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松尾大社(秦氏と磐座信仰)20170129

松尾大社(秦氏と磐座信仰)20170129


この神社に関する資料は沢山存在するが、秦氏が社殿を造営したのは間違いないようだ。
そして秦氏自身まだ謎が多い一族である。

松尾山の山頂付近には「御神蹟」と称する磐座が残こってる。
古い神社は磐座が残っているが、磐座信仰を引き続いた場合とこの松尾大社みたいにつながりのない?形での神社はよくよく見ると違いが出ているのは確かである。資料によると、

「上古には松尾山頂の磐座(御神蹟)で祭祀が行われたといわれるが、『秦氏本系帳』では、大宝元年(701)に勅命によって秦忌寸都理(とり)が現在地に社殿を造営し、松尾山の磐座から神霊を同地へ移したのが創建になるという。
また秦忌寸知麻留女(ちまるめ)が斎女として奉仕し、さらに養老2年(718)に知麻留女の子の秦忌寸都駕布(つがふ)が初めて祝(神職)を務めたといい、以後はその子孫が代々奉斎するとしている。

社殿創建以前の祭祀については、未だ明らかではない。
前述(祭神節)のように松尾大社に関する古い伝承には、大山咋神が鎮座するという『古事記』の伝承、宗像の中部大神(中津島姫命)が鎮座するという『秦氏本系帳』の伝承、秦氏に加えて賀茂氏も創立に関与したとする『秦氏本系帳』の別伝承の3種類が存在するが、これらの解釈には不明な点が多い。
また、大宝元年(701年)に社殿が造営されたとする記事は『伊呂波字類抄』(平安時代末頃)にも確認されるが、『続日本紀』の同年記事に山背国葛野郡の月読神・樺井神・木島神・波都賀志神等の神稲を中臣氏に給すると見えることから、松尾大社の祭祀についても中臣氏の神祇政策が背景にあると指摘されている。

なお、社殿を現在地に定めた理由も定かでないが、平成26年(20143月に本殿背後の樹木を伐採した際に巨大な岩肌があらわとなったことから、松尾山頂の磐座での祭祀にならってこの巨岩のそばで祭祀を行うことを志向したとする説が挙げられている。」

この神社はまだ解明されていない部分が多くあり、今後とも興味をもって調べていきたいと思っている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-29 13:06 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

嵯峨釈迦堂(清涼寺)の経堂20170129

嵯峨釈迦堂(清涼寺)の経堂20170129


入口の仁王門を入って右手に一切経堂がある。
正面に中国風の仏像が三体(正面;大士像、両脇;普浄・普現像)並んでり、歓迎しているのかのように柔らかい表情をしている。(実はこれに魅かれて寄ってみたと云っても良い。)
一切経堂の中に一切経を納めた輪蔵があり、その輪蔵を押して一周回すと一切経を読んだと同様の功徳があるとのことであったので、やってみた。
なお、一切経とはお釈迦様の教説にかかわる一切のことで、よくわかりませんが経・律・論の三蔵及びそれらの注釈書を総称して言うそうです。

経堂には100円を納付して入ったところ、まず感じたのがおごそかどころか、非常に厳粛な感じを受ける。
四周には四天王像が鎮座しており、古びた感じが歴史を感じさせる。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-29 10:28 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

新熊野(いまくまの)神社20170126

新熊野(いまくまの)神社20170126


この新熊野(いまくまの)神社は、熊野信仰が盛んな平安末期に、後白河上皇が紀州国(和歌山県)の熊野の神を勧請し、1160年熊野の新宮として、新熊野神社を創建したといわれている。
当時の熊野詣は今では考えられない位、盛んに行われていた。後白河上皇は特に熱心で平氏を引き連れて頻繁に通ったといわれている。
それがこうじてかこの場所に熊野の新宮を建てたという。その際、熊野の土砂で社域を造成し、同じく熊野の材木等で社殿を造営し、さらに那智の浜の青っ白な小石をまき、熊野を再現したという。本殿は京都市の重要文化財となっている。
向かって左側には天然記念物の大樟がある。この大樟は建設当時、熊野より取り寄せ、上皇自らお手植されたといわれ、樹齢900年、健康長寿・病魔退散・特にお腹の神と信じられ、参詣者が多く、熊野の神降臨の霊樹と伝えられている。近寄ってみてすごい大木なのがわかる。
また、能楽の祖、観阿弥・世阿弥父子は1374年(応安7年)足利三代将軍義満台覧の下、有名な「新熊野神事猿楽」を演能、これが今日の能楽の礎(聖地)となったといわれている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-26 14:05 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都御苑の蠟梅(ろうばい)20170123

京都御苑の蠟梅(ろうばい)20170123


京都御苑ではやっと蝋梅が咲き始めました。
梅の一部が咲き始めたのにまだかいな?でしたが、これで安心です。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2017-01-23 15:04 | (梅情報)全国 | Comments(2)

京都御苑の今日(23日)の梅20170123

京都御苑の今日(23日)の梅20170123

京都御苑は少しずつ梅が咲き始めました。
(満開になるまで追ってみようと思います。

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この項 <完>







by mo-taku3 | 2017-01-23 14:59 | (梅情報)全国 | Comments(2)

橘三千代開基の「梅宮大社」20170123

橘三千代開基の「梅宮大社」20170123


梅宮大社は右京区梅津にあり750年頃(奈良時代)に創建された。
橘諸兄の母、橘三千代が酒解神、酒解子神(大山祇、木花咲耶姫)を祭り酒造安全と子孫繁栄を祈願した神社である。
嵯峨天皇の檀林皇后(橘嘉智子)が井手町から現在地に遷座している。
皇后は梅宮大社に祈願して初めて皇子をもうけたといい、以来子授けの神として信仰されてきた。境内にまたげ石や産砂をうける風習がある。
梅やカキツバタの名所で神苑にある。
5月3日の「神幸祭」は、朝は子どもみこし16基、午後は神社のみこしが氏子町を練りあるく。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-23 10:32 | Comments(2)

富士山・伊吹山(新幹線より)20170117

富士山・伊吹山(新幹線より)20170117


久しぶりの東京出張があった。
ここ数年富士山の全景のお姿が拝めなかったが、今回はどうだろう?

しかしというか、やはり全景は見れなかったが、そこそこきれいな富士山を拝むことができた。

また、雪の山や、関ヶ原の近くでは「伊吹山」をきれいに眺めることができた。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-17 16:23 | (風情)日本の四季 | Comments(2)

京都御苑の雪と九条邸の化粧直し201170123

京都御苑の雪と九条邸の化粧直し201170123


駒札には、
「九條家は、五摂家(ごせっけ)の一つで、平安後期以降多くの人が朝廷の重要職である摂政(せっしょう)や関白(かんぱく)につきました。
その娘の多くも天皇妃となり、大正天皇の皇后節子(さだこ)、もその一人です。
江戸末期、米総領事(そうりょうじ)ハリスの通商条約締結要請(つうじょうじょうやくようせい)に対し徳川幕府は了解する考えでしたが、朝廷側の孝明天皇(こうめい)は反対でした。
折しも京都市内では、幕府と朝廷との様々な交渉が行われ、時の関白九條尚忠(ひさただ)の邸もその舞台の一つとなりました。広大だった屋敷も、今では池の畔の茶室の拾翠亭(しゅうすいてい)と、九条邸の鎮守(ちんじゅ)だった厳島(いつくしま)神社が中島に残るばかりです。」
とあります。

この日は小雪交じりで冷たい日だったが、御苑の梅を見た帰りにここ「旧九条邸址」に寄ってみた。
この敷地には、池の向う(西側)の2階家が「拾翠亭(しゅうすいてい)」といい、九条家時代からあるもので現在茶室などにも利用され、一般の会合などにも申し込めば利用できるようになっている。
また、九条家の鎮守であった厳島神社がありますが、平清盛が、安芸の厳島神社を兵庫に勧請し、さらに足利義晴が京都に遷したといわれているもので、特異な鳥居が建っています。
出かけた時は「
九条池」の全面改修工事がおこなわれていました。この池には野鳥が多く集まりますが、姿が見えずどこに行ったのか…。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-15 16:10 | Comments(2)

湯島天神(学問の神様)20170115

湯島天神(学問の神様)20170115


湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

今も変わらず合格祈願と言えば「湯島天神」と言われるようになっている。

私としては初めての参拝となる。




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この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-15 15:19 | (紹介記事)全国 | Comments(4)

湯島聖堂(昌平坂学問所)20170115

湯島聖堂(昌平坂学問所)20170115


(公益財団法人斯文会のホームページ*)には次のように説明されています。
『徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

 明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。

大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び()大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。』

偶然見つけたこの場所が、歴史で習った「昌平坂学問所」と湯島聖堂がやっと自分の中で結び付きました。
“へえぇ~、そうっだったのか”という感じでわくわくする一時を味わえたのは幸運でした。



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*斯文会(しぶんかい)からのメッセージ

斯文会は、明治13年〈1880〉、東洋の学術文化の交流を意図した岩倉具視が、谷干城らとはかって創設した「斯文学会」を母体とし、これが発展して大正7年(1918)公益財団法人斯文会となったもので、孔子祭の挙行、公開講座の開講、学術誌『斯文』の発行などを中心に活動を行ってまいりました。関東大震災で消失した湯島聖堂についても斯文会が中心となって聖堂復興斯成会を組織し、全国に募金を展開して昭和10年〈1935〉再建を果し、その建物を国に献納、国はその管理を斯文会に委託いたしました。昭和31年〈1956〉、新たに制定された文化財保護法に基づき、改めて本会は史跡湯島聖堂の管理団体に指定されております。

会の名の「斯文(しぶん)」は、『論語』子罕(しかん)篇の中の孔子のことば「斯の文(このぶん)」(周の文王の時より伝えられた文化の意)から取ったものですが、この文章には周の文化の継承者として、また、儒学を大成した思想家・教育者としての孔子の烈々たる気概が述べられています。「斯文」という名にはこの孔子の気概を心とし、伝えられた学問、文化を継承し現代に創造していこうとする本会の基本理念が託されています。

このような次第で斯文会の事業活動の第一は、史跡湯島聖堂の歴史環境をいっそう整備し維持管理に万全を期するとともに、これを公開活用して江戸時代以降聖堂が果たしてきた役割を社会一般に認識していただくことにあります。

斯文会の活動にご賛同いただけます場合には、是非「斯文会」賛助会員としてご協力賜りますようお願い申し上げます。

公益財団法人斯文会事務局

113-0034東京都文京区湯島1-4-25 湯島聖堂内
TEL
03-3251-4606 FAX03-3251-4853

メールでのお問い合わせはこちらよりどうぞ











この項 <完>





by mo-taku3 | 2017-01-15 12:13 | (紹介記事)全国 | Comments(2)