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平安神宮と紅葉前の神苑20190930

平安神宮と紅葉前の神苑20190930



京都は予想では雨模様でしたが、空はすっかり晴れ上がり気持ちのいい日になった。それでも30℃超えの真夏日になった。
平安神宮に出かけてみましたが、相変わらず観光客は多く盛況でした。神苑にも入ってみたが紅葉にはもう少しかかりそう。
とにかくここは何時もきれいにしていて気持ちが良い。紅葉にも来てみたいと思っている。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-30 10:46 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

大原「実光院(勝林院僧坊)」20190925

大原「実光院(勝林院僧坊)」20190925



実光院は魚山勝林院を本堂に頂く僧坊の一つで、応永年間(13941428)に宗信法印によって復興されました。かつては当院や宝泉院のほかに、普賢院、理覚院など、多くの僧坊が存在していました。

客殿の南側に広がる庭園は「契心園(けいしんえん)」といい、江戸時代後期に作庭されたものです。これは、律川より水を引いた心字池を中心とした、池泉鑑賞式庭園です。池を三途の川、対岸の築山を極楽浄土に見立てています。
また、客殿の西側に広がる回遊式庭園は旧理覚院の境内で、実光院と統合されて以来、歴代住職が作庭整備して今日に至っています。借景として大原の山並みを取り入れた、開放的な雰囲気の庭です。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-25 15:40 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都大原「魚山大原寺勝林院」20190920

京都大原「魚山大原寺勝林院20190920


勝林院(しょうりんいん)は、京都府京都市左京区大原三千院の奥にある天台宗の寺院で、魚山大原寺勝林院と号しています。魚山大原寺は往生極楽院、勝林院、来迎院とその子院の汎称で、声明(しょうみょう)の中心地であった中国の長安の郊外にある山東省に所在する声明の聖地「魚山」の名称に由来しています。

勝林院は塔頭の実光院、僧坊の宝泉院を抱えている。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-25 15:12 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都大原「宝泉院」3つの見所0190925

京都大原「宝泉院」3つの見所0190925



『宝泉院』が有名なのは、「額縁の松」でしょう。
今は沈静化していますが、数年前までは門から100m位の列をなしていたようです。
少し紹介しますと、宝泉院の隣に三千院の塔頭の「勝林院」がありますが、この宝泉院は勝林院の僧坊(僧侶の住居)として建てられたといいます。(それにしてはなかなか凝った造りになっているのにはびっくりです。) 勝林院は、天台声明(しょうみょう:読経に独特な歌詞をつけた感じ)の発祥で有名で、また、1186年(文治2)法然を招き、諸宗の学僧と浄土の宗義を論談した「大原問答」はここで行われたといわれ、対面の問答の場所がしつらえてあります。由緒正しきお寺です。
さて残りの2つとは、関ヶ原の戦い前伏見城の攻防で鳥居元忠率いる籠城部隊が討ち死に際し、血にまみれた床板を天井とした「血天井」があります。
また、見逃し易いのは左手奥にあるきれいに造られた庭園があります。これも是非見てほしい所です。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-25 13:23 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

祇園祭の始まりは「神泉苑」から20190925

祇園祭の始まりは「神泉苑」から20190925



豪壮かつ華麗な祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼ですが、古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった『神泉苑』に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
この神社は京都では御霊会の始まりと云われ日照りの時に、空海が祈祷して雨を降らせたことが有名で、隣にあるお寺は空海が嵯峨天皇から授かった「東寺」と同じ真言宗東寺派に所属してます。


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これは「恵方社」です。
歳々で方位を移動させることができる、日本で唯一の恵方社です。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-25 10:36 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

黄金に輝く久し振りの『金閣寺』20190920

黄金に輝く久し振りの『金閣寺』20190920



金閣寺です。特に説明をするまでもありませんが、簡単にご紹介しますと、
正式名称を鹿苑寺といい、銀閣寺とともに相国寺(臨済宗:京都五山)の塔頭寺院の一つです。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれるようになったようです。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。

義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。



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この項 <完>

by mo-taku3 | 2019-09-20 10:09 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

「床もみじ・床みどり」の岩倉実相院20190919

「床もみじ・床みどり」の『岩倉実相院』20190919


岩倉実相院は、名のとおり幕末で有名となった岩倉卿の里である。

『岩倉実相院』が門跡寺院である。門跡寺院とはその寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことをいう。

元は京都北区紫野にあったのが、京都御所の近くに移っていた。 更にここ岩倉に移ったのは応仁の乱の戦火を逃れるためであったと言われている。
庭はきれいだし、名称の変わった磨かれた床に映し出される庭の景色(床みどり)が何とも言えない風情がある。
また、東山を望む庭園もきれいに整備されて素晴らしい。

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東山を借景とした庭園。
右端に比叡山が隠れている。


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中庭の庭園。(箱庭にしては広い。

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これが「床みどり」。
ここは写真撮影禁止となっている。
この2枚の写真は貼ってあったポスターの写真である。うつりがわるいのご勘弁ください。

実物はもっときれいです。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-19 14:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

江戸の町人の暮らし(江戸東京博物館)20190913

江戸の町人の暮らし(江戸東京博物館)20190913



江戸東京博物館の中に江戸の暮らしがつくられていました。
その中で、町人の暮らしを取り上げてみました。
色々な職人の仕事や住まい、町火消しの様子、「時の鐘」などがあり、特にこの時の鐘によって時刻が分かるようになっていたようです。しかしこれは有料だったというのが面白いというか何というか…。
面白いのは、「町の支配と運営」というのが描かれており、仕組みがよくわかりました。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-09-13 11:15 | (紹介記事)全国 | Comments(2)

江戸東京博物館20180913

江戸東京博物館20180913



東京の両国国技館の奥に「江戸東京博物館」というのがあります。なかなか楽しい施設で、平成5年に建てられたとあります。
中は江戸の様子を大規模な街の模型を造り展示してあり、エスカレーターを下りて入ると日本橋が見えてきます。かなり大きな橋です。
江戸の特長をよく捉えた、機構体制・仕組み・風習・息吹き・風俗、などを感じることができます。
これ造られた頃はもう東京に居なかったので今回初めて知ることができたのは幸いでした。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-09-13 09:32 | (紹介記事)全国 | Comments(2)

聖武天皇と紫香楽宮跡(しがらきぐう)0190910

聖武天皇と紫香楽宮跡(しがらきぐう)0190910



紫香楽宮跡は、松林に覆われた丘陵地に残る、国指定の史跡です。

聖武天皇は奈良の平城京で政治を行っていましたが、天平12740)年10月末に奈良を離れ、年末には奈良の北(木津川市加茂町)とその周辺に新しい都を造り始めました。

恭仁京(くにきょう)の建設が進められている間、恭仁京から甲賀郡紫香楽村に通じる道(恭仁東北道)が開通し、天皇は紫香楽村に離宮を造り、後にこの地を都としています。そして、三つ目の宮である難波宮(今の大阪市森ノ宮周辺)を都にする準備を進め、同年2月末には正式に難波を都とする宣言をしました。

聖武天皇が遷都を考えた理由には色々な説がありますが、有力と思われるのは中国の複数都制があったのではないかということです。恭仁京は物流、難波京は外交・貿易、そして紫香楽宮は仏都(廬舎那仏の建立)ということのようです。

その仏都として造られた『紫香楽宮跡』は、緑の松林に囲まれた緩い坂の参道をたどると、金堂跡があり、背後を囲むように僧坊跡・経堂跡・鐘楼跡・塔院跡などの礎石(そせき)が並び、東大寺とよく似た伽藍配置の寺院跡であることがわかります。この寺院は、聖武天皇が紫香楽宮で大仏造立をはじめた甲賀寺跡だと考えられています。
東西90m・南北110mにわたる広い丘陵地には、建造当時の335個の礎石が残り、はるか天平時代の雅やかな雰囲気が偲ばれます。


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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-09-10 14:30 | (歴史)関西史 | Comments(2)