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大谷本廟~清水寺への道20190801

大谷本廟~清水寺への道20190801



清水道(清水寺への参道)は幾つかかありますが、殆どの人が通らない道があります。東山五条を基点として「茶わん坂」が南端の様に思っている人が多いと思いますが、実は大谷本廟の墓地沿いに清水道があります。
ここは一時土砂崩れで通行止めになったことがありましたが、大きな大谷本廟の墓地の先に京都臣氏を見渡すことができ、また最初から最後までずーっと坂道が続き散歩道としては最高です。そして、清水寺の手前で清水寺が眺められ、変わった角度から眺めることができ、大好きな道です。

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この項 <完>






# by mo-taku3 | 2019-08-01 14:39 | (紹介記事)京都 | Comments(1)

豊臣秀吉の廟所「豊国廟」20190730

豊臣秀吉の廟所「豊国廟20190730



豊国廟は豊臣秀吉の墓所である。豊臣秀吉の死後間も無く作られた豊国廟は、現在の京都市東山区阿弥陀ヶ峰の太閤担といわれる広場のところである。

慶長3年(1598)8月18日、秀吉は63歳で伏見城でなくなりましたが、遺体は、遺命により、ここ阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)中腹に葬られ、墳上には祠廟、山麓には社殿が建立された。翌年4月18日、遷宮式が行われ、後陽成天皇から正一位豊国大明神の神階と神号を賜り、以後、毎年盛大な祭礼(豊国祭)が取り行われた。しかし、元和元年(1615)豊臣氏の滅亡と共に、家康の命で廟は破壊されている。
しかし、明治30年(1897)、秀吉の300年忌に際し、廟宇が再建され、墳上には巨大な五輪石塔が建てられている。
京都博物館の南西角に「大仏交番」というのがあります。

調べて見るとこの大仏というのは、京都大仏(方広寺の大仏)の名残を表しているそうで、実はこの京都博物館も含め、現在の方広寺・豊国神社東一面(阿弥陀ヶ峰まで含み)は方広寺・豊国神社の境内だったそうです。広大な土地だったんですね。そして奈良東大寺の大仏よりも大きい大仏・大仏殿が、現在の豊国神社の真後ろあったようで、遺跡跡地の説明がなされています。
山麓の社殿は今は残ってませんが、これも立派だったようです。

さて、現在の廟塔に登るには少々骨が折れる、約600段弱の階段を踏破しなければなりません。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2019-07-30 15:30 | (歴史)京都史 | Comments(2)

新日吉神宮(いまひえ:京都)20190730

新日吉神宮(いまひえ:京都)20190730



永暦元年(1160)、後白河法皇が、その御所法住寺(ほうじゅうじ)内に比叡山東坂本の日吉山王(ひえさんのう)7社(日吉大社)を勧請したのが当社の始まりである。祭神として、後白河法皇のほか、皇居守護神山王七柱を祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めている。
当初は智積院南側に創建されたが、元和元年(1615)、豊国廟社(びょうしゃ)の破毀(はき)とともに旧廟前に移り、更に、明治30年(1897)にこの地に移った。
社殿は応仁の兵火で焼け、その後しばしば増改築が行われたが、現在の本殿は、天保6年(1835)の改造で、大きな流造(ながれづくり)である。
古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸(ごこう)は108度に及んだといわれ、数多くの天皇の遺物、宸筆を蔵している。また、寛政10年(1798)に妙法院から境内の樹下社(このもとのやしろ)に寄進された。また、長谷川等伯筆と伝わる豊臣秀吉の肖像が保存されている。
なお、江戸後期の小沢蘆庵(おざわろあん)をはじめ、多くの文学者の本など近世文学の資料を蘆庵(ろあん)文庫の名で宮司家が保存している。(駒札に準拠)



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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2019-07-30 15:03 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都智積院(根香寺智積院の再建)20190729

京都智積院(根香寺智積院の再建)20190729



智積院の歴史は複雑で、紀州にあった根来山大伝法院(根来寺)の塔頭でした。

この根来衆の鉄砲は有名で、石山本願寺と信長との戦いでも信長を悩ましました。秀吉の天下となってから秀吉は和歌山(根来・雑賀)を平定して、その時点で智積院は根来攻めで抵抗後、高野山に退避した経緯があります。
その後十数年再興がならずにいたが、関ヶ原の戦い後、徳川家康方が勝利した翌年の慶長6年(1601)東山の豊国神社(豊臣秀吉が死後「豊国大明神」として祀られた神社)の付属寺院の土地建物が与えられ、ようやく智積院は復興した。その後更に14年後豊臣家が滅びると、隣接地にあった豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺(亡くなった秀吉の子(鶴丸)の寺)の寺地を与えられてさらに規模を拡大し、山号を現在も根来に名を残す山「五百佛山」、復興後の智積院の寺号を「根来寺」とした。現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿を飾っていたものであった。

丁度家康の豊臣色の一掃の一翼を担った形になったが、智積院との利害が一致したと言っていい。



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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2019-07-30 14:55 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

京都下京区を中心に散策20190729

京都下京区を中心に散策20190729



やっと梅雨も明け、本格的な夏に突入しました。
この日は暑いけども近所(下京区)を散策してみました。

まず、五条大橋に向かい橋から鴨川上流を見るとこの日は比叡山がよく見えていた。雨の後の空気が良かったからだろう。

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そこから、東山区の建仁寺の方へ足を進め、塔頭の禅居庵でお参りを済ませ、…


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お茶屋街に行くと恒例の花燈篭が置かれていた。


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建仁寺に戻り、沢山の観光客を見ながら、


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一挙に仏光寺まで戻ると、朱いサルスベリが咲いていた。


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更に南に下って一気に東本願寺に出て、いつものようにハスの花を眺め、


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東本願寺の城構えの跡を写してきました。

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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2019-07-29 15:48 | (風情)京都・関西 | Comments(2)