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北野天満宮の梅20180228

北野天満宮の梅20180228


やっと北野天満宮の咲いた梅を見ることができた。
まだ三分咲きだが暖かくなってきたので一気に咲いてくるだろう。
梅苑もオープンされている。
好きなショットも撮れたのでご覧ください。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-02-28 12:07 | Comments(2)

天満天神「繁昌亭」(大阪)20180224

天満天神「繁昌亭」(大阪)20180224



繁昌亭は名前の通り繁昌しているようです。
この日も席が埋まり立ち見しかないのであきらめました。
トシさんとこのあたりを散策してお好み焼きを食べたのを思い出し、行った店を捜してみましたがわからず、おなかが空いたので結局老舗洋食屋さんでステーキランチを食べてきました。安くて美味しかったです。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-02-24 13:30 | (紹介記事)関西 | Comments(2)

豊臣秀吉を祀る「豊国神社(大阪)」20180224

豊臣秀吉を祀る「豊国神社(大阪)」20180224



明治12年(1879年)11月京都東山区にある豊国(とよくに)神社の大阪別社として創建され、のちに京都・豊国神社から独立して豊國(ほうこく)神社に改称している。

当初は大阪府北区中之島に鎮座した。

その後、大正10年(1921年) 京都・豊国神社から独立し、府社となる。

更に、昭和36年(1961年) 現在地の大坂城二の丸へ遷座されている。

今日の豊国神社は豊臣秀吉のみを主祭神としているのに対し、豊國神社は秀頼・秀長を配祀している。

これは、京都人と大阪人の気持ちに少し違いがあるのかもしれない。

これら豊国神社の建立は明治天皇の肝いりと伝わっている。というのも公家政権になってからの徳川政権への反動もあるのかもしれない。

ちなみに、豊臣家は太閤・関白など公家と言っていい。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-02-24 13:05 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(1)

満点の「大阪城公園の梅林」20180224

満点の「大阪城公園の梅林20180224



今年は寒い日が続いたので梅の開花が遅れています。特に関西の梅の開花が遅れているようで、不安に思いながら、毎年出かける大阪城公園の梅林に出かけてみた。
花はご覧のように3~5分咲という感じでしたが、2時間ぐらいゆっくりしているうちに、天気が良かったのでかなり開花が進んできました。
今年の梅林の梅をご覧ください。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-02-24 11:41 | (梅情報)全国 | Comments(2)

京都駅傍「崇仁新町(屋台村)」20180222

京都駅傍「崇仁新町(屋台村)」20180222



京都駅の東側に崇仁新町という「屋台村」が2年限定でオープンしました。
向いにはちょっと有名なラーメン店がある場所です。
仮設の建物ですが昼間からやっています。
ちょっと覗いてみるのもいいでしょう。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-02-22 16:04 | Comments(1)

方広寺・豊国神社・京都博物館20180222

京都「方広寺・豊国神社・京都博物館」20180222



京都の街は平安京と呼ばれ、中国の唐の都「長安(現在の西安)に」を模して造られているのはご存知と思います。
特長は東西南北に碁盤の目のように道が造られ、朱雀大路のように幅80mの大路もありました。
その大路の一つに「大和大路」があり、現在は途中は応仁の乱や蛤御門の変などの火災、その他の大火により、路が細くなったり、途切れたりしておりますが、ところどころ大きな通りになっています。
ここに載せた、豊国神社・方広寺・京都博物館の南側の通りが「大和大路通り」として、往時を思わせる姿で残っています。
よく見ていただくとわかりますが、この敷地は広大な方広寺があったところで、豊臣秀頼が建てたもので、方広寺の鐘は大坂の陣の引き金にした徳川家康の難癖がよくしられ、今でも残存しています。
方広寺の石塀は大阪城の石塀を思わせる大きなもので、秀吉を思わせるものとなっています。
三十三間堂に行かれた時はチョット寄って見るのもいいでしょう。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-02-22 15:51 | Comments(1)

京都円山公園を散策20180220

京都円山公園を散策20180220



ブラブラと円山公園を散策しました。
皆さんご存知のものばかりですが、今まで気が付かなかったモダンな公衆便所がありました。
この辺りは円山公園ではかなり上の方ですが、周りを散策してみると、寺社や古い庭園の遺構らしきものもありかなりの人の出入りがあったと思われます。
その先は知恩院の日本一の鐘楼に行き当たります。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-02-20 15:25 | Comments(1)

京都東山高台寺界隈20180220

京都東山高台寺界隈20180220



京都は東・西・北の山に囲まれた盆地である。
この盆地は北から南への傾斜は少しあるが、平坦な土地で山林資源が豊富で水脈も十分すぎるほどあり、桓武天皇の平安京はいい場所の選択がなされたことにより千年の都と呼ばれる位長続きしてきた。日本史上類を見ない最長の都である。
その歴史の中でも大きな災難を幾つも受けてきたが、平安後期あたりから東山が目に見えて栄えてきている。
観光といえば東山が中心になっている。
元々平安京といえば、JR二条駅の前に朱雀門があり、そこから南の羅城門まで幅80mの朱雀通り(現在の千本通りがその一部)があり、北には大極殿があった。この大極殿が御所だったわけであるが、現在の京都御所の場所は大きく東に移っている。争乱や大火の際に徐々に東に大きくずれていったようである。
前置きが長くなったが、御所が東に移ると思に東山は徐々に開けてくるわけである。
ということでここが私の散歩道でもあるので、建仁寺~安井金毘羅宮~ねねの道~石塀小路~高台寺~大雲院(織田信忠を祀る)~円山公園 それぞれの一部を載せてみました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-02-20 14:55 | Comments(1)

建仁寺境内を散策20180220

建仁寺境内を散策20180220



建仁寺は建仁2年(1202年)鎌倉二代将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師(臨済宗の祖)を開山として宋国百丈山を模して建立されといわれている。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していた。
その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなっていった。

正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となった。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃したが、その後天正年間(15731592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されていく。

そして、明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となるが、廃仏毀釈、神仏分離の影響により、境内が半分近く縮小され現在にいたっている。
ここは国宝並びに国宝級の宝物があり、一度はゆっくりの拝観をお勧めする。

また、栄西禅師は中国から色々な作物などを持ってきており、中でもお茶は特筆である。

あまり知られていないが境内の低い垣根はお茶の木になっているのにはびっくりである。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-02-20 14:30 | Comments(1)

建仁寺塔頭「両足院」虎の狛犬20180220

建仁寺塔頭「両足院」虎の狛犬20180220



両足院は、龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。

現在の両足院は、開山当時「知足院」と号していました。

創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院(つちえん)として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。

また、両足院は、室町時代中期まで「五山文学」の最高峰の寺院でありました。江戸時代に入っても10世雲外東竺など当院の住持が、五山の中で学徳抜群の高僧に与えられ最高の名誉とされる「碩学禄」を授与されたこともあり、「建仁寺の学問面」の中核を担いました。

両足院の門をくぐると、すぐ左手に毘沙門天堂が建っています。

毘沙門天は多聞天ともいいますが、ご存知四天王のひとつで、北方の守護神です。そのため、京都(平安京)では、王城の北に位置する鞍馬寺の毘沙門天がそれにあたります。両足院の毘沙門天は、鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏といい、寺伝では、比叡山が織田信長に焼き討ちに遭った際、鞍馬寺の僧侶が黒田家と縁がある比喜多養清にこの像を託したといいます。

関ヶ原合戦の際黒田長政がこの毘沙門天を兜に入れて出陣し、勝利を収めた言われています。その後、明治10年(1877)頃に、この毘沙門天は黒田家から両足院に移されようです。

その毘沙門天。古くから、<寅の年、寅の日、寅の刻>に出現するという伝えが多いため、そのお使いは虎だとされてきました。

そのため、毘沙門天を祀るお寺を訪ねると、たくさんの虎が見られます。両足院も例外ではありません。このように一対の虎が狛犬としておかれています。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-02-20 14:01 | Comments(1)