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百濟寺の「天下の遠望台」20160423

百濟寺の「天下の遠望台」20160423


百濟寺(ひゃくさいじ)の中腹には、「天下の遠望台」があります。
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望めます。
さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。
百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立つ時、両国の深い交流関係が蘇ってきます。

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 21:52 | (歴史)関西史 | Comments(2)

金前寺(敦賀)と芭蕉の碑20160416

金前寺(敦賀)と芭蕉の碑20160416



福井県敦賀市にある金前寺(こんぜんじ)は奈良時代創建の古刹で、天平6年(736年)に聖武天皇の勅命によって泰澄大師が十一面観世音菩薩座像を刻み、寺を建立して本尊として祀ったことに始まる。
金前寺の名称は、天皇から下賜された金光明経を金櫃に納めて山に埋めたことにちなんで金ヶ崎山・金前寺と名付けられたという説と、本尊の「十一面観音菩薩」が金光を発することから名付けたとも言われている。
また記録には、古くは氣比神宮の奥の院として一帯に伽藍十二坊を有するほど荘厳であり、平安時代の弘仁2年(811年)には弘法大師(空海)が訪れたという記録もある。
中世の南北朝時代には延元元年~2年(13361337年)にわたる金ヶ崎の戦いの本宮となり、南朝方の新田義貞が後醍醐天皇の皇子・恒良親王と尊良親王を奉じて北朝方と戦い、敗走した新田義貞の長男の義顕は当山の観音堂にて尊良親王と共に自害したとされる(親王の慰霊碑あった)。
また、戦国時代にも再び兵乱の舞台となり、織田信長の天筒山攻めの兵火によって堂宇を全焼したものの、本尊の十一面観世音菩薩像は焼失を免れている。
その後、江戸時代の寛文2年(1662年)に打宅宗貞らが現在地に観音堂を再建し、元禄12年(1689年)に俳聖・松尾芭蕉が「月いづこ 鐘は沈る 海の底」と詠み、宝暦11年(1761年)に鐘塚を建立したとされる。
近代以降は、昭和20年(1945年)712日の敦賀空襲によって一切を焼失したが、昭和63年(1988年)に信徒の浄財によって本堂を再建して現在に至る。


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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 21:46 | (寺社)全国の神社仏閣 | Comments(2)

百濟寺の「本堂と鐘楼」20160423

百濟寺の「本堂と鐘楼」20160423


本堂は、入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き。江戸時代初期、慶安3年(1650年)の再興である。中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質の現われた建築で、2004年に重要文化財に指定されている。元来の本堂は現在地の裏手にあり、規模も大きかった。また、旧本堂の右方(南)には五重塔が建っていた。
本堂は室町時代の明応7年(1498)に火災にあい、文亀3年(1503)に兵火をうけ、さらに織田信長によって天正元年(1573)全山焼失しました。
その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。
のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工。
かつての本堂は現在より少し山手の広大な台地に、金堂と五重の塔がありました。
現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられております。
金剛輪寺・西明寺の本堂よりもひとまわり小さいですが、天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年12月に文化庁より重要文化財の指定を受けました。
なお、外部の総高欄の擬宝珠に「百済寺本堂 慶安5年壬辰3月吉日」の刻銘があり、そのときにすべて完成したことを知ることができます。
内部に外陣と内陣とに引違格子戸を用い、内陣の厨子には、秘仏本尊の2.6mもある巨像の十一面観音立像(平安時代)を安置しております。


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鐘楼

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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 21:01 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

百濟寺の【仁王門と石段の参道】20160423

百濟寺の【仁王門と石段の参道】20160423


三山の中で百済寺の参道は、入口にあたる山門(赤門)から本堂までの長さが最も長い。
その参道の両側には老杉が林立し、支院跡の名残を残す苔むした石垣が続き、歴史の深さを感じさせられます

仁王門 (におうもん)長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立されました。
三間二間で一対の金剛力士像が向きあっております。
その正面につり下げられた一対の大草鞋に触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると昔から言い伝えられております。
最近では、「百寺巡礼」で有名な五木寛之氏が第35番目の百済寺参拝時に、この大草鞋に触れて、百済寺満願を達成されてから大変な脚光を浴び始めております。


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この項 <完>

by mo-taku3 | 2018-08-29 20:58 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

琵琶湖、湖東三山の一つ「百濟寺」20160423

琵琶湖、湖東三山の一つ「百濟寺」20160423


百済寺(ひゃくさいじ)は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院で、山号は釈迦山。
本尊は十一面観音。
寺伝によれば、開基(創立者)は聖徳太子で、推古天皇14年(606年)の建立という。
金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られる。境内は国の史跡に指定されている。琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西側に位置しており、行くとわかるが古刹らしい古刹という感じである。
百済寺の史料上の初見は11世紀の寛治3年(1089年)であり、聖徳太子開基との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明だが、百済寺という寺号から見てここは渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。
平安時代にはいり、近江国の多くの寺院と同様、天台宗の寺院となっている。
平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、明応7年(1498年)の火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、この2回の火災で創建以来の建物ばかりでなく、仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。
更に天正元年(1573年)には織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。
庭内には中世の石造品も多く残っている。
また、本坊庭園は別名「天下遠望の名園」と称されており確かに素晴らしい。
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望める。
百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立ったのであろう。



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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-08-29 20:56 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

京都「八坂の塔~霊山観音」20180824

京都「八坂の塔~霊山観音」20180824



清水道の「一念坂」から、高台寺駐車場に上がる階段あります。その階段の途中から八坂の塔を望むことができます。拡大すると八坂の塔の右側に京都タワーも写っています。
駐車場に入ると山手に霊山観音が姿を現します。
京都の街は東山から眺めることができ不安定な天気の中遠くに光のカーテンをみることができました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-08-24 18:00 | (風情)京都・関西 | Comments(2)

清水寺の外苑(庭園)20180824

清水寺の外苑(庭園)20180824



皆さんは清水寺というと楼門を通り三重塔を見ながら切符を購入して普門閣から本堂に抜けるのが通常のルートですが、それを仮に内苑ルートとすると、私が勝手に外苑ルートというのを決めている。それは三重塔までは一緒ですが、塔を超えて左手に行くと、大河ドラマ「西郷どん」に出てくる勤王僧で成就院(清水寺塔頭)の住職「月照」の遺跡や供養塔などがあり、五百羅漢・開山堂・馬駐・地蔵院善光寺堂など興味のあるところが幾つも存在しています。一度ゆっくり外側を回るのもいいのではないかと思います。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-08-24 17:50 | (紹介記事)京都 | Comments(3)

清水寺から京都市街を眺望20180824

清水寺から京都市街を眺望20180824



いつも朱色の建物の素晴らしさで下から
ばかりお寺を撮っていたので、今回は違う角度でお寺から京都の街をながめてみました。
この日は丁度台風が通過した後とあって、少し雲行きが怪しく不安定だったがそれが良かったのか雲と光の流れをとらえることができました。
良い眺めでした。沢山のひとが三重塔の横から眺めていました。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-08-24 17:30 | (風情)京都・関西 | Comments(2)

清水寺の朱色伽藍20180824

清水寺の朱色伽藍20180824



清水寺は京都の寺社では世界的に知られた代表格のお寺である。
見事に朱に染まった伽藍はあちこちから感嘆の声が聞こえている。京都に来る海外から初めてくるお客さんは殆どここに供くるように思う。
現在、本堂は改修中なため全貌は望めないが、2021年に完成予定だそうで東京オリンピックには間に合いそうにないのが残念な気がする。
この伽藍は日本人の私でも素晴らしく感じるが、四季を通じて訪れるのを楽しみにしている。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2018-08-24 17:10 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

清水道の一つ「茶わん坂」20180824

清水道の一つ「茶わん坂」20180824



清水道はいくつかのルートがある。
五条坂から観光バスルートを上がって行くと分かれ道があり、それの右手が清水寺へ通じる「茶わん坂」である。

清水一帯に開窯が始まったのは調べてみると清水寺の創建と同じような時期のようで、僧行基によって清閑寺村茶碗坂で製陶されたのが初めてと言われている。

また1617世紀の頃、茶碗屋久兵衛が五条坂一円で赤・青・金を彩色した陶器を作り、これに清水焼の名を冠したと言われている。今は閑静なこの坂だがこのように京焼、清水焼の長い歴史と風土の中で、数多くの名工を輩出してきた。

現在の「茶わん坂」には京都人の美意識によっての伝統工芸品である西陣織、京焼、京扇子などの老舗の他、観光地としてのスウィーツなどの体裁をととのえてきている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2018-08-24 16:40 | (紹介記事)京都 | Comments(2)