宝蔵寺(伊藤若冲の菩提寺)と裏寺町とは20161217

宝蔵寺(伊藤若冲の菩提寺)と裏寺町とは20161217


宝蔵寺は京都寺町通りの二筋東に、「裏寺町」にある小さなお寺である。しかし弘法大師空海の創立と伝えられる由緒あるお寺のようだ。
その後、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基されている。
さらにいくつかの変遷を経て天正19年(1591)に現在地に移転した。
本尊は阿弥陀如来像で、元禄13年(1700)と刻まれている。

さて、檀家である伊藤若冲の伊藤家は江戸時代中期、正徳六年(1716)二月八日、京都高倉錦小路南東の角にあった青物問屋(あおものとんや)「枡屋」(ますや)・通称「枡源」(ますげん)だがそこで若冲は三代目伊藤源左衛門の長男として生れた。
元文三年(1738)若冲二十三歳で四代目源左衛門継いでいる。
三十代の頃より絵画を志し、宝暦五年(1755)次弟宗厳(そうごん)(白歳)に家督を譲り画事に専念し、まもなく当時の京都画壇を代表する画家となっている。

ここ宝蔵寺は若冲及び伊藤家の菩提寺で、若冲は寛永四年(1751)九月二十九日に父母の墓石、明和二年(1765)十一月十一日に末弟・宗寂の墓石を建立しているという。


e0237645_2339237.jpg


e0237645_2340379.jpg


e0237645_23403997.jpg



宝蔵寺と同じように裏寺町通りにはいくつかのお寺はあり、正覚寺(しょうかくじ)はその通りの一角に、赤門が西面して建っている。赤門正覚寺また「赤門さん」とも呼ばれる。花街・先斗町の信仰も集める。

e0237645_23472631.jpg


e0237645_23481388.jpg


e0237645_23491024.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-28 23:34 | Comments(2)

京都駅からメリークリスマス20161203

京都駅からメリークリスマス20161203


毎年、JR京都駅の階段広場にクリスマスツリーが飾られます。
ことしもやはり同じように大きなツリーが飾られました。

このツリーをバックにライブや子供向けの催しなど色々な催しが行われています。

e0237645_1711265.jpg


e0237645_1659353.jpg


e0237645_16575089.jpg


e0237645_16582523.jpg


e0237645_16584968.jpg


e0237645_1657378.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-27 14:19 | Comments(2)

京都の観光シンボル「八坂の塔」20161210

京都の観光シンボル「八坂の塔」20161210


夕日に照らされた京都の観光シンボルである「八坂の塔」がまぶしく輝いていた。

e0237645_14171221.jpg


e0237645_14173137.jpg


追加で載せてみました。20170128

e0237645_14491111.jpg


e0237645_14175976.jpg


e0237645_14181059.jpg


e0237645_14184190.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 14:15 | Comments(2)

ねねさんの御寺「高台寺」から見た夕日20161210

ねねさんの御寺「高台寺」から見た夕日20161210

夕日に輝く「八坂の塔」を眺めた後、高台寺の高大な駐車場から夕日の沈むのをじっと眺めていた。
ちょうど左に八坂の塔、真中に京都タワーが望める絶好の眺望位置だった。

e0237645_14233399.jpg


e0237645_14234585.jpg


e0237645_14235515.jpg


e0237645_1424678.jpg


e0237645_14241686.jpg



e0237645_14244229.jpg


e0237645_14245418.jpg





この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 14:09 | Comments(2)

新日吉神社祭礼に繰り出す「船鉾」20161203

新日吉神社祭礼に繰り出す「船鉾」20161203


京都には~~学区というのがあります。
崇仁元学区は下京区で京都駅の西にあり、崇仁春まつりが毎年5月の第二土曜日と日曜日に行われています。
この「船鉾」の巡行で、地域一帯をお囃子や子ども用の曳き山とともに進んで行きます。歴史的に崇仁地域は様々なお話があります別の機会に述べたいと思います。
崇仁地域は新日吉神宮の氏子圏に入り、崇仁春まつりのルーツも神社の祭礼への参加となります。

「崇仁春まつり」は、天保10(1839)年に現在の崇仁南部の銭座跡村の支配人らが、新日吉神宮や神社を管理する妙法院などに、お迎えの提灯を飾るのは祭りの当日だけ、村内を巡行する許可をものです。

中の説明版をお読みいただくとわかりますが、往時は2基の船鉾など盛大な鉾であったが、人口の減少・老朽化による維持費の増大などから一時放置されていました。
平成8年から復活運動が始まり、10年後の平成18年に京都市有形民俗文化財にしてされて今日に至っております。

e0237645_14353970.jpg


e0237645_1435508.jpg


e0237645_1436155.jpg


e0237645_14361164.jpg


e0237645_14362422.jpg



*京都の元学区は、日本で最初に創設された64校の番組小学校を起源とし、明治期から戦中まで小学校運営・行政機能の一部を担う地域単位であった学区のことをいう。戦後、小学校の新設や統廃合が進み学区域も変わってきているため、元学区と呼ばれている。




この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 14:04 | Comments(2)

参詣客が絶えない「東本願寺」20161203

参詣客が絶えない「東本願寺」20161203


浄土真宗大谷派の東本願寺は江戸初期家康の政策により本願寺勢力の分断を狙って作られたものである。現在の本願寺派の総本山は西本願寺である。
大谷派は江戸幕府の手厚い保護のもと大きく反映してきております。

さて、この東本願寺を訪れてみた。京都駅から北に延びる「烏丸通」200mほど北へ上がったところに大きな伽藍を構えています。
このたび長いこと改築に日を費やしていたが、御影堂・御影堂門も出来上がり、新装なったという感じがする。
早速、御影堂見学をしてみました。

境内からは京都タワーも真近に望めました。

e0237645_14382975.jpg


e0237645_1439056.jpg


e0237645_14391191.jpg


e0237645_14395583.jpg


e0237645_1440499.jpg



e0237645_14401850.jpg


e0237645_14403017.jpg


e0237645_1440496.jpg


e0237645_1441281.jpg


e0237645_14415897.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 14:00 | Comments(1)

紅葉が残る「高台寺参道」20161210

紅葉が残る「高台寺参道」20161210


この日は12月の10日である。なのにこんな紅葉が残っているとは驚きである。
周りのどこを見ても紅葉は終わっている。
しかしここだけは紅葉真っ盛りで、異次元のような感じである。

高台寺はこの期間秀吉・ねねさんの像の特別公開をやっていた。

e0237645_14441094.jpg


e0237645_14443149.jpg


e0237645_14444323.jpg


e0237645_144511.jpg


e0237645_14453556.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 13:55 | Comments(1)

八坂庚申堂はお正月気分(京都)20161210

八坂庚申堂はお正月気分(京都)20161210


八坂庚申堂は通称名で、正式には大黒山金剛寺といい、京都市東山区にある天台宗の寺院です。
大阪四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂とともに日本三庚申の一つとされています。
本尊の青面金剛は飛鳥時代に中国大陸より渡来した秦氏の守り本尊であったとのことですが、その秦氏が持ち込んだ風習を踏襲しているということかもしれません。

八坂庚申堂では欲を捨てると願いが叶うと言われています。
その欲を捨てるために使われるのがこちらの"くくり猿"です。 手足をくくられて動けなくなった猿の姿を表現しています。
実はこれ、手足が縛っているのは、欲に走るものを戒めることを意味しており、欲をひとつ我慢すると願いが叶うということを表しているそうです。
カラフルな布地で作られているくくり猿に叶えてほしい願いを書き込み、それを吊るすと願いが叶うと言われています。

ちなみに、奈良の庚申堂の風習は少し違っていて、災いを代わりに受けてもらえるとされ、「身代わり猿」と呼ばれているそうです。
というようにその地方によっての風習・猿の呼び名は異なっているようです。

女性には人気があるようで、着物を着た女性で賑わっていました。

e0237645_14493545.jpg


e0237645_14495651.jpg


e0237645_14502857.jpg


e0237645_14504146.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 13:51 | Comments(1)

京都駅前にお目見えした「羅城門」の模型20161203

京都駅前にお目見えした「羅城門」の模型20161203


JR京都駅北口広場に設置された「羅城門」(らじょうもん)の模型は、平安京の羅城門の10分の1(幅8メートル、高さ2・4メートル、奥行き2・1メートル、重さ2トン)で、11月21日設置記念式典が開かれたました。(羅城門については後述)
京都の寺社や大学などでつくる「明日の京都 文化遺産プラットフォーム」の事業の一環として、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、歴史都市や国際観光都市の京都をさらにアピールしようと、京都の玄関口である京都駅前に平安京の玄関口・羅城門の模型を展示されました。

この羅城門の模型は、1994年(平成6年)平安建都1200年記念事業において「甦る平安京」展に出品された復元模型で、宮大工をはじめ、京都の職人たちが持てる技術を結集し、半年がかりで製作されたもので、JR京都駅前のメルパルクの保管されていたものを移設したものです。

実物の10分の1とはいっても、大きな模型本体を移設するために、解体してビルから持ち出し、防水・風雨の対策や紫外線対策等を行い、案内板・照明設備にメンテナンス等の費用も必要となり、
約3,000万円費用が掛かっているそうです。

e0237645_1453517.jpg


e0237645_14531946.jpg


e0237645_14533376.jpg


e0237645_14534747.jpg


e0237645_14535671.jpg


e0237645_14541727.jpg



*羅城門とは、
羅城門は、平城京や平安京といった条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に据えられた都の正門ともいうべき大門である。
平安京造営(794年)のあと、弘仁7年(816年)の夏、大風で倒壊しているがこれは奥行きのない構造上の問題とされている。
その後再建されたが、天元3年(980年)7月暴風雨で再度損傷してからは修理されず、右京(朱雀通りより西)の寂れと共にこの門も荒廃してしまった。また幅40mと言われた朱雀通り(羅城門から朱雀門までの大路)も火災などで今や全く面影もない。
現在、羅城門跡地は住宅街の中の小さな公園に、石碑がひっそりと建っている。





この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 13:45 | Comments(1)

JR京都駅屋上からの眺望20161203

JR京都駅屋上からの眺望20161203


京都駅の屋上にはほぼエスカレータで上れます。11階からその上の屋上までが階段となっていて歩くことになります。
屋上に上がって北側を見るとやはりすぐ目に入るのは「京都タワー」です。
その奥には東山の知恩院や霊山寺(勤王の志士たちのお墓)などが見えます。

写真を見ながらこれはどこ?と探してみてください。


e0237645_1515027.jpg


e0237645_1521088.jpg


e0237645_1522256.jpg


e0237645_1524015.jpg


e0237645_1524963.jpg



e0237645_1534428.jpg


e0237645_154292.jpg


e0237645_1541589.jpg






この項 <完>

by mo-taku3 | 2016-12-26 13:37 | Comments(1)