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辰鼓楼(しんころう)兵庫県豊岡市出石20161022

辰鼓楼(しんころう)兵庫県豊岡市出石20161022



「出石(いずし)町」は江戸時代仙谷氏城下町で、現在は兵庫県豊岡市出石となっている。ここは元山名氏の居城もあったところでもあり古くから栄えた。そんな関係から多くの遺跡があるところでもある。
しかし、ここで取り上げたのは城下町の歴史とは特に関係ないが、『辰鼓楼』(しんころう)である。
これは明治になって造られた時を報せる鐘で、いわゆる時計台である。この『辰鼓楼』(しんころう)は札幌時計台と並んで日本最古だそうである。

これができる前はお寺の鐘で時を知ったそうで、これができたときは大いに重宝がられたようである。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-10-22 13:36 | (紹介記事)関西 | Comments(2)

BLG時代祭「2019年」総集編20191022

時代祭「2019年」総集編20191022



今年も10月22日「時代祭」京都で行われた。天気に恵まれ気持ちのいい巡行となった。明治天皇が東京に行幸され、京都が元気が出るようにとはじめられた、明治になってからの新しいお祭りです。新しいこともあるのか、華やかな巡行になっている。

京都には「学区」という明治期から、小学校区と行政の一部を担う学区という区割りがあったが、今でも踏襲している部分があり、時代祭はその学区で役割を担っているところがあるようだ。そのためか、時代ごとの行列の後に沢山の役員さんらしき人が沢山ついて歩いている。折角の華やかな行列に対し違和感を感じるのは私だけではないと思う。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-10-22 10:00 | (祭特集)祇園祭他 | Comments(2)

二条城天守台跡からの眺望20181019

二条城天守台跡からの眺望20181019



二条城は現在天守閣は無く、その後は高台になっています。そこからは城内を一望でき良い眺めが得られます。
天守閣に上がるには、いくつかのルートがありますがオーソドックスなのは、唐門から入り、二の丸御殿の前を通り二の丸庭園、本丸庭園を抜けて登ることになります。本丸庭園から天守閣には、急な、一段一段が幅広の階段を上がりたどり着きます。私は二条城ではこの天守閣からの眺めが大好きで、城内は勿論、本丸庭園のはるか彼方に比叡山までを見ることができ、絶景と言っていいでしょう。

創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園のあたり)に望楼型の5重天守として描かれていまする。
この天守は1606年(慶長11年)に徳川家康によって建てられたもので、大和郡山城天守の移築説がある。記録には小天守や渡り廊下の記述などが描かれており、天守曲輪を形成していたと考えられる。(大和郡山城天守の移築説については建築学的には否定されていたが、大和郡山城と淀城の天守礎石位置が酷似していることから最近は移築説が高まっている)なお、この天守は3代将軍・徳川家光のときに行われた寛永の大改修時に淀城にふたたび移築された。

その際に築かれたのが現在の本丸の南西隅にある天守台で、1624年(寛永6年)に伏見城の天守を移築改造し、複合式層塔型55階(独立式の説もあり)の天守を築き上げた。

尚、現在の天守台の高さは21mあり、天守台上の敷地445㎡と広い。

この天守は天皇が昇った唯一の天守だったが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失した後は再建されていないが、現在きょうとの有識者による再建設が浮上しているようだ。

なお余談だが、幕末には天守台に高層の火の見櫓が建てられていたことが古い写真によりわかる。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-10-19 14:45 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

コスモの季節になりました。20191016

コスモスの季節になりました(植物園)20191016



このところの冷え込みは強く真夏から急に秋へと移り変わった感があります。 と同時に秋の気配がただより、このコスモスをあちこちで見られるようになりました。 関西でも麦などの収穫が終わったところなどで、おおきなコスモス畑を披露してくれるところが見られるようになり、色とりどりの花をたのしませてくれています。
ここ植物園でも一斉にコスモス畑が出現し、楽しませてくれています。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-10-16 15:10 | (風情)京都・関西 | Comments(0)

植物園の秋の「バラ園」20191016

植物園の秋の「バラ園」20191016



京都植物園はバラの植え替えは行っていないようで、年中といってよいほどバラが見られます。夏の最盛期に比べるとさすがに勢いは落ちてきていますが、それでも種類によっては元気な花で楽しませてくれます。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-10-16 15:06 | (風情)京都・関西 | Comments(0)

水鳥が気持ちよさそうに泳ぐ池(植物園)20191016

水鳥が気持ちよさそうに泳ぐ池(植物園)20191016



植物園の池は幾つもありますが、ここが一番大きく水鳥も沢山いて賑やかです。
光の反射や水面に写る木々などが幻想的な雰囲気を醸し出してくれます。
この日も素晴らしい光景を見せてくれていました。

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この項 <完>





by mo-taku3 | 2019-10-16 14:58 | (風情)京都・関西 | Comments(0)

綺麗に彩られた植物園の花々20191016

綺麗に彩られた植物園の花々20191016



もう10月も後半に入り、カラフルな花木は最後のお披露目のように咲き誇っていました。これからは花は菊と木々の紅葉がこれからの楽しみです。
今咲いている花々をご覧ください。

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この項 <完>






by mo-taku3 | 2019-10-16 14:53 | (風情)京都・関西 | Comments(0)

京都「信長の首洗い井戸」20190907

京都 「信長の首洗い井戸」20160907



京都に逓信病院というのがあるが、ここの庭園に「信長の首洗い井戸」というのがある。ここは「本能寺の変」があった頃のその旧本能寺の一部に位置している。

京都逓信病院に入ってそのまま突き抜けると裏側の庭にでる。そしてその庭にある井戸の跡が、「信長の首洗い井戸」と伝えられている。
というのは、ここが阿弥陀寺の清玉上人が信長の首を持ち帰る際に、一旦洗った場所とされている。

阿弥陀寺とは、織田信長・信忠父子の墓があることで有名だが通説をここで少し述べると、
「阿弥陀寺の清玉上人が近江国坂本に創建し、織田信長の帰依を得て今出川大宮(上京区上立売通大宮東入阿弥陀寺町)に移転した。

寺伝によると、玉誉清玉上人は 燃え盛る本能寺に密かに潜入し、織田信長の遺骨と二条御所からは信忠の遺骨を法衣に隠して持ち帰り この寺に埋葬したという。

それにしても、旧本能寺と阿弥陀寺との距離は約1里(4km)ほどあったことから、信憑性を取りざたされてもいる。(後書きあり
更に数年後、寺地は現在地(寺町通今出川上る)移り、墓も改葬された。

遺骨持ち帰りには疑問が疑問の声が大きいが、秀吉に遺骨の差し出しを求められているなど信憑性があるともいえる。

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 『蓮臺山由緒略記』(上品蓮台寺)によると、
当時の阿弥陀寺の住職清玉上人は、本能寺の変を聞き、大恩ある織田家の一大事と僧を引き連れ本能寺に駆けつけたが、明智の軍勢が四方を囲み寺内に入れず裏道より辛うじて入った。
しかし、お堂は炎上中、信長はすでに割腹自殺したとのこと、遺言に「光秀に遺骸をわたすな。」とあったが 周囲を敵に囲まれ不可能、しかたなく傍らの竹林で火葬をしていた。
それに出会った清玉上人は、
「自分と信長公とは、格別の間柄であるので火葬は勿論将来の追悼もする。あなた方は自害するより敵と戦ってはどうか」と申し出たところ、
武士たちは大いに喜び敵と切り結んでいるうちに火葬を終え、白骨を法衣に包んで、本能寺の僧徒らが逃げるのに紛れ込み脱出、阿弥陀寺へ持ち帰ったとあります。

とうことが伝えられているようだ。






この項 <完>




by mo-taku3 | 2019-10-15 10:05 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

日吉社・山王社の総本宮『日吉大社』の東本宮20151003

日吉社・山王社の総本宮『日吉大社』の本宮20151003



比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮である。

崇神天皇の御代7年に創祀されたと伝わっている。

平安京遷都の際に、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師(最澄)が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として今日に至っている。
東本宮は、境内の東端、八王子山の麓に位置している。神社が織田信長の焼き討ちにあったが、文禄4年(1595)に秘かに信長によって再建されたことが、記録から明らかになっている。
本殿は、織田信長に焼かれたが、平安時代以来の様式を伝えている特殊な日吉造で建てられており、国宝の西本宮本殿と同じ形式で建てられている。平面は、正面三間、側面二間の内陣の正・両側面に外陣を配置し、更にその外側の四周に高欄付きの縁を廻し、正面に木階を設け向拝としている。この身舎の正・両側面の三方に庇を設けた平面構成が、日吉造(ひえづくり)の特徴的な外観にもよく現れている。
正面は、入母屋造のようで、背面は庇がないために、左右の庇の部分を縋破風でおさめているので、屋根を垂直に切り落としたような独特な姿となっている。

また、建物の床が地面より高いため、床下に下殿(げでん)と呼ばれる、仏式で、神を拝んでいた特殊な部屋が設けられている。
日吉大社は場所が不便なこともあり、比較的訪れる人も少ないせいか、静粛の中の神秘的な重みのある神社である。
是非一度参拝していただけたらと、私からも推薦したいところである。


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この項 <完>



by mo-taku3 | 2019-10-14 16:20 | (寺社)関西の神社仏閣 | Comments(2)

京都「東洞院通松原上る商店・会所」20190913

京都「東洞院通松原上る商店・会所」20160913



京都の住所は長ったらしいと思うと思う。しかし京都人はわかりやすいと思っているし、当たり前に思っているのだと思う。
京都に移ってきた20数年前は長い住所を書くのは億劫だった(今もそうであるが)が要領を知ると苦にならなくなってくる。
さて、前置きが長くなったがこの掲題の松原というのは秀吉が京都の街を区画整理する前の「五条通」で松原五条と言った。
また、「~上る」というのは北に行くことを言っており、「~下る」は南といういみになる。因みに東西はそのまま「東入ル、西入ル」となる。
東洞院通は烏丸通の東に一筋入る烏丸通と平行に通っているところとなる。昔から続いている商店などを拾ってみたが、距離300m位でも歴史のある建物が並んでいる。この通りの場所は、「下京区」になるが、この辺りを歩くと沢山の老舗が眼に入り覗いてみるのは楽しい。

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この項 <完>




by mo-taku3 | 2019-10-14 13:04 | (紹介記事)京都 | Comments(0)