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京都大原にある「建礼門院御陵」20160625

京都大原にある「建礼門院御陵」20160625


建礼門院徳子(平徳子)は、高倉天皇の中宮で安徳天皇の母。
父は平清盛、母は平時子であることは御存じの方も多いと思う。

高倉天皇に入内(中宮)して第一皇子・言仁親王(後の安徳天皇)を産む。
安徳天皇の即位後は国母となるが、高倉上皇と清盛が相次いで没したあと、木曾義仲の平氏討伐の攻撃に会い都を追われ、更に源頼朝による平氏討伐により「壇ノ浦の戦い」で安徳天皇・時子などとともに入水したが、徳子は引き上げられて生き残り京へ送還されて出家している。安徳天皇も亡くなりここに平氏一門は滅亡したわけである。
徳子は罪に問われることはなく京の祇園の東の長楽寺に移され、1185年、5月長楽寺の印西を戒師として出家し、直如覚比丘尼と称したという。その年の10月に侍女「阿波内侍(あわのないじ)後述」とともに大原・寂光院に移ったとされる。
大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔い、侍女たちとともに閑居して終生を過ごしたと云われている。


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寂光院の入り口である。

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建礼門院は寂光院の第3代門主で当時営われた庵後に石碑が建っている。

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阿波内侍(あわのないじ)は出家して、証道比丘尼と称した。
出家以前は宮中にあった建礼門院徳子に仕え、寂光院のある草生の里では柴売りで有名な「大原女(おはらめ)」のモデルとされている。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-28 12:30 | (歴史)京都史 | Comments(2)

小雨の鴨川散策20160626

小雨の鴨川堤を散策20160626



この日は未だ梅雨の時期だった。もうすぐ梅雨が明け猛暑が始まると思うとちょっと間の涼しい散歩となってきた。
しかし雲は北側がぽっかり明るさが見えるが、ぽつぽつ来ている。
途中に大粒の雨が降り始め暫く四条大橋の下で雨宿り。
雨の中でも結構な人が繰り出している。

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*******先斗町の火事*******
先斗町で火事があった。幸い私が行くお店は非難はしたが一応大丈夫だったが、狭い路地のため大混乱だったようだ。
お見舞い申し上げます!





この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-26 15:06 | Comments(0)

額縁の窓の「宝泉院(大原)」20160625

額縁の窓の「宝泉院(大原)」20160625


宝泉院(大原)は知る人ぞ知る「額縁の松」で有名なお寺である。

ここに行くには、三千院の前を通って突き当たると大原問答で有名な勝林院があり、その前を左折しして川沿いに降りて行くと右手に勝林院の参道がある。
受付で800円を払うと抹茶とお菓子つきの入山券となる。

さて、このお寺の総門をくぐると正面に近江富士を型どる樹齢700年の五葉松に出会う。
この松は京都市指定の天然記念物で京都市内にある3つの著名な松の一つと云われている
70年ほど前に高浜虚子が無住寺の宝泉院を訪れ、 「大原や 無住の寺の 五葉の松」と詠んでいる。
この松を鑑賞する部屋があり、そこには窓を額縁に見立てて松を眺める実にすばらしい演出をしている。

未だ、行かれたことのない方は一度訪れてみるのも良いと思いますが・・・。

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門をくぐると見える大きな五葉松。

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額縁の窓にはこのように五葉松の幹が見える。

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宝泉院には伏見城落城時に血塗られた床板を持ってきて天井にしている。地の後もくっきりと残っている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-25 15:10 | Comments(2)

緑が深い大原の風景20160625

緑が深い大原の風景20160625


大原は京都市街とは2~3℃温度が低く夏は比較的過ごしやすい。
しかし冬は逆に寒さが厳しい。
京都の夏は35℃以上の猛暑日が2・3週間続き日本でも有数の篤い地域である。

さて、大原と云えば三千院・寂光院などのお寺が有名だが、湿度が高いところでもある。その結果寺院の売り物の一つに苔庭が定番としてある。
また三千院の前の通りも京都の有名店が並んでおり、特に漬物が有名である。
というのも紫蘇の産地でもあるかである。

この落着ける大原を見ていると、観光客がここ大原まで足を延ばすのがわかるような気がす。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-25 14:43 | Comments(2)

雨にぬれた「大原三千院」のたたずまい20160625

雨にぬれた「大原三千院」のたたずまい20160625


私の大阪勤務時代の昔の仲間と一緒に大原を散策してみた。
彼らとはもう20~40年ぶりの再会であるがメールのやり取りなど話していたこともありいつも会ってる感じで接することができた。
当日はあいにくの雨だったが、まず「土井のしば漬け」本舗で昼食の後、寂光院~宝泉院~三千院と周り建物・景観・苔庭・庭園など十分堪能することができた。

遠くないいつの日かの再会を約して京都市街で散会した。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-25 14:37 | Comments(2)

苔庭に6体の「わらべ地蔵」の大原三千院20160625

苔庭に6体の「わらべ地蔵」の大原三千院20160625


京都大原三千院で何んといってもこの「わらべ地蔵」が愛嬌があって人気がある。
苔庭の中にひっそりともぐりこんだ格好で見学者に愛嬌を降りまえているような感じを受ける。

全部で6体の「わらべ地蔵」です。ご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-25 14:30 | Comments(2)

今年珍しい花が咲いた寂光院(大原)20160625

今年珍しい花が咲いた「寂光院(大原)」20160625


大原と云えば三千院か寂光院を思い浮かべる人が多いと思う。
ここ寂光院は天台宗の尼寺で寺号を玉泉寺といい、寂光院は玉泉寺の子院であった。推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。

聖徳太子によって創建され、建礼門院徳子が閑居した古刹として知られている天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号は玉泉寺という。
現在の本堂内陣および柱は、飛鳥様式、藤原様式および平家物語当時の様式で、外陣は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼が修理させた桃山様式のものを、古式通りに忠実に復元したものとなっている。
本堂前北側には、回遊式四方正面の庭園があり、林泉、木立、清浄の池として表現されている。
西側には、平家物語当時のままの心字池、千年の姫小松、苔むした石、汀の桜などが残る庭園がある。

ここの当初の本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊であった。
鎌倉時代に制作された旧本尊(重要文化財)は、平成12年(2000)5月9日未明に発生した不慮の放火により焼損したため、文化庁の指導を受けて財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなり、現在は美術院によって模刻された本尊地蔵菩薩像が本堂に安置されている。

現在の門主は火災後今の寂光院に復活された方で、私も親しくお話しさせていただいたがお話し好きな神のしっかりした方である。
皆さんご存じの歴史は、第2代の阿波内侍(あわのないじ、藤原信西の息女)から始まると云っていいと思う。崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家のあと永万元年(1165)に入寺し、証道比丘尼と称した。
出家以前は宮中にあった建礼門院徳子に仕え、寂光院のある草生の里では柴売りで有名な「大原女」のモデルとされている。
更に、第3代の建礼門院徳子(平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母)は、文治元年(1185)年9月に入寺し真如覚比丘尼と称した。
ご存じと思うが建礼門院徳子は長門国壇ノ浦で源平の合戦に敗れた際自らも安徳天皇を追って入水したが引き上げられている。
その後この地に有って、壇ノ浦で滅亡した平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、侍女たちとともに閑居して終生を過ごしたと云われている。

今回ここを訪れた時に偶然珍しい何年かに一度花をつける「ツチアケビ」が咲いていた。

6月の梅雨に入り小雨がぱらつくなか、緑濃い素晴らしい寂光院の佇まいをご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-25 14:04 | Comments(0)

京都大原三千院のアジサイ園20160625

京都大原「三千院のアジサイ園」20160625



このアジサイは大原訪問の主目的だった。
三千院に入る頃小雨がぱらつきアジサイの花も葉も雨にぬれて情緒ったっぷりを見せてくれた。
この三千院のアジサイは大きな杉の木の下に植えているためか、枝ぶりも弱々感じるがそれでも立派な花をつけていて美しい。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-25 13:39 | Comments(2)

苔庭も素晴らしい「大原三千院」の境内20160625

苔庭も素晴らしい「大原三千院」の境内20160625



京都のお寺はどこも苔が売り物となっている感じがする。
今時期はこの苔が梅雨時期となって瑞々しい情景を作ってくれる。

ここ三千院の苔庭も見ていただければわかるが京都の中でも一級品である。

ご覧ください。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-25 13:01 | Comments(2)

閑臥庵(京都鞍馬口)20160624

陰陽師 安倍晴明開眼の霊符神像を祀った
黄檗禅宗の尼寺「閑臥庵」(かんがあん)20160624


ここは黄檗禅宗の尼寺で、山号を瑞芝山(ずいしざん)という。
本尊:釈迦如来(本堂)。鎮宅霊符神(鎮宅堂)。
開山:黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師。 通称:鎮宅さん。

(伽藍)
御廟:鎮宅霊符神が祀られている
石炉:本廟の正面にあり、陰陽道のシンボル、五芒星(晴明九字)が刻まれる。
狛犬:陰陽道のシンボル五芒星(晴明九字)が刻まれる。

江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸だったが、王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆(せんがい)禅師を招いて1671年に開山したのが起こりである。

御所の祈願所として法皇自ら「閑臥庵」と命名し、御宸筆の額を寄せて勅号としたほか、法皇は、春に、秋に、和歌を詠んで庭を愛でたといわれ、

秋の句:「開けぬとて 野辺より山に入る鹿の あとふきおくる 萩のした風」

など、御宸翰その他が今も伝えられている。

閑臥庵に祀られている北辰鎮宅霊符神は、十千十二支九星を司る総守護神であり、陰陽道最高の神とされている。
その鎮宅霊符神は、平安時代の中ごろ円融天皇が方除・厄除の霊神とし京都のうしとら(東北)にあたる貴船に祀ったもので、天皇が陰陽師の安倍晴明に付託開眼させたと伝えれる金剛象で、高さ四尺五寸の神像である。

などなど、なかなか興味深い発見だったような気がしている。
陰陽師などに興味のある方は御存じだったと思うが、あまり知られていない場所であることも確かで、訪れたこの日は朝まだ早いせいか門が閉められていた。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-06-24 08:47 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)