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奈良公園の鹿さん他20180613

奈良公園の鹿さん他20180613



奈良公園は、この日も沢山の鹿に多くの観光客が群がっていた。
しかし、匂いはきつい。いつ来てもこの匂いは何とかならないかと思うがしかたないだろう。
鹿を見ると角がだいぶん伸びてきているようで、未だ柔らかい角の様だ。
また小鹿も放されていた。かわいい!

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-06-13 14:39 | (紹介記事)関西 | Comments(2)

奈良「氷室神社」20180613

奈良「氷室神社」20180613



奈良氷室神社(縁起絵巻)は、和銅3年(710年)元明天皇の勅命により、吉城川上流の月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)、厳寒に結氷させたものを当社の氷室に蓄え、翌年に平城京へ献氷させる制度が創始された。翌和銅4年(711年)61日に初めて献氷の勅祭が興され、以降毎年41日より930日まで平城京に氷を納めたとある。

奈良朝7代、70年余りの間、この制度は継続したが平安遷都後は廃止され、貞観2年(860年)、清和天皇の時期になって、現在の地に奉遷され、左右2神を併せ三座となった。(主座:闘鶏稲置大山主命、相座:大鷦鷯尊(仁徳天皇)、額田大仲彦命(仁徳の皇子))

社殿が建立されたのは建保5年(1217年)とされている。

それ以来春日大社の別宮として、式年費用や営繕費、祭礼費などは春日社、興福寺の朱印高2万石、および社頭所禄、南都の三方楽所(雅楽の伝承組織)料2千石などの一部によって行われたが、明治以降はこの制度も廃止され、その後は氏子と冷凍氷業界の奉賛により維持される形になっている。

境内の池には丁度水連が咲いていた。また、春には枝垂桜が有名の様だが、多分だがほぼかれているような感じを受けた。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-06-13 14:10 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(0)

西国9番札所「興福寺南円堂」他20180613

西国9番札所「興福寺南円堂」他20180613



興福寺で西国三十三所第九番札所としてお参りするのは南円堂というところになる。

弘仁4年(813)藤原北家の藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父内麻呂(うちまろ)追善のために建てたものである。

本尊は不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)であるが、堂内には本尊不空羂索観音菩薩像の他、法相六祖坐像(ほっそうろくそざぞう)、四天王(してんのう)像(いずれも国宝)が安置されている。
基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら築造したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が深く係わったことが諸書物に記される。

興福寺は藤原氏の氏寺だが、この時期、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂が興福寺の中でも特殊な位置を占め、現在の西国札所になっているのに繋がっていると思われる。

現在の建物は、創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789)頃に再建されたものだが、八角の一面は6.4m、対面径は15.5m、本瓦(ほんがわら)葺きの建物で、しかし、江戸時代の建物とはいっても、その手法はきわめて古い様式で、再建には北円堂を参考にしたと思われる。

直ぐ近くに「三重塔」(国宝)があったので寄ってみた。これは北円堂(ほくえんどう)とともに興福寺最古の建物とのこと、やはり藤原氏の氏寺だけあって、国宝が多いのには驚きである。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-06-13 13:50 | (巡礼)西国三十三ヵ所 | Comments(0)

鴨川の情景と祇園花見小路20180611

鴨川の情景と祇園花見小路20180611



都会の中の自然という感じの鴨川。
清水寺への昔の参道に当たる鴨川に架かる「松原五条大橋」を渡って「花見小路」まで行くと、こんな観光地の中に場外馬券場がある。その花見小路には祇園甲部の歌舞練場もある。
この花見小路は芸舞妓さんに会えることもあるのと京都らしいお店が並んでいることもあり、観光客で賑わっています。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-06-11 11:32 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

御所に睨みを利かす「知恩院」20180610

御所に睨みを利かす「知恩院」20180610



徳川家康が江戸幕府を開いて、鎌倉幕府から続く京都所司代を置いたが、それでは不足だったのだろう、二条城の築城の他、ここ知恩院と金戒光明寺に御所に対する警戒のため城構え構造に造り替えた。
この知恩院の三門から御影堂に行く一段がやたらと高い急な階段が造られている。
この階段は容易に攻め込まれないように造られていた。
平氏・源氏と武士が台頭し鎌倉時代からの武士の世界が続いたことによる公家(藤原氏)の反発は尋常でなかったようだ。最終的には明治維新で武士の世界は終わるわけだが、家康の心配は現実となった。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-06-10 17:11 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

祇園の仲源寺(目疾地蔵:めやみ)20180610

祇園の仲源寺(目疾地蔵:めやみ)20180610



京都祇園の中心で四条通に面するところに「仲源寺」というのがあります。
ここに安置されているのが目やみ地蔵菩薩で「目やみ地蔵」とも呼ばれ、目の病気や健康にご利益があるといわれ、多くの方が参拝されます。
しかし、安置された当時は、大雨での鴨川の洪水を鎮めたことから「雨やみ地蔵」といわれていましたが、雨やみが目やみとなったという説や、地蔵菩薩の右目が充血しているように見えることから眼病を患っているひとの身代わりとの評判が立ち「目やみ地蔵」となったという説があります。
そのほか戦時観音立像など、なかなか見どころのあるお寺なので寄ってみることをお勧めします。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-06-10 12:29 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

雨の京都四条大橋界隈20180610

雨の京都「四条大橋」界隈20180610



四条大橋から眺める鴨川は自然の雰囲気と都会の雰囲気の両方を感じさせます。
鴨川には名物の納涼床が立ち並び昼間から賑わっていますが、雨になるとこの通り全くの賑わいは無くなります。この時は建物の中に引っ込むそうですね。
一方目を「出雲阿国」で有名な河原歌舞伎の発祥の地である「南座」向けると、現在は老朽化した建物の本格的な改修工事の最中です。
近づいてみると昔の賑わいの絵が壁に貼ってあった。楽しみの少ない時代でもあり物凄い人の群れを見事に描いていました。


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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-06-10 12:10 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

吉水辨財天女と吉水草庵(安養寺)20180610

吉水辨財天女と吉水草庵(安養寺)20180610



吉水草庵は 最澄が平安時代初期に創建したもので吉水坊と称した。

法然上人が30数年間ここを本拠に称名念仏をとなえ、親鸞も入信したが、専修念仏の弾圧で本坊は荒廃していった。

1385年(至徳2)国阿が入寺し時宗に改めて興隆することになった。

境内には子院六阿弥坊ができたが、明治後期に消失、今は本堂、書院、弁天堂と料亭「左阿弥」を残すだけとなっている。

尚、安養寺の山号慈円山が円山公園の名称のもとになったという。
一方、「吉水弁財天女」は安養寺の手前にある。
この吉水弁財天は、慈鎮和尚が安養寺を守護する為に、弁財天を祀りその地が吉水(綺麗ないい水が湧き出る良い水が、吉水となった)といわれていたことから、吉水弁財天女と呼ばれるようになった。
本殿の左奥には、慈鎮和尚の立派な宝塔がある。
弁財天とは、仏教の守護神で女の神様ですが、よく知られているお姿は、手に琵琶を持ち面立ちのふっくらとした平安美人を思わせる神様です。
吉水弁財天は縁結びや恋愛などにも御利益があるとされ、祇園界隈の女性の信仰も厚いそうです。弁天さんなので芸能、芸術、財運、商売繁昌の御利益もあります。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-06-10 11:40 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(0)

雨に濡れた「円山公園」20180610

雨に濡れた「円山公園」20180610



季節も新緑もアッという間にすぎ深い緑になったが、久しぶりに雨の「円山公園」を散策してみました。
雨に濡れた木々はますます緑を濃くしてこれぞ深緑という感じで、名物の枝垂桜も濃い緑に包まれていました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-06-10 11:21 | (風情)京都・関西 | Comments(2)

京都「佛光寺(真宗佛光寺派)」20180610

京都「佛光寺(真宗佛光寺派)」20180610



京都に東西に長い通りとして「仏光寺通」というのがあります。その道沿いに仏光寺というお寺があり、近所ということでこの掲題を時々通ることがあります。
このお寺には、三本の奇麗な枝垂桜があり、これが昭和天皇のご兄弟の三親王(秩父宮・三笠宮・高松宮)の妃殿下お手植えのものとありました。
ここは皇室との関係がある有名なお寺と思い、調べてみると浄土真宗の名刹で、一時は本願寺派を大きく凌ぐ大会派だったことが分かった。その大本山が豊臣秀吉によりここに移され、横を走る道にも「仏光寺通」と名付けられたという。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-06-10 11:05 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)