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東寺の伽藍の風景20190703

東寺の伽藍の風景20190703



何度も訪れている「東寺」である。
いつ来ても圧倒される伽藍である。特に五重塔であるが、いつも伽藍の外から眺めることが多いが実際に傍で見るとその大きさ・胴の太さには驚きである。色々な五重塔を見てきているがすべてを圧倒している凄さが目に焼き付いている。

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この項 <完>






# by mo-taku3 | 2019-07-03 15:45 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

東寺のハス園20190703

東寺のハス園20190703



東寺のハス園は背景に大きな五重塔がある。素晴らしいポジショニングである。この日は少々早すぎたきらいがあり、残念ながら花がまだ少なかった。それでものびのびとした葉が生えており今年も期待できそうである。

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この項 <完>






# by mo-taku3 | 2019-07-03 15:40 | (風情)京都・関西 | Comments(2)

空海が創設した私立の「綜芸種智院跡」20190703

空海が創設した私立の「綜芸種智院跡」20190703



綜芸種智院跡は、京都市南区にある史跡である。京都駅から当寺に行く途中に偶然見つけたもので西福寺(浄土宗)というお寺の前に、「綜芸種智院跡」石碑が建てられている。
綜芸種智院は、弘法大師(空海)が、天長5年(828年)に創設した私立学校である。
当時の大学・国学(国立学校)への入学については、厳格な身分制限があり、一般民衆が学問を志すことは困難を伴ったため、空海がそのような人々の為に設立したものである。
種智とは、仏道・心理を極めようとする心という意味で、内典(仏書)、外典(儒書)の講義が行われた。しかしながら、承和2年(835年)の空海入寂後、後継者がなかったため、承和12年(845年)に廃絶した。現在の私立種智院大学(伏見区)は、当院の伝統を継いで設立されたものといわれている。


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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2019-07-03 15:30 | (紹介記事)京都 | Comments(2)

伏見稲荷大社「京都御旅所」20190703

伏見稲荷大社「京都御旅所」20190703



伏見稲荷大社の御旅所が京都駅から徒歩5分ほどの距離の場所にあります。伏見稲荷大社からは距離にして約3.3Km、所要時間にして徒歩で40分ほどかかります。

かつて御旅所は坊門猪熊(京都市下京区)の中社・上社と七条油小路(京都市下京区)の下社という2つの場所に建てられていました。安土桃山時代(1573年〜1592年)に豊臣秀吉による区画整備によって、かつて「八条二階堂屋敷」があった現在の場所に移されることになり、この屋敷は弘法大師空海とも縁の深い「柴守長者(しばもりちょうじゃ)」が住んでいたとされる場所だそうです。

「柴守長者」とは、「稲荷翁=稲荷大神」のことです。

なお、旧地では「古御旅所」と呼ばれていたそうで、その証拠に現在でも地名に「御旅町(旧西九条村、南区古御旅町)」として残されています。

御旅所の役割は、主に大きな祭事での御神輿が出発する場所であり、神様の神霊を御神輿の中へ奉安するなどの準備を整え待機させる場所でもあります。

伏見稲荷大社の大祭で御神輿が出てくるお祭りと言えば「稲荷祭」となります。

稲荷祭では、稲荷祭の中の祭事である「神幸祭」「氏子祭」と「還幸祭」と共に御神輿(神様)の巡幸があり、この御旅所が利用されます。



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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2019-07-03 15:00 | (寺社)京都の神社仏閣 | Comments(2)

平氏打倒の先駆け「以仁王」の城興寺20190703

平氏打倒の先駆け「以仁王」の城興寺20190703



以仁王(もちひとおう)は後白河天皇の第3皇子で、平家打倒の先駆者でありながら、所期の目的を達せず、悲劇的な最期を遂げたことで知られる。

時は平家政権の末期で、後白河法皇が平家打倒の謀議が発覚し、鳥羽殿に幽閉されるといった事態「治承三年の政変」が起こった。以仁王も連座していた疑いをもたれ、所領(ここ城興寺)を没収されたこともあり、自ら全国の源氏に平家打倒の令旨を出して決起を促し、源三位頼政とともに立ったが源氏決起の足並みが揃わず多勢に無勢で失敗に終わっている。平家の圧倒的な力の前に敗走し、南都の寺社勢力を頼ろうと大和国を目指して落ち延びる途中、南山城で討ち取られている。



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この項 <完>





# by mo-taku3 | 2019-07-03 14:30 | (紹介記事)京都 | Comments(5)