京都に遅い初雪が降りました。20160120

京都に遅い初雪が降りました。20160120


北日本の大雪報道がよく聞かれましたが、中部日本以南は雪の便りが皆無近い状態でした。
特にスキー場も雪不足どころか雪の無い状態が続いており、所によっては人工雪でしのいでいたところもあったようです。
そうゆう地域では、きっと、やっと待ち焦がれた待望の雪だったでしょう。
そして引き続き寒気が来ていると云うことで、根雪となって落着いてくれるといいですね。

さて京都ですが、気温も低くて雪が5cmくらい積もり、通勤に使うメイン通りである、5条通りも凍っていて少し滑る状態でした。久しぶりのチョットしたアイスバーン走行でした。

会社に行き、隣りにある野菜畑を覗くとこんな感じで積もっていました。
これが今季の初雪でした。
多分今年もこんな状態が、1・2度あるでしょう。

e0237645_9273488.jpg


e0237645_9274495.jpg


e0237645_9275311.jpg


e0237645_928583.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-20 09:24 | Comments(2)

京都西陣北野「ふれあいの街」他20160116

京都西陣北野「ふれあいの街」他20160116


北野天満宮に行った帰り、約6kmの道のりを歩いて帰ることにしました。
北野天満宮を出て、直ぐ前の今出川通りを渡ると千本通りまで続く「ふれあいの街」という西陣・北野商店街が続いており、きれいに整備された商店街となっています。

ここは以前市電が通っていたのか、写真にあるような電車のマークがシンボルマークとなっているようです。

e0237645_23123576.jpg


e0237645_23124894.jpg


e0237645_23125853.jpg


京都は空爆がなかったというのが一時定説となっておりましたが、実は昭和20(1945)年6月26日の昼ごろ,西陣の一画にアメリカ軍による空襲がありました。
被災したのは、上長者町通・大宮通・下立売通・浄福寺通に囲まれた,ほぼ四百メートル四方の地域で,300戸ほどの家屋が被害を受け,43人が犠牲となったことが書かれています。
この石標は,西陣に空襲があったことを記し,その被害状況を伝えています。
場所は、上京区下長者町通智恵光院北東角(辰巳児童公園内)にあります。

e0237645_23131216.jpg


聚楽第本丸南堀石垣出土地
2012年に行われた上京区智恵光院通上長者町南東角の京都府警察本部西陣待機宿舎建て替え工事に伴う発掘調査で東西約32m、高さ約2.3mの石垣が見つかりました。

e0237645_23132492.jpg


上杉景勝・直江兼続屋敷跡推定地の道標
2009年NHK大河ドラマ『天地人』の放送を機に同年5月に建碑されました。
聚楽第跡の周囲にはこのような石碑が沢山存在します。

e0237645_23133751.jpg


e0237645_23135111.jpg


堀川通りの堀川。
堀川通りは名前のごとく太平洋戦争以前に堀川の上に造られた、当時としては高級機の滑走路にも使えるようになっていました。
しかし、北へ行くにしたがって、現在は堀川を開渠のまま美観地区の公園として整備されています。
堀川通りからは見ることはできませんが、都会のオアシス的な感じとなっています。

e0237645_23143076.jpg


e0237645_23144480.jpg


藤原頼道の「高陽院(かやのいん)邸跡」
丸太町通堀川東ル、通りの北側にあるマンションの一角に、「高陽院跡(かやのいんあと」と書かれた小さな金属板が置かれています。
平安時代、この地一帯は貴族の邸宅が立ち並ぶ地域でありました。
第50代・桓武天皇第7皇子・賀陽親王の邸宅がありました。
その後、鎌倉時代まで公卿、天皇の里内裏として機能しています。
藤原道長の弟藤原頼道(宇治平等院建立)の邸宅にも利用されていたことが伝わっています。

e0237645_23145542.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-16 15:07 | Comments(2)

名物一本うどんの北野「たわらや」20160116

 名物一本うどんの北野「たわらや」20160116


京都北野の三大名物 「一本うどん」 
京都北野で長い歴史を持つ「一本うどん」を紹介します。
北野とは京都市上京区と北区周辺地域のこと。学問の神様、菅原道真を祀る北野天満宮のお膝元です。
一本うどんは、ここ北野の地で古くから参拝客に親しまれ、「澤屋の粟餅」、「長五郎餅」と並んで、北野の三大名物と言われてきたそうです。
現在でも、シンプルな名前とは裏腹に一度見たら忘れられないインパクトがあると、観光客や地元民にも評判らしいのです。
その一本うどん発祥の店「たわらや」を訪ねてみました!
北野天満宮の入り口である一ノ鳥居に背を向けると、大通りの今出川通を挟んで、御前通という細い通りが見えます。たわらやは、この御前通で江戸時代の享保年間(1716~1736年)に創業したと言われています。一本うどんは、創業時からあったみたいです。

e0237645_1115278.jpg



「一本うどん」は、極太でもちもちしており、見た目は量が少なくあまりおいしそうには見えません。
しかし、天丼・肉丼がうまそうでなんとか気持ちを持ちこたえていましたが、・・・

e0237645_11151473.jpg


いざ、実際に食べてみてびっくり!
腰はしっかりしていますが、けしてかたくなく中まで火が通っていてなかなか美味でした。
麺の太さは1センチ以上。つまむというより、持ち上げるという感じで食べました。
量的にも充分ボリュームがあり、腹もちもまずまずでした。

e0237645_11152585.jpg


e0237645_11155073.jpg


天丼・肉丼はミニ丼ではなく味付けもよくおいしく満足でした。

e0237645_11155935.jpg


このお店には、普通サイズのうどんやそばもあり、驚いたことに甘味までそろっておりました。

e0237645_1116966.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-16 14:07 | Comments(2)

北野天満宮の神様の使い『神牛』20160116

北野天満宮の神様の使い『神牛』20160116


北野天満宮に行かれたことがある方なら見たことがあると思うのですが、北野天満宮には牛の象が本当にたくさんあります。(ここには7体ですが全部で10数体あるそうで、なかでも1体は立ち牛だそうです。

なぜ、牛の象がたくさんあるのかの理由は色々伝承として伝わっています。
・道真が生まれた年が丑年だったということ。
・亡くなったのが丑の月の牛の日だったこと。
・道真は牛に乗って大宰府へ下ったこと。
・牛が刺客から道真を守ったことがあること。
・道真の墓の場所を牛が決めたこと。
などの5つの説があげられているようです。

5つの説は全て伝承のものなので、真実はどのようになっているのかは今では誰にもわかりませんが道真と牛が極めて、密接な関係にあったことは間違いなさそうです。

それでは代表的な牛を載せましたのでご覧ください。
よく見ると子牛を抱えている牛もあります。

e0237645_10501267.jpg


e0237645_10503019.jpg


e0237645_10504180.jpg


e0237645_10505117.jpg


e0237645_1051254.jpg



e0237645_10511133.jpg


e0237645_10512068.jpg







この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-16 13:13 | (紹介記事)京都 | Comments(1)

北野天満宮恒例の咲き始めた梅の花20160116

北野天満宮恒例の「咲き始めた梅の花」20160116


梅の花と云えば北野天満宮と云うのが定番ではないかと思う。
少し期待を込めて北野天満宮に梅見にいってみた。
残念ながら、早咲きの梅が3分咲きというところだった。
それでも境内の方は見る分には充分の感があったが、梅園の方は23日からの開園とのことであった。
このところ急に冷えたので順調に開花始めた梅もしばし休憩と云うところかもしれない。

ここも梅の花が咲き乱れるのは例年通り2月の中旬位になるのではないかと思う。
咲き始めた梅の花をご覧ください。

e0237645_11182146.jpg


e0237645_11183190.jpg


e0237645_11184211.jpg


e0237645_11185572.jpg


e0237645_1119494.jpg



e0237645_1119182.jpg


e0237645_11192838.jpg


e0237645_11193877.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-16 12:34 | Comments(2)

北野天満宮の庭園と意外な【金運】発見20160116

北野天満宮の庭園と意外な【金運】発見20160116


北野天満宮は一月の中旬になって早くも梅が咲き始めました。
これから訪れる人が益々増えてくるのではないかと予想されます。

ここの庭園が素晴らしいのは有名ですが、時々気になるものの発見があります。
それも楽しみの一つです。

e0237645_104706.jpg


その一つとして、北野天満宮の境内にある三光門(本殿への入り口門)の手前右側に、大黒さまが彫られた石燈籠があります。いつも結構な人が列をなして何かをやってるのが見られます。
それはこの大黒さまの口に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないという謂れが何時からかできたようです。
かなりの年月を通じてたくさんの方がチャレンジされたのか、穴は磨り減ってしまっています。

e0237645_1047921.jpg


e0237645_10472193.jpg


これはミカンのように見えますが、京都御所紫宸殿の前の、「左近の桜」「右近の橘」で有名な【橘】だそうです。

e0237645_10473422.jpg


この他境内には蝋梅などの草木がきれいに配置されています。

e0237645_10474592.jpg


e0237645_1047572.jpg


境内に入って左手奥には豊臣秀吉が京都守護のためにこしらえた「御土居」がめぐらされていますが、御土居の上から眺めた庭園も素晴らしい景観です。
特に紅葉のシーズンには奥深い情景を眺めることができます。
餘rく見ると早咲きの梅の花が咲き始めていました。

e0237645_1048846.jpg


e0237645_10481997.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-16 12:29 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

北野天満宮に飾られている『古絵馬』20160116

北野天満宮に飾られている『古絵馬20160116


北野天満宮絵馬所

駒札には、

「京都市指定有形文化財 北野天満宮絵馬所

北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は、慶長十二年(1607)に再建されたもので、その後、元禄13年(1700)から翌年にかけて大修理が行われている。
現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建てられたものである。
建築当初は、現在の位置より北に、棟を南北に通して建ち、また、屋根も現在は桟瓦葺であるが、当初は木の板で葺いた木賊葺(とくさぶき)であった。
この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する絵馬堂の中で最も古いものであり、江戸時代中期の絵馬堂の遺構として貴重である。
 昭和五十八年六月一日指定 京都市」

とある。

ここに掲げられている絵馬は、ほぼ明治・大正・昭和のものが主であるが、中には読み取れないものも多いが享保年間のものも存在しているようである。

e0237645_10541192.jpg


e0237645_10542485.jpg


e0237645_10543344.jpg


e0237645_10544584.jpg


e0237645_10545917.jpg



e0237645_10551131.jpg


e0237645_10552085.jpg


e0237645_10553257.jpg


e0237645_10554212.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-16 12:06 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

八坂神社にて新年の「御祈祷」を受ける20160111

八坂神社にて新年の「御祈祷」を受ける20160111


e0237645_23335746.jpg


e0237645_2335589.jpg


e0237645_23361091.jpg


e0237645_23364656.jpg


e0237645_2337757.jpg



e0237645_2341053.jpg







この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-11 14:40 | Comments(2)

日本伝統芸能保存会の今様(八坂神社)20160111

日本伝統芸能保存会の今様(八坂神社)20160111


八坂神社は行事が多く、いつも何かやている感じがする。
この日も、お参りにくと「日本伝統芸能保存会」の行事をやっていた。
かなり年配の方もいて、伝統をまもっている感がしっかり伝わってきていた。

最初の演目の今様を拝見してきた。

e0237645_1704359.jpg


e0237645_1705218.jpg


e0237645_171244.jpg


e0237645_1712488.jpg


e0237645_1713324.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-11 13:46 | Comments(2)

京都のえびす様はさすが歴史を感じさせます。20160111

京都のえびす様はさすが歴史を感じさせます。20160111


八坂神社北向蛭子社

北向蛭子社(きたむ きえびす しゃ)は、八坂神社の末社です。
社殿は、江戸時代前期の1646年(正保3年)に建立されたもので国の重要文化財となっています。
建物は、桁行三間、梁間三間、流造り、両側面(東西面)および背面(南面)一間通り庇付、こけら葺きとなっている小さな社です。1998年(平成10年)6月に屋根葺き替えと塗り替えが行われています。

北向蛭子社の祭神は、「事代主神(ことしろぬしのかみ)」です。
一般には「恵比須(えびす)様」と呼ばれ、福の神、商売繁盛の神様とされています。
事代主神は、大国主の御子神で、八坂神社の本殿に祀られている主祭神である素戔嗚尊の孫神にあたります。1月9日と10日には「初えびす」の例祭が行われます。


e0237645_23174572.jpg


祇園さんの蛭子社は「えべっさん」の原点
「商売繁昌で笹もってこい!」のかけ声でおなじみの「えびす信仰」は、日本各地に拡がっています。
その「えべっさん」が、八坂神社の境内にある北向蛭子社の「えべっさん」です。
全国的に名の知られた大阪の今宮戎神社のえべっさんは、八坂神社の氏子が今宮に移り住んだとき、祇園の「えべっさん」をその地にお祀りしたことに始まります。
そのご縁から、今宮戎神社からは毎年、祇園祭の折りには幣帛を、大晦日には鯛をご奉納しにきます。
八坂神社からは1月8日に、今宮戎神社の十日戎に先だっての献茶祭に神水を持参してお供えします。
というような行事が今でも続いております。

e0237645_2318038.jpg



京都ゑびす神社

京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。祭神は八代言代主神、大国主命、少彦名命。

起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。
今日多くの人はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものと云われています。

1月8~12日に『十日ゑびす祭典』(初ゑびす)が行われます。
商売繁昌・家運隆昌・吉兆のお笹の授与があり、8日は招福祭、9日は宵ゑびす祭、10日は十日ゑびす大祭、11日は残り福祭、12日は撤福祭といわれ、まぐろが奉納されるのは宵ゑびす祭の日です。

今日はその残り福と云うことで出かけてみたが、凄い人出にはびっくり。
それでも人波に押されつつ進んでいくと、鳥居に架かる扁額に袋をかぶせてある。
これは「二の鳥居の福箕」として名物で、普段、二の鳥居にはゑびす様の福箕(熊手)がかかげられ、それにお賽銭を投げて中に入ると願いが叶うとされています。
しかし十日ゑびす祭典期間中はこのように目隠しをし投げられなくしてある。

e0237645_23182419.jpg


e0237645_2318384.jpg


小さな境内と云うこともあり本殿が直前までよく見えない。凄い人である。

e0237645_2318487.jpg


e0237645_2319570.jpg


福笹奉納の舞。
この福笹授与は、ここ京都ゑびす神社から始まったと云われています。
笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で、「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となっています。

e0237645_23192585.jpg


本殿横の壁板「たたき板」。
えびすさんはお年寄りの神様なので、ちょっと耳が遠くなり本殿前の鈴を鳴らすだけでは気が付かない。
なので本殿の奥の神様が居るすぐ横の壁をドンドンと叩いて「来ましたでぇ」とお詣りに来たことを知らせる。誰が何時考えたか知らないが、なかなか粋な感じがします。

e0237645_23193844.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-01-11 13:03 | Comments(2)