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江戸時代創建の紅葉が見事な『圓光寺』20161112

江戸時代創建の紅葉が見事な『圓光寺』20161112


京都は古さを誇るきらいがあり、京都に来られる観光客も古都京都を好んでいるように思います。
ということでもありませんが、ここ園光寺は江戸時代の創建ということもあり、あまり訪れる人も少ないように思えましたが、テレビや人づてに寄り徐々に人気が出てきたようで出かけてみました。
いつもは曼殊院から詩仙堂に直行しますが、寄ってみました。

噂に違わず見事な紅葉でレイアウトも素晴らしい光景がいくつも目にすることができました。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:35 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(1)

京都北山(通)の並木20161112

京都北山(通)の並木20161112


京都の北山通りです。
北山通りは京都の街で東西に長く走る一番北の通りとなります。
そしてこの北山通りが通る一帯はおしゃれな街ともいわれています。
北にあることから冬は1・2℃低いようですが、紅葉になるのも少し早いと思います。

これが少々早く紅葉化した北山通りの並木です。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:33 | Comments(1)

仏光寺のイチョウとかぼす?20161121

仏光寺のイチョウとかぼす?20161121


仏光寺とは、あまり馴染みのない名前かもしれませんが、歴史的見ると超有名なお寺です。
京都の方なら「仏光寺通り」というのがありますのでご存知の方が多いのではないかと思います。
このお寺は浄土真宗仏光寺派の総本山です。
ある時期真宗では本願寺派よりも断然規模が大きかった。
しかし、真宗の本流の本願寺派の衰退を見かねた仏光寺派の門主が傘下のお寺のほとんどを引き連れて移ったことにより、一気に規模が縮小し(確か6寺程度に)、その後徐々に回復して(現在390寺)きた経緯があります。

さてお寺の説明はさておき、お寺には銀杏の木と楠が多いのはそれなりの理由があります。
銀杏は熱が当たると水分を吹き出すため防火の役目を果たすといわれています。
また楠は樟脳の原料となることから虫除けになるといわれています。

その防火の見事な銀杏が仏光寺にあります
また、傍の塔頭んはカボスがなっていました。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:30 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(1)

彦根城壮大な庭園「玄宮園」20161105

彦根城壮大な庭園「玄宮園」20161105


江戸時代に彦根藩の下屋敷として「槻(けやき )御殿」がありました。
現在は、槻御殿の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称しています。

槻御殿は、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に指定されています。
玄宮園の名は、中国の宮廷に付属した庭園を「玄宮」と言ったことから命名されたといわれています。
園内には数寄屋建築である「八景亭」として、一説に中国の瀟湘(しょうしょう)八景または近江八景を取り入れた形で作庭されたとも伝えられていますが、 江戸時代に描かれた「玄宮園図」に八景亭の名はなく「臨池閣(りんちかく)」と呼んでいたようです。
そのほか玄宮園図には当時「玄宮園十勝と呼ばれた」「鳳翔台(ほうしょうだい)」「魚躍沼(ぎょやくしょう)」「龍臥橋(りゅうがばし)」「鶴鳴渚(かくめいなぎさ)」 「春風埒 (しゅんぷうれつ)」「鑑月峯(かんげつほう)」「薩埵林(さったりん)」「飛梁渓(ひりょうけい)」「涵虚亭(かんきょてい)」の十景があります。

玄宮園は、広大な池水を中心に、池中の島や入江に架かる9つの橋などにより、変化に富んだ回遊式庭園となっています。
池には船小屋があり、園内で風流に舟遊びの一興を催すこともありました。
また、松原内湖に面した庭園の北側には水門が開き、大洞(おおほら)の弁財天堂や菩提寺の清凉寺・龍潭寺への参詣、あるいは松原のもう1つの下屋敷である御浜(おはま)御殿への御成りには、そこから御座船(ござぶね)で出向いたようです。
利便さを考えた素晴らしい構造だったようです。
四代目と云うと、城の補修もままならない時期にこれだけ豪華にやれたのは幕府の信頼の厚さ、多分に井伊直政の功績がものを言っているのでは伺えます。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:28 | (風情)京都・関西 | Comments(1)

赤備えで有名な井伊家の「彦根城」址20161105

赤備えで有名な井伊家の「彦根城」址20161105


井伊直政と云えば徳川家の譜代大名で四天王(酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊 直政)と呼ばれた一人である。
特に有名なのは井伊の赤備えと云って、部隊が真っ赤な鎧・兜で統一されていた。
この趣向は、武田軍の赤備えで、後代に「甲山の猛虎」とも謳われた飯富虎昌が騎兵のみからなる騎馬部隊として編成されたのをあこがれ・模したと云われている。
真田幸村も軍団を赤備えとして、「真田丸」に登場させている。
戦場での赤色は強く見えて目立つらしい。
その血をひく井伊家の城ではり、大坂の陣前に造られたもので、近くの元西軍が他の城(長浜城など)を取り壊し資材を調達している。

また、幕末の井伊直弼は有名で、ここの下 屋敷「槻(けやき )御殿」で出生している。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:28 | (歴史)関西史 | Comments(0)

彦根城西の丸三重櫓20161105

彦根城「西の丸三重櫓」20161105


彦根城のこの櫓(やぐら)は琵琶湖川に面している。
古代から琵琶湖は船による交通のルートが使われ、この彦根城もその類から外れず利便性のある造りをしている。
しかし利便性がいいということは攻めやすいということもある。
そこで当然、琵琶湖側は念の入った強固な造りとなっている。

写真の9枚目は一端が伺える。
櫓からは今一つわかりにくいが堀の向こう側からみると隠れるところがないところを攻め上らなけれならなくなる。(現在はこのルートは土砂崩れにより通行止めとしている)

写真の10枚目は琵琶湖との水路がよくわかる。
琵琶湖に面した他の城もこのような構図であったようだ。
安土城址も遺構が残っている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:27 | (紹介記事)関西 | Comments(2)

彦根城楽々園・槻御殿20161105

彦根城「楽々園・槻御殿」20161105


槻御殿(けやきごてん)。
第四代藩主の井伊直興が延宝5年(1677)から同7年にかけて建築したものです。
木材が全て槻を用いられているところからそう呼ばれたようです。
ちなみに幕末の大老井伊直弼はここで生まれています。

また、第十二代藩主の井伊直亮が文化年間(1604-1817)に楽々之間を増築して以来、槻御殿の名よりも楽々園の名の方が有名になったようです。
楽々園の名の由来は「仁者は山を楽しみ智者は水を楽しむ」の意から取ったと言われています。

この庭園・御殿は天守は勿論本丸からも大きな敷地を占めていることが分かる。
また天守閣は庭園の借景となっていて見事に情景が広がっている。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:21 | (紹介記事)関西 | Comments(2)

彦根城、着見(つきみ)櫓跡からの眺望20161105

彦根城、着見(つきみ)櫓跡からの眺望20161105


この着見櫓跡はお城の本丸の一段高い北東の角にあり、ここからの眺望は素晴らしい。
まず、直ぐ下の方には庭園の玄宮庵を見降ろすことができる。
周囲の山々や琵琶湖も望むこともできる。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:20 | (紹介記事)関西 | Comments(2)

色鮮やかな氏神様「八坂神社」20161121

色鮮やかな氏神様「八坂神社」20161121


八坂神社は平安京がができるずっと以前から存在している。
古代地図を見ると、この地区には「八坂氏一族」が住んでいたらしく、八坂神社とはその名残かもしれないと勝手に思っている。

また面白いのは八坂神社の氏神様が素戔嗚尊(スサノウノミコト)ということである。
素戔嗚尊は出雲神であるので、八坂氏は出雲族だったようだ。

もう一つ不思議なのは、境内に末社となっている「北向蛭子社」というのがある。
これを取り上げたのは、えびす神社には事代主系と蛭子(ヒルコ)系があるが、事代主系の総本社は今宮戎神社だが、元々は八坂神社の氏子衆が今宮戎を建てたという。
そのため今でもえべっさん(関西流(笑))の前にはここ「北向蛭子社」に参拝に来ており、それが一つの行事になっているらしい。

以上みてくると、八坂神社とは非常に奥深い神社のように思ってくるのは私だけではないだろう。

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*東楼門は現在工事中である。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:18 | Comments(2)

東本願寺と烏丸通りの紅葉20161118

東本願寺と烏丸通りの紅葉20161118


烏丸通は京都の町を南北に貫く通りである。
平安京の時は「朱雀大路」が幅80mで南北に伸びていたが、度重なり火災や戦乱などで様変わりしてきて、現在ではビジネス通りが烏丸通り、商業通りが河原町通りとなっている。
特に烏丸通りは京都駅を基軸にしているので中心といっていいのではないか。

さて前置きが長くなったが、この烏丸通りに面している東本願寺も貫録を示している。
近代都市に変わってきた中に重厚な異彩を放っている。
そして区画整理後に境内が削られた後に中州のように残った林の一角が秋には見事な紅葉となる。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-11-27 14:17 | (紅葉情報)京都・関西 | Comments(2)