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①雨のキューフン(九份)

①雨のキューフン(九份)


空港から一時間以上かかったか、野っぱらの大きな駐車場に着いたが凄い車の量。
九份の現地には車の乗り入れはできず、そこから路線バスに乗り換え、近道のルートということで途中でバスを降り、雨の中約500m位歩いて現地に着いた。
さすがにスムーズに着くことができたのは、ジモティーのガイドのおかげである。
これは歩いている途中にあった神社だそうだ。珍しかったので パチリ。
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ここは旅行本にも載っているおなじみの場所である。ここを背景にしたスナップを撮る人が多いそうだ。


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お茶をごちそうになった「阿妹茶樓」。
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更に続く坂道。
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キューフンの繁華街は極狭いが、横道にはこのようなお店が並んでいる。
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公衆便所は、このように表現するようだ。
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上から見るとこのように見える。
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坂の登り口にこのような石碑があった。この辺りに、金鉱の坑口があったらしい。
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ここで少し、キューフンについて調査結果を講釈させていただくと、
「キューフンの町はかつて金鉱山の町として栄え、にぎわったが、やがて鉱脈は枯渇して町はさびれた。
しかし、ヴェネチア映画祭でグランプリを受賞した、1998年の台湾映画「悲情城市」の舞台になったことから、今度は一大観光名所として脚光を浴びることになった。
「悲情城市」という映画は、大陸から追われて台湾に逃れてきた中国人が、台湾の人たちを虐殺した1947年のいわゆる2.28事件はずっと台湾近代史のタブーとされてきた。
しかし、台湾生まれの総統が続けて選ばれるような社会の変化を背景に、小説、映画の題材に取り上げられたり、事件の検証がされることとなった。
この映画は太平洋戦争の終結から2.28事件の頃を時代背景にしており、事件に翻弄された家族を描いている。「悲情城市」に「黄金酒家」という名前で登場する店は映画のヒットを受け、「悲情城市」という看板を掲げて営業している。」
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その店のすぐ横にある石段はキューフンの中でも最も有名な場所で、記念写真を撮る人が絶えない。
日本人になじみになったのは、宮崎アニメの『千と千尋の神隠し』の舞台に使われたことがきっかけとなったとのこと。

キューフンには、【昇平戯院】という映画館が昔あったらしい。
それを復元して記念館として無料開放していた。
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格子が入った切符売場や
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昇平再起との看板。
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古い映写機も展示してあった。
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びっくりしたのは、【武士刀】という、宮本武蔵の宣伝広告があったこと。
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売店は「販賣部」となっていた。
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満員御礼はこのように表示するらしい。
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雨のキューフンだったが、上りの時に見えなかった港の景色も帰りに見ることができ、満足している。






この項 <完>

# by mo-taku3 | 2012-03-06 15:11 | (旅行)海外旅行全般 | Comments(2)

軟式野球発祥の地

軟式野球発祥の地


今日はひな祭りだが、桃の花ではなく、梅の花をカメラに収めようと、ネットで見た五分咲きの梅宮大社と北野天満宮に行ってきた。
ともに情報通り、梅の花が生き生きと咲いていた。
しかし、雨模様になってきたので、早々に引き揚げてきたが、その途中、家の近くでこんな石碑を、偶然見つけることができた。

ここは、下京区烏丸通り高辻 にある、学校統合で廃校になった「成徳小・中学校」の跡地である。
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ここは、写真に写っている通り、【軟式野球発祥の地】となっていた。
高校時代野球部に入っており、使っていたボールも軟式だったので、急に懐かしさがこみ上げてきた。
“そうか、ここが軟式野球の発祥かぁ”。

文献を調べてみると、
「野球は 明治初年にアメリカから伝わり, 1915(大正4)年に開催された全国中等学校優勝野球大会などにより 全国の青少年の間に普及していった。
この頃 本格的に硬式ボールを使えない子供たちは, テニスボールなどで野球を楽しんでいたようだが, 重量が軽くてスピード感が伴わず, 耐久性も不足するなどの欠点があった。
大正4年, 第1回全国中等学校優勝野球大会 (現 全国高等学校野球選手権大会) において京都二中が見事初優勝を飾り, 京都の少年達の間に一気に野球熱が高まった。
少年達がより安全かつ安価に野球を楽しめるよう, 京都市の小学校の教員が中心になり「京都少年野球研究会」が結成され, 京都文具商業組合長の鈴鹿栄氏(平成15年野球殿堂入り)が要になって野球用ゴムボールの開発が行われた。
ボールは大正7年に完成し, 翌年7月に京都市第二高等小学校(下京区 元 成徳小学校。戦後, 成徳中学校に) において, 京都少年野球研究会が軟式野球大会を開催したのが, 我国はもとより, 世界に普及した軟式野球の始まりである。」


また、隣りには、【栄養給食先駆けの地】という石碑もあった。
具体的な意味は分からないが、きっとカロリーなどの栄養を考えた給食を始めたのだろうか。
石碑を建てる位だからそれなりの意味があると思う。
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京都は昔から教育には熱心だったようだ。
小学校・幼稚園も京都発の初物だった。
近くに、「学校歴史博物館」があるので今度行ってみるつもりでいる。




この項 <完>

# by mo-taku3 | 2012-03-06 00:22 | 京都発の初物 | Comments(2)

⑥北野天満宮の梅便り(2012年3.3)

⑥北野天満宮の梅便り(2012年3.3)


Webで検索すると、北野天満宮が五分咲きと出ていたので早速出かけてみた。
先に、梅宮大社に寄ったので、それとの比較をしてみると、北野天満宮の方が開花が進んでいた。
先ずは、ご覧いただきたい。
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皆さん情報をウオッチしているせいか、見事に観衆が増えていた。
やはり、北野天満宮は、人気がある。




この項 <完>

# by mo-taku3 | 2012-03-03 23:00 | Comments(0)

④梅宮神社(2012年3.3)

④梅宮神社(2012年3.3)の梅便り


今年初めて、梅宮大社に行ってきた。
カメラの撮影会があるらしく、30名近い老若男女(殆ど老男だったが)が集まっていた。
ここは梅林がある訳ではないが、立派な庭もあり、適度に梅がちりばめてあり、きれいに掃除もしてあり、気持ちの良い神社だった。
ご覧ください。
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この項 <完>

# by mo-taku3 | 2012-03-03 22:49 | Comments(0)

日本初の電機鉄道と京都の市電

日本初の電機鉄道と京都の市電


京都では、明治28(1895)年2月1日~昭和53(1978)年9月30日の83年間,市電、いわゆる路面電車が走っていました。
先の①でも述べましたが、明治28(1895)年,民営の京都電気鉄道会社(京電)が東洞院塩小路下るの七条停車場(京都駅)と伏見町下油掛間の営業を開始されました。
すなわち、京都に日本初の路面電車が誕生したわけです。
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しかし、明治45(1912)年6月に京都市営電車(市電)の営業が開始され,京電と激しく競合しましたが,大正7(1918)年7月,京都市が京電を買収し,競合区間があった路線が市電で統一されました。
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昭和30年代の後半(1959~1964)になると,市電と競合する市営バスや民間会社バスが増加し,更に自動車も多く走りはじめこともあり,路線変更の自由がきかない市電の経営は徐々に行き詰まりを見せ始めました。
昭和45(1970)年3月31日,日本最古の路面電車路線だった伏見線(塩小路高倉と中書島間)と稲荷線(勧進橋と稲荷間)が廃止されたのをはじめとして,路線が次々と廃止されていき,昭和53(1978)年9月30日には,残る外郭線(北大路・西大路・九条・東山・七条・河原町の各線)すべてが廃止され,京都の路面電車の歴史に終止符が打たれました。
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(こぼれ話)
1) 電気鉄道事業発祥の碑(下京区塩小路通東洞院南西角 )が京都駅に・・・。
伏見線は,明治28(1895)年2月1日,日本で初めて開通した路面電車で,下京区東洞院通東塩小路踏切(旧東海道線)南側を起点とし,この地点までの約6キロメートルを走りました。
その石標が,日本最初の路面電車伏見線開業80周年を記念して昭和50(1975)年に、東洞院塩小路交差点に建てられています。
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2) 疏水による電力で起動してました。
京電は琵琶湖疏水による水力発電によって電力が供給されていました。疏水の流れが止まってしまうと,京電もとまってしまいました。
京電の定期休業日は,疏水の掃除に併せて組まれていたようです。その他,水利事務所の機械故障や琵琶湖の増水などによっても電車が止まりました。
明治32(1899)年,東九条村(現南区東九条東山王町)に火力発電所が開設され,その結果、輸送能力が一気に向上しました。

3) 告知人制度
京電が開業して後、雑踏や街角,橋上では事故が起こったため、昼は旗,夜は提灯をもち「電車がきまっせえ。あぶのおっせえ」と叫びながら線路を走る告知人がいました。
告知人は,12歳から15歳の少年で構成されていて,先走りと呼ばれました。
仕事は危険な上に汗とほこりにまみれての重労働なことや,少年が電車にひかれるなどの危険がともなったため、この告知人制度はやがて廃止されました。




この項 <完>

# by mo-taku3 | 2012-03-01 15:23 | 京都発の初物 | Comments(4)