゾートホテルで、生憎の雨模様で展望は今一でしたが、きれいに整備された海岸線は見事でした。

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翌30日は朝から雨の中「鵜戸神宮」に行きました。
見るに充分値する見事な作りの岩屋に造られた神社でした。
しかし、幾つかの駐車場がありますが、バス用の駐車場に止めてしまい神社まで1km以上歩くことになりました。ここに行かれる方は乗用車用の第一駐車場をご利用ください。(NAVIはバス用なのでご注意!)

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飫肥城址。これはオビと読みます。
小さな城下町と載ってましたが、その城下町の風情が残っているとあり、寄ってみることにしました。
案に違わずお城と云い、城下町と云い風情のあるたたずまいでした。
寄ってみる価値のあるところと思います。

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五家荘・平家の里。
ここに行くのは大変でした。
日南の飫肥から4時間位かかり、しかも30km位国道ながら道が細く、対向車が来ると100m以上バックするか、バックしてもらうかになります。
途中で小さなマイクロバスがきてすれ違いができなくバックを余儀なくされ、バック中に脱輪してしまう始末でした。
何んとかつきましたが思っていた感じとは違い観光用の施設がちょこっとあるだけでした。
それでも写真にある通り、結構揺れる吊り橋があり、そこを往復してきました。

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熊本城は今回の旅行の目玉の一つだけあって、史実好きの私にとっては感動でした。
加藤清正の築城は書きものや写真でも目にしてましたが、科学的面とミステイアスな面に加え経済面でも戦国の世の中で通用する築城法のようでした。
西郷隆盛が熊本城を攻めきれなくて云った言葉として伝わっている、「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」というのが何んとなく理解ができた次第です。

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いざと云う時に豊臣秀頼を迎える御殿として造られたと云われている。

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ハウステンボス。
残念ながら宿泊する人にとってはあまり機能的ではないように思います。
ホテルに駐車場がないため全て循環バスかタクシーと云うことになります。

それでも会場のイルミネーションは見事でした。
着いた時の不満を一気に鎮めてくれたように思います。

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宗像大社。
宗像三女神は日本史上有名で、神功皇后・応神天皇と一緒に宇佐神宮にも祀られてます。
彼女たちの位置づけは色々な説はありますが、応神王朝設立の有力な応援者の一族として、一時代を形成したのではないかと思ってます。

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国宝・臼杵石仏。
これがまた素晴らしい。
国宝と云うのに引かれて寄ってみたが一体や二体ではなく石仏群だった。
それぞれの石仏の表情が豊かである。

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今回の九州旅行は総じて満足する旅でした。
ある程度の準備やホテルや食事処の紹介パンフレットなどの他、パソコン持参で翌日の予定を作って回るというのも新鮮でよかったと思っている。
また、走っている中で観光スポットの案内なども参考にさせてもらった。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-01 15:29 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(2)

軍艦島(世界遺産)上陸クルーズ20151101

軍艦島(世界遺産)上陸クルーズ20151101

「軍艦島」は長崎県長崎市高島町端島の俗称なのはご存じと思う。
戦艦「土佐」に島影が似ていることからそう呼ばれるようになったと言われている。
長崎野母半島の北西、長崎港から約19キロの海上にある、小さな半人工島である。
かつては炭鉱の町として栄え、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきたが、時代の流れとともに昭和49年に閉山。軍艦島は伝説を残したまま無人島となった。
2015年7月5日に「明治日本の産業革命遺産」の一つとして、世界文化遺産登録が決定し、新しい歴史の1ページを刻もうとしている。

九州旅行を計画している中で軍艦島クルーズがあることが分かり、早速旅行社経由でツアー申込を行ったわけである。

端島(はしま)は、明治時代から昭和時代にかけては海底炭鉱によって栄え、東京以上の人口密度を有していたが、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島となっている。
2015年、国際記念物遺跡会議(イコモス)により、軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。

長崎港から南西の海上約17.5キロメートルの位置にある。
端島は本来は、南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬であった。
その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張した。
その大きさは南北に約480メートル、東西に約160メートルで、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が高い護岸堤防で覆われている。
面積は約6.3ヘクタール、海岸線の全長は約1200メートル。島の中央部には埋め立て前の岩山が南北に走っており、その西側と北側および山頂には住宅などの生活に関する施設が、東側と南側には炭鉱関連の施設がある。

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上陸風景です。

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軍艦島を船から望んだ後、実際に上陸し見学エリアを歩いて回ることが出来る。
炭鉱の町として当時の面影を残し、生産施設や住居などの廃墟が一面に広がる景色を見た後、目をつぶると往時の喧騒が伝わってくるようだ。

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人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5,267人の人口がおり、人口密度は83600人/km²と世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達した。
炭鉱施設・住宅のほか、小中学校・店舗(常設の店舗のほか、島外からの行商人も多く訪れていた)・病院(外科や分娩設備など)・「泉福寺」という唯一のお寺があった。
また、当時報酬が世間平均の3倍ということもあり、娯楽施設としては、映画館「昭和館」・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(スナック)「白水苑」などがあり、充足した都市機能として栄えていた。
最盛時テレビの普及率は100%であり、全国平均の30%弱を断トツ上回っていたとのこと。

しかし、1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退し、数百万トンの石炭を残したまま、1974年(昭和49年)1月15日に閉山した。
閉山時に約2000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、端島は無人島となった。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2015-11-01 13:00 | (旅行)国内旅行全般 | Comments(3)